とある少女の怪異録 | ナノ

07

「……緑間君、キミ、何したの」
「は、なに、とは」
「このままだと明日には腕持ってかれるわよ」

瞬間、鈍器で殴られたような衝撃が頭部に走り、反射的に右手で左腕を握りしめる。
八神はもう、そんな事まで知っているのだな。
やはり少女の言っていたことは嘘ではなかったのだと、何処かに存在している冷静な自分が呟いた。

「というか何で数日でここまで悪化したのよ」
「そ、それは……ん?」

――ちょっと待て。
何故八神は数日だと知っている。
確かに八神にはオレには見えない何かが視えているのだろうが、それがいつ憑いたかまで果して分かるものなのか。

「何故お前がそんなこと知っている」
「え」
「何故数日前からだと分かったのだよ」

そう問えば八神は、言ってはいけないことを言ってしまったという表情を浮かべた。ここにきて何かを隠していた八神に疑いの目を向ける。

「言うからそんな睨まないで」

八神は観念したように大袈裟に両手を上げた。その姿は追い詰められた犯人のようだが、表情は全く伴っていない。

「何日か前、一昨日かその前か、廊下で緑間君と擦れ違った時に気付きました」
「気付いていたのならッ」
「言ったら信じた?」

八神の科白に口を噤む。
確かに今だから信じようと思えるが、あの時言われてどうしたかなど考えるまでもない。

「ならば何故、今話したのだよ」
「相談しにきたからよ」
「は」
「だからここに相談しに来たって事は、信じてなくても信じないといられない状況にいるからでしょってこと」
「だがここには誰もいないと」
「面白半分に来る人間を馬鹿正直に一人一人相手なんかする訳ないでしょ。ただ本当に困っている人の相談には乗っていたけどね」

――ああ、それもそうだな。
例え噂だろうと、噂を構築する“なにか”がなければ噂にはならない。
だがここで一つ疑問が浮かぶ。

「名前は、」
「名前? ああ何で名前が流れなかったのかってこと? それはまあ、色々とね」

その色々が聞きたかったのだが、八神は曖昧に笑うだけで答える気配はなかった。

「それでまた話しが脱線したけど、それが急激に絞まった原因は? 何したの?」

左腕に何があるのかは見えないが、いや見たくもないが、八神が口にする原因には心当たりがある。
何故ここに来たのか、その経緯を交え、八神に伝える。

「――……だから捨てたのだよ」
「え?」
「人形を――捨てたのだよ」

鞄から左腕の無い人形を取り出し、テーブルの上に置く。
いつ見ても気味の悪い人形だ。すぐに人形から目を背ける。
そしてオレを見る八神の表情は今までで一番の変化をみせていた。顔には驚愕した、とアリアリ書かれていた。

「緑間君、キミ、よく生きてるね」
「生きッ、なん!?」
「普通だったら即お陀仏しているところだったよ、それ」

声が出なかった。
思い付きでやった事がどれだけ危ない橋を渡っていたのか、いや命をかけていたのか、軽率な行動をとった過去の自分を罵りたい。

「何でだろうね」

八神は疑問符をつけながら左腕のみならず机の上に出ている上半身を流し見ている。
すると八神の視線が下の方から動かなくなり、どこを見ているのかと視線を辿る。その先には椅子に置いていたラッキーアイテムが顔を覗かせていた。

「それは今日のオレのラッキーアイテムなのだよ」
「ラッキー、アイテム?」
「オレは毎朝欠かさずおは朝の星座占いを見ては、その日のラッキーアイテムを持ち歩いている。だから例え占いの順位が悪くともラッキーアイテムが運気を補正してくれるのだよ。何故そこまでするのかと問われれば、オレは常に万全を尽くしたいだけだ。そうすれば自ずと結果もついてくるのだよ。勿論占いだけに頼っている訳ではなく、日々の練習や勉強も怠りはしない。だからオレは「まぐれ」や「頑張ればなんとかなる」と言った言葉が嫌いなのだよ」

息継ぎ無しで言い切り、ここまで説明すれば八神もラッキーアイテムがどれほど重要なのかが理解できただろう。
だが予想に反し八神はつまらなそうに欠伸をしただけで、返事はない。
オレの視線に気づいたのか、定まっていなかった視線が戻ってきた。

「緑間君、話長い。というか、それなら何でそんな重要なラッキーアイテムをその日は持ち歩いてなかったのよ」
「その日のラッキーアイテムは鬼の金棒(本物)だったのだよ。幾らオレでもそんなのモノ用意できる筈がないだろう」

数秒の沈黙の後、八神の口から「なんか、ゴメン」と意味の分からない謝罪が出てきた。

「――で、どうする?」

――何が、で、なのだよ。
八神の思考回路は一体どうなっているのだ。
たった今謎の謝罪の言葉を口にしたかと思えば、次の瞬間、同じ口から文脈などまる無視の質問が飛び出てきた。
本来なら日本語の何たるかを五分ほど説明したいところだが、今は我慢だ。

「……何がだ」
「え、緑間君の悩みを私に依頼するかしない、かッ!!」

八神の指が机の上に置いてある人形に触れるや否や電流が走ったかのようなもの凄い音が響き、同時に弾かれるように八神が手を引っ込めた。
あまりに突然のことで瞬きをするのも忘れてしまう。
一体何が起こった。感電、か? いや、音だけで発光はしなかった。というかそもそも人形から電気が流れる事など絶対ない。機械式なら未だしも、ただの人形なのだ。だが今のは明らかに人形に触れた直後に起こった。

「おいッ、それ!」

不意に八神の右手が視界に入り、目を見開く。八神の右手、人差し指が酷く爛れていた。そこは見間違いでなければ人形に触れた指だ。
早く手当てしなければと焦る俺を余所に八神の表情に変化はみられない。それどころか、慌てるオレに向かって「まあ、落ち着いて」と極めて冷静な口調で言い放った。
これで落ちつける人間がいたら是非とも会ってみたい。
鞄に常備している携帯の救急キットを取り出す。気休めにしかならないが、やらないよりはマシだろう。それでも話が終わり次第、病院に連れていかねば。
オレは自分が置かれている立場を綺麗に忘れていた。
だがひんやりした空気に首筋を撫でられふと我に返った。それと同時に今まで感じていなかった寒いという感覚が身体全体に伝わる。
おかしい。常に適温に設定されている校内で寒いと感じることなどある筈がないのだ。
どうしたのだろうか、と顔を上げれば八神と目が合った。
……いや、違う。八神の目はオレを通り越し、オレの背後を見ていた。
――誰か知り合いでもきたのか。
八神の視線を辿り、首を後ろに回しオレは――ひどく後悔した。

『サワルナ』
「ひッ!!」

あの時見た、眼球が無いことを除けば年相応の少女の顔からは想像できない程、少女の顔は酷く歪んでいた。
弾かれるように席を立ち、八神の後ろへ回り込む。女子の背中に隠れるなど普段の俺ならば絶対しないことだがそんな事言っている場合ではない。
背中が小さすぎて殆ど隠れきれていないのが現状だが、少女が見えないだけまだマシだ。
ここで机の下に隠れるという選択肢はない。
――視界を遮るものがなくなるのだよ。

『サワルナ』

ただ、一瞬であろうと少女のあの顔を見てしまった手前、声だけでも容易に少女の顔が想像できてしまい、隠れる意味は――あまりない。だがあれを目視するなど耐えられるわけがない。
少女が一言なにか言う度にビクつくオレとは対照的に八神は不気味なほど落ち着いている。
自分ばかりが振り回されている気がして気に食わないが、自分の反応こそがまともなのだと言い聞かせる。
あんなのを目の前にして物怖じしない八神が普通ではないのだ。

『サワルナ、サワル、ナ、サワルナサワルナサワル――……』
「ひいぃい」

狂ったように同じ言葉を繰り返す少女に八神の肩に置いている手に力がこもる。
時間にすれば数秒だが精神を削るには十分だった。
目を瞑り、ただ只管「終われ」と内で繰り返す。そうしていれば、いつしか声は聞こえなくなり、堪らずホッと息を漏らす。
固く閉じていた目蓋を緩める。

「――!!」

八神の肩越しに見えたものに息が止まった。
八神の顔から一センチもない位置に少女の顔がある。目を離したいのに離せない。

『ジ ャ マ ヲ ス ル ナ ラ シ ン ジャ エ』

少女は霞みのように消え、オレは完全に腰が抜けていた。
暫く夢で見る――絶対に。

「――で、どうする? 依頼する? しない?」

先程の話の続きだとばかりに、まるで今の出来事を体験したのが自分だけなのではと錯覚してしまうほどに平然と口を開いた八神にポカーンと口を開けていた。
そしてその異常なまでの冷静さに恐怖にも似た感情が込み上げる。

「だ、いじょ、ぶ、なの……か」
「ん、何が?」
「な、何がって、今のに決まっているがッ」
「ああ平気平気。緑間君は大丈夫そうでもないけど、まあ明日まで手は出してこないはずだから安心してよ」

果してそれが安心していいものなのか今の俺には到底分かりようもないが、八神の落ち着き払った様子に感化されたのか、膨れ上がっていた恐怖心が若干だが萎んだ気がした。

「で、緑間君どうする?」
「意味が分からないのだよ。今更依頼しないと言う選択肢などオレの中には無い」

下半身に力を入れ、立ち上がる。


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