とある少女の怪異録 | ナノ

09

窓がない第二図書室にいると時たまこういう事があるけど、今は何時だろうなと日がとっぷり暮れ黒に染まる窓の外に目を向けてから鞄の中から取り出した携帯に視線を落とす。
驚く程遅い時間ではなかった。なかったけど後三十分くらい早く帰るべきだった、と溜息が零れる。
たかが数駅。されど数駅。時間にすれば十分もしないで最寄りの駅に着くのは分かっているけど――満員電車はちょっと……。
朝は仕方がないとしても帰りの電車までおしくらまんじゅうは御免被りたい。
ならば答えは一つだけ。

「今日は歩いて帰ろう」

人っ子一人いない廊下に言葉を落とし、階段を下りる。
歩いて帰ったところで三十分やそこらで家には着く。
それなら何で電車通学をしているんだと聞かれるだろうが、それは勿論通学時間の短縮に他ならない、と言ってみる。
本音は三十分も歩きたくないのと、朝ギリギリまで寝ていられるからだ。中学生ってそういうものよね。
タンタンタンとリズムよく階段を下り、誰とも擦れ違わないまま一階に足をつける。
下駄箱へ向かいながら少し考え、印を結ぶ。

『凛様ッ、私申し上げましたよね! やたらめったら妖しいものに触れな、』
「――もう少しで気づかれるところだったんだけどな……」

「ねえ、ヨリ?」と意味あり気に彼を見れば、今にもマシンガン説教を始めようとしていた口がワナワナと震え始めた。これで今日の小言は回避できたと内心ガッツポーズをする。
それにヨリにも同じ気分を味あわせたいと常々思っていたところだったし、いつもいつも私ばかり責められるのは主人として納得できない。まあ、怒られるだけの理由は無くもないが、それでもどこの世界に自分の式に説教される術者がいるというのだろう。同業者に知られたら笑い話もいい所だね。

『あ、れはッ』
「あと数秒消えるのが遅かったらアレに気づかれる所だったんだけどな」
『ですが凛様の指がッ』
「なに、ヨリは私の所為だとでも言いたいの?」
『そうではありません!! 私はただ凛様のことが、』
「私いつも言ってるよね――勝手に出てくるなって。そんな簡単なこと、どうしてヨリは守れないのかな」
『凛、さ、ま』

今にも泣きそうに表情を歪め、顔面蒼白なヨリに少し言い過ぎたと反省する。
別に気づかれたってどうって事はない。アレがヨリに気づいた所でヨリが私の式だと見抜くとは到底思えない、精々偶然紛れ込んだ同類位にしか思わないだろう。そう冷静に考えれば分かるものだけど、冷静さの欠片もない今のヨリには無理だろうね。
縋るように手を伸ばすヨリから距離を取れば、ガーンという効果音がヨリの頭上に見えた。

「――ヨリ」

すっかり塞ぎこんでしまったヨリに仕返しも此処までにする。
名前を呼べばヨリはビクっと大きく肩を跳ねさせた。
それに勝手に出てくること自体なんとも思っていない。本当に出てこられると困る時には、まだやった事はないけど、それなりの対象法というものがあるし、これ以上苛めたところで結局ヨリが勝手に出てくる事に変わりはない。
それが分かっていて何でこんな事をしたのかと問われれば、やっぱりいつもの仕返しがしたかったのと――ただの八つ当たりだ。

「帰ろっか」
「……へ」

普段なら聞くことのない気の抜けたその声に、「なに、その声」と含み笑を残し、止めていた足を進める。
視ただけで気がつけなかった自分の底の浅さに嫌気がさした。
幾ら周りに優秀だ有能だと持て囃されたところでこのザマじゃね、と皮が剥がれ肉が丸見えの指を鼻で笑う。

『凛様……』

いつの間にか隣を歩いていたヨリにそれを聞かれたらしい。

「なんて声出してんのよ。これがどうってことない事くらい分かってるでしょ」
『……はい』

イマイチ納得できないと言った返事にしょうがないな、と心配症の専属秘書に呆れた表情を浮かべながら下駄箱から靴を取り出す。
右手に緑間君から貰った絆創膏を握りぱなしだった事に気づいた。
緑間君の押しの強さに負けて受け取ったはいいけど、正直こんなの貰っても仕方ないんだけどな。ほっといて治る怪我でもないし。
どうしよう、これ。
絆創膏を見ながらうーんうーん唸っていると、どこからか何かが落ちる音が聞こえ気が逸れた。
何だろうと思いつつも、まいっか、と取りあえず絆創膏を鞄の中に入れながら校門を目指し歩いていた矢先、視界の端で何か動いた。何かというか、誰か、だ。
暗くてよく見えないけど、シルエットからして多分女子だ。そしてしゃがみ込んでいるところを見ると、さっきの音は彼女が転んだか何かした音だったらしい。
私には全く関係ない上に、彼女はこちらに背を向けているから私の存在には気づいていない。このまま見なかったふりで通り過ぎても何も問題はない。
――ないけど。
チラと鞄に入れた絆創膏に視線を落とし、再び彼女を見る。
どうせ持って帰ったところで私は使わないんだし、ここは彼女にあげたよう、と彼女の元へ向かう。

「大丈夫?」
「え?」

声をかければ、女の子はビクリと肩を揺らし、恐る恐ると言ったように振り返った。
友人からよく「気配なく背後に立つな」と注意を受けるが、例にもれず彼女も私がそこにいた事に目を丸くしていた。
もう一度「大丈夫?」と問いかける。

「あ、あはは、ちょっと躓いちゃっただけだから、何か恥ずかしいところ見られちゃったね!」
「そっか、でもコレ」
「え」

恥ずかしそうに笑う女の子の目尻に涙の後を見つけたけど、本人が何も言わないのなら見なかった事にし、絆創膏を差し出す。
だけど女の子はただ絆創膏と私の顔を行ったり来たりするだけで、一向に受け取る気配が無く、かと言って私もそれにいつまでも付き合う気はない。女の子の前にしゃがむ。

「良かったらここに使って」

血が滲む膝小僧を指差しながら伝え、女の子の手に無理矢理握らす。
一瞬のデジャブを体感した後、「お大事に」と女の子に伝え、その場を後にする。
暫く歩いていると、ヨリがやけに静かな事に気づいた。それに隣にもいない。どこにいるのかと見回せば、数歩後ろを歩いていた。何故か目頭を押さえている。
もう何も言うまい。


点在する街灯と月明かりのお陰で明るく照らされた帰り道をヨリと二人、ぽつぽつ言葉を交わしながら歩く。勿論周りに気を配る事を怠りはしない。
だって傍から見れば私は独りでぶつぶつ喋ってる頭のおかしい中学生に見えるからね!
そうしていれば三十分の道のりもあっという間に終わりが見えてきた。
ただいま、と玄関の引き戸を引き、中に入る。奥から「お帰り」と声だけが返ってきた。
もしかして、と廊下を進み台所から顔を出せば、兄以外の家族で食卓を囲っていた。
ん? 兄さん以外?

「あれ、父さん帰ってたんだ」
『お帰りなさいませ』
「うん、ただいま」

今週いっぱいは帰らないと思っていた父親が味噌汁を啜っていた事に嫌な予感がし、微かに眉を顰める。
父の口が開く前に部屋に戻ろうと背を向けた直後、図ったように名前を呼ばれた。あーはいはい、なんですかと口にはしないけど、そんな表情を浮かべながら席に着く。

「仕事だよ」
「いつ」
「急で悪いけど、明日お願いね」
「えッ、明日!?」

本当に急だった。というか明日とか、いくら何でも急過ぎる。どれだけせっかちさんだよ。
それでも申し訳なさそうに眉を下げる父を見れば文句の言葉を飲み込みざるを得ない。それにその仕事は大方……。

「今日舞い込んだ依頼でね、どうも相手はお偉いさんらしいんだよ」
「だろうね。それだから今日帰って来たのね」
「悪いね凛」
「悪いも何も本家から言われれば断れないしね」

本家から下りてくる仕事にノーなんて言えるわけがない。だから父さんがそんな顔をする必要は何処にも無いし、私も仕事自体が嫌な訳ではない。

「んで、明日は学校休めばいいの?」
「いや、午前中の授業が終わり次第早退という形で大丈夫だよ」
「ん、分かった」

じゃあ、着替えてくるね、と席を立つ。
ただ急な仕事が嫌なだけだ。
――全く、面倒な仕事押しつけてくれて。
本家に対し恨み節を唱える。

『凛様、明日のことですけど』
「ん、ああ、そうだね、どうしよっか」

詳しい依頼内容はまだだけど、今日明日という急を要する依頼なだけに面倒なものが憑いてる可能性が高い。
――誰使おうかしら。

『いえ、そうではなく人形に憑かれた人間のことです』
「……ああ、そっか」

そっちもあったんだ。ちょっと忘れてた。そうか緑間君か。
緑間君が依頼するとも限らないけど、あの様子だと来そうな気はする。というか来るだろうな。でも約束した放課後に図書室には行けそうもないし。
うーん、どうしよう。

『……文を託す、というのは如何でしょう』
「文?」
『図書室に居ります人間に文を託すのです』

文……、手紙、か。
そっか。司書さんに緑間君が来たら手紙を渡してくれるように頼めばいいのか。
放課後は無理だけど、多分七時半には間に合うだろうし。

「うん、そうしよっか」
『はい』
「有難う――ヨリ」

ヨリの目尻に皺が寄る。
そうと決まればさっさと夕飯を食べて、手紙を書こう。でもその前にまずは着替えだ。
着ているカーディガンのボタンを外していると指先に痛みが走り、そう言えばこれも忘れてた、と右手人差指を目の高さまでもってくる。
治癒は得意分野ではないが、これ位なら自分で治せる範囲だ。
机の引き出しから取り出した呪符を指に巻き、詠唱する。
最後のフレーズを言い終え、呪符を剥がせば呪符に書かれていた紋様は消え、その下から現れた人差し指は綺麗な肌色をしていた。

「うん、上出来」

己の器用さに惚れ惚れする。


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