とある少女の怪異録 | ナノ

10

鳥が囀るより早く眼が覚めた。
だがすぐに起き上がる気も起きず、ただボンヤリ天井を見上げる。
どれ位の時間をそうしていたのか分からないが、カーテンの隙間から差し込む色が濃くなった気がして、そろそろ上半身を起こす。相変わらず頭も身体も重い。
温もりが残るベッドを抜け出し、顔を洗いに洗面所へ向かう。
顔を洗った後眼鏡をかければ、必然的に鏡に映る自分と目が合う。
顔色は最悪を極め、目の下には隈まである始末。なんて無様な姿だろうか、と自虐的な笑みを浮かべる。
こんな顔で練習に参加すれば何を言われるかなど考えるまでもなく、それに要らない詮索など真っ平御免だ。
赤司にも会う訳には――いかない。
歯を食いしばる。
今日一日。今日一日乗り越えれば、明日からまた日常が戻ってくる。だから。

「人事を尽くせ――真太郎」

醜く歪む己の顔に背を向ける。

サイン済みの誓約書を一瞥し鞄の中へ仕舞い、今日のラッキーアイテムも鞄に仕舞う。
本当は手で持っていたいのだが、モノがモノだけにいた仕方ない。
学校を休めと引きとめる母親を半ば押しのける形で家を出る。心配する母に対しなんて事をしてしまったんだという自己嫌悪に苛まれるが、如何しても休むわけにはいかない。
無事に学校から帰って来れたら――謝ろう。
一歩一歩踏みしめるように道を進み、誰とも擦れ違わないまま教室についた。
鞄を置き、直ぐに探索を開始する。時間はいくらあっても足りないのだ。
だがどれほど時間があった所で使い方を誤ればなんの意味もない。
チャイムが、鳴り響く。
それが第二ピリオド終了のブザーに聞こえた気がした、
何の成果も得られないまま、残されたチャンスが指の間からサラサラ滑り落ちる。
――それでも。
握りしめていた左手をゆっくり開く。
一欠片でもチャンスが残っているのならオレは諦めない。
担任の話を片耳に、帰り支度をする。そしてホームルームが終わったと同時に席を立つ。
誰とも目を合わせないよう足元に視線を落したまま談笑するクラスメイト等の間を抜け、教室から出ようと思った矢先、出入り口を塞ぐように誰かが立っている事に気づいた。
全く。苦情を言う為顔を上げるも、そこにいた人物に目を丸くする。

「無断欠席はいただけない」

できることなら赤司には明日まで会いたくなかった。
それでも会ってしまったのならやるべき事は一つだけだ。

「緑間、自分が何をしているか分かっているのか」
「…………」
「このままでは二軍落ちも遠くはないぞ」
「…………」
「何か言ったらどうなんだ。言い訳の一つくらい聞いてやる」
「言い訳などない。オレは、オレのやるべきことをやったまでだ」

そう言うや否や赤司の顔に影が落ち、鋭い眼光が身体を射抜いた。

「無断欠席がやるべきことだと、そう言いたいのか」
「結果的にそうなっただけだ。もういいか、オレは行く所があるのだよ」

教室には沈黙が落ち、クラスメイト等が聞き耳を立てているのが分かる。
これ以上恥じを晒す気は毛頭ない。
赤司の立っている出口を避け、前の方へ向かう。

「オレには話せない事なのか――緑間」

何も返さず教室を後にする。角を曲がるその時まで赤司の視線が背中に刺さっていた。
自分はどんな顔をしているのだろうか。
時折擦れ違う生徒がギョッとした目でオレを見ているのが分かる。
誰もいない図書室がある廊下を歩き、第二図書室と書かれた札が下がる扉の前で足を止める。
ふーと深く息を吐き、静かに扉を引き、足を踏み入れる。昨日同様、部屋の中には誰もいない。チラと準備室に目を向ければ司書の背中が見える。
本棚の間を抜け、最後の棚を抜ける前に八神の名を呼ぶ。そして依頼をすると続けて出てくる筈だった言葉は無人のテーブルを見た瞬間喉の奥に消えた。
――八神が、いな、い……? お、い。嘘、だろ……。
頭の中が黒く塗りつぶされる。
八神は昨日、確かに言った。依頼したければ放課後来い、と。確かに言ったのだ。
それなのに何故八神は――いないのだよ!!
焦りと恐怖と怒りで視界が歪み、此処が何処だかも忘れ、机に手を叩きつける。ジンジンとした痛みが掌を伝い、全身に回る。

「――貴方、緑間君、よね?」

突然名前を呼ばれ、驚きで顔が引きつる。
だが名を呼んだ人物が誰かと気づき、顔の強張りも自ずと解ける。

「そ、そうです、が」

窓越しの面識しかない司書が己に何の用があるのだろうか。
煩くしたことでも注意されるのだろうかと返事をすれば、司書は、はい、とでも言うように徐に右手を前に突き出した。その手に何か白い紙が握られている。
司書の予期せぬ行動に目を瞬かせていると、オレの思考を読み取ったのか司書はニコリと笑みを浮かべた。

「八神さんから、貴方が来たら渡してって頼まれたのよ」

まさか八神の名前が出てくるとは思ってもしなかった。
緊張からくる生理現象なのか口の中に唾が溜る。咽喉を鳴らし、司書から紙を受け取る。
そして司書は苦笑いを浮かべながら「図書室では静かにね」と言葉を残し、背を向けた。
司書の姿が見えなくなったことを確認し、手元の封筒に視線を落とす。
一体何が書かれているのだろうか。
封の所に黒で文字のようなものが記されている以外、柄も何もない真っ白い封筒を数回表裏と返し、震える指で封を開ける。

誓約書と依頼料を持って七時に校門前に集合

中に入っていた手紙にはたったそれだけしか書かれておらず、名前すらない。
ためしに紙を裏返してみたが、何も書かれていない。封筒を見ても、何もない。

「……おい」

普通はここにいない理由だとか、行けなくて悪かっただとか、せめて名前くらいは書くだろう。たった一文とは――ありえないのだよ、八神。
言いようのない脱力感に襲われ、引いた椅子の上に腰を落とす。
それでも、どれだけ悪態をつこうと心が軽くなったのは否めない。良かったと、安堵の息を漏らす。

これからどうしようか。いつまでもここにいるわけにもいかない。
いやどうせ誰も来ないのだから時間になるまで此処にいてもいい気はするが、部活に出ないという選択をした以上学校に残るというのはどうも落ち着かない。
司書に頭を下げ、図書室を後にする。
時間になるまで近くにある図書館に身を置こうと、早々に行き先を決める。だからと言って本を読めるかといえば無理な話だ。
空いているテーブルに腰を落ち着け、只管時計と睨みあいをする。止ってくれと願ったところで時計の針が止まる事はなく、変わらず時を刻んでいた。
約束の時間が押し迫り、掌がじんわり汗ばんでくる。
大丈夫だ。全て上手くいく。
八神を――信じるのだよ。
伏せていた目蓋を上げれば、校門に人影が見えた。
ラッキーアイテムを握る左手に力がこもる。

八神の前で足を止める。無言で八神を見下ろし、八神も無言でオレを見上げた。
此処でオレが第一声を上げなければ延々に会話はスタートされないだろう。
それこそ時間になっても、だ。八神はそういう奴だ。
鞄からサイン済みの誓約書と依頼料を取り出し、その二つを掴んだ左手を前に突き出す。
約束はどうした。何処へ行っていたんだ。何かあったのか。名前くらい書け。
言いたい事は山ほどあったが、もうどうでもいい。今はただ。

「オレを――助けて欲しいのだよ」

この恐怖から解放されたい。
八神の視線が下へと流れる。そして、八神は無言でその二つを手中に収めた。
無意識のうちに止めていた息を吐きだす。

「じゃまあ、行きますか」

顔を上げた時には八神の背中は数メートル先にあった。
何処までもマイペースな奴だと溜息をつき、大股で後を追う。

「おい、どこに行くのだよ」

無言で先に進む八神に耐えきれなくなり尋ねれば、八神は一言「中」とだけ、真っすぐ前を指差した。
指の先には夜になり独特の雰囲気を醸し出している校舎が。
中って、これから校内に行くという意味かッ。

「だが、完全下校時間まで三十分もないのだよ」
「ああその辺は心配しないで、少し伸ばしてもらったから」


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