とある少女の怪異録 | ナノ

12

『緑間様、感情を鎮めて下さいませ』
「え」
『そうでなければアレは鎮まりません』

夜叉が指すアレとはきっと少女の事だろう。だがそれがオレと何の関係があるというのか。
断続的に少女の叫びが聞こえ、まるでそれに同調するかのように涙が溢れ出る。
感情のセーブが――効かない。

『深く、深く呼吸するのです』

夜叉に言われるがまま瞼を閉じ、深呼吸する。
少女の声が遠くに聞こえ、心臓がゆったり心拍を刻み始めた。

「オンアボギャビジャシャ……」
『ジャマヲスルナァァアア、ア、ア……ア……――』

何処か哀しげな少女の断末魔が教室に反響し、それも次第に途切れ途切れになる。

「……ボダナンバク」

そしてお経が聞こえなくなると同時にピタリと収まり、室内が静寂に包まれる。
終わった。オレは助かったのだ。長かった。明日から元通りだ。
全て――終わった。
静かに生を噛みしめていると、閉じている瞼の外側が明るいことに気づいた。怖々薄目を開くと、淡い光のようなものが教室を包んでいた。
その光の中心に何かいる。
目を細めよく見てみれば、それは紛れもなく今の今まで凄まじい声を上げていた少女だった。だがあの恐ろしい姿ではなく、初めて廊下で会った時の姿をしていた。
閉じていた少女の瞼がゆっくり開いた。

『ありがとう……』

瞼の下はもう空っぽではなかった。

『ありがとう――お姉ちゃん』

少女は満面の笑みを浮かべた。年相応の、とても可愛らしい女の子だった。
すると少女を囲んでいた光の粒が一つ、また一つと天に昇るように消えていく。
還るのだと、そう思った。
神秘的なその光景に目を奪われていると、不意に少女と目が合った。

『ごめんなさい、お兄ちゃん――ごめん、なさい』

少女は今にも泣きそうなほどに顔をくしゃくしゃにし、ごめんなさいと繰り返す。

「……気にする事はないのだよ」

そんな少女の顔を見て、誰が罵声罵倒を浴びせられるというのだろうか。
刺々しさは拭えないが、問題ないのだと伝えれば少女は再びふわりと笑った。
『ありがとう』と聞こえたかと思えば、最後の粒が消え室内は再び暗闇に包まれる。
ふーと溜息が聞こえ、八神が肩を撫で下ろしたのが見えた。

『あーあ、キえちゃった。ちぇ、つまんねーの』

礼を言う為、八神に近づこうとした足がその場に縫いつく。
何か聞こえた。誰かの声が聞こえた。
八神のでもない、夜叉のでもない、だがどこかで聞いたことのある――声が聞こえた。
視界の端で何かが動いた。

「ひぃっ」
『マッタくツカえねえガキだな』

鞄に入れておいた人形が宙に浮いている。そしてその身体には無かった筈の左腕がついていた。
これは現実か。
浮遊する人形に目が釘付けになる。
誰か夢だと言ってくれ。今までの事全てが夢だったと――誰か。

『サビシイサビシイウルサいからツカってやったのにさ』

だが目の前の起こっている事は紛れもない現実で。
八神が静かに歩きだしたが、背を向けている人形は全く気付いていない。
ある一点で八神は足を止め、腰を曲げた。そして床に向かって腕を伸ばし、何かを拾った。

『ホント』

八神は拾ったそれを握る手を不規則に振りまわし始めた。それがキラッと光る。

『バ、カな……ガ、……キ』

滑らかだった人形の口調が切れ切れになり、次第に動きも鈍くなった。

「ノウマクサラバタタギャテイビャクサラバボッケイビャク……」
『お、お、ま……え』

そこでやっと自分の異変に気付いたのか、人形がゆっくり八神の方を向いた。
八神はお経を唱えながら次々指を組みかえている。
さっきは目の前に夜叉がいたが為にただお経を唱えているだけかと思ったが、そうではなかったようだ。

「オンキリウンキャクウン……」

八神の周りには何も視えないが、禍々しいオーラのようなものが八神を覆っている気がした。そして八神は突き刺すような眼光を一切逸らすこと無く人形に向けている。
ジトリと嫌な汗が流れる。

「……ケンギャキギャキサラバビギナンウンタラタカンマン」

お経が終わると同時に顔のすぐ横を何かが通り過ぎ、背後でドンと音が聞こえた。
見なくてもそれが今まで目の前を飛んでいた人形だということは容易に分かる。
ゆっくり後ろを向けば案の定、人形が壁に張り付いている。

『こ、んな、コ、トして、タ、ダでス、むと』
「臨兵闘……」

八神は人形の言葉を意に介すことなく再びお経を唱え始め、一歩また一歩と人形に近づいていく。。
八神の手元で何かが鈍い光を発している。

『コ、ロ、して』
「……陣列前――行ッ!!」

それが今日のオレのラッキーアイテムのペーパーナイフだと気づいた瞬間、八神はペーパーナイフを握る手を大きく振りかぶりそして、勢いを殺すことなく人形に衝き立てた。

「消えろ――下衆が」
『コ、ロ、ア、ア、ァ゛ガァア゛ア゛ァアアア゛ア!!!!』

少女とは違う、耳障りな断末魔を上げ人形はガクガクと大きく体を震わす。
白目を剥きながら引っ切りなしに声を上げ続ける人形にゾッとした。
そして次第に痙攣は小さくなり、電池が切れたようにパタリと動きを止めた。
人形が動かなくなった所で八神の手がペーパーナイフから離れた。

「あー、終わった終わった」

大きく伸びをしながら言い放った八神に顔が引きつる。
おい、ちょっと待て。
此方を振り返った八神の表情からは今までの鋭さがさっぱりと抜け落ち、元のどことなく無感情気味の表情に戻っていた。
刺々しい雰囲気も消えており、その変わり身の早さに感心すら覚える。

「じゃ、行きますか」
「お、おい」
「ん? あ……」

出ていこうとする八神を引きとめる。
色々待ってくれ。自分は物分かりの良い方だとは思うが、流石に今は無理だ。頭の中で処理が追いついかない。
説明を求めるため八神を足止めしたのだが、八神は何を思ったのか「忘れてた忘れてた」と言いながら人形が刺さる壁に歩み寄った。そして徐に人形ごとペーパーナイフを壁から引き抜き、ペーパーナイフから人形を抜き取った。
よくそんなものを持てるなと、人形を手に持つ八神に顔を顰める。

「ヤマダさん」
「ひッ」

悲鳴を上げたオレに呆れたような視線を向ける八神に断じて抗議する。

「散々傍にいてなに怯えてるのよ、慣れなよもう」

今の状況に慣れたら最後、大切な何かを失ってしまう気がした。

「む、無理なのだよッ」
「ヤマダさん哀しいね」
「…………」
「身を挺して守った相手から『無理なのだよ!』って拒絶されるのは」

八神は見よがしに夜叉に寄り添い、ワザとらしく声のトーンを落とした。
だが何故だろう、心なしか夜叉の表情が哀しげに見えた。
オレの眼鏡は曇っている。そうだ、それしかない。

「緑間君は冷たいね」
『緑間様……』

四つの目――その内二つは血走っている、がオレをジッと見ている。
この視線に耐えられる人間がいるのなら会ってみたい。オレは耐えられない。

「わ、分かったのだよ」
「え、何が?」

白々しいとはまさにこのことだと思った。
恨めしげに八神に視線を投げるが、八神はしらーと我関せずの姿勢をとっている。こいつ。
ふーと息を吐き、唾を飲み込む。

「ヤ、ヤマ、ダさ、ん」
『…………』

果して名前を呼んでもいいものか分からなく試しに呼んでみたが何か言われることもなく、ホッと息を漏らす。

「守ってくれて、有難、う」

するとどうだろうか。
夜叉の表情がパッと明るくなった気がした。いやそう感じただけで実際は恐ろしい形相のままなのだが、醸し出す雰囲気が明るいと感じてしまった。
もうオレは駄目なのかもしれない。

「じゃ和解もできた事だし、忘れる前に食べちゃおうね」

八神はそういうと徐に人形を口元に持っていった。
ギョッとする。

「馬鹿っ、止めろ! お前は一体何をやっているのだよ!!」
「え、何が?」
「何がではない! そんなもの食う奴があるか!!」

幾ら普通とはかけ離れた八神だろうと、人間であることに変わりはない。そんなものを食べれば、腹を壊すどころの騒ぎでは済まされない。
オレが何を言っているのか分からないのか八神は首を傾げたが、次の瞬間「ああ」と気の抜けた返事をした。

「まさか、私は食べないよ」

そう言うと八神は人形を宙に放り投げ、では誰が、との科白を吐くより早く人形はヤマダさんの口の中へと消えた。
むしゃむしゃと口を動かすヤマダさんを唖然と見上げる。

「な、な」
「あ、安心して。緑間君のラッキーアイテムはちゃんとあるからね」

オレは一体何に対して安心するべきというのだろうか。というか八神の口から出る安心という言葉で安心できたためしはない。
ほら、と八神がペーパーナイフを差し出した。
予想を裏切らない八神の反応に、自嘲気味に鼻を鳴らす。

「そういう意味ではないのだよ――!!」

無人の校内に緑間の絶叫が轟いた。


back
×
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -