『灰かぶり』 p5/p10


ふぅ、と安堵にも似た溜息を付いてアノニマスはにやりと口角を上げた。

「えぇ、そのまさかでございますよ。ここで、"犯人は騎士である"と断定いたしましょう」
「他殺なのに…?いや、"騎士が2人居て、その片方がもう片方とかを殺した"ってことなのよね?」
「無論、そうですとも。流石はお嬢様。―――ならば、何故騎士は5人を殺したのでしょうか」

物語の作者は優しく底の見えない笑みを浮かべ続ける。
たとえとしては最悪ですが――私が当主様がたを殺めるようなものでしょうかね? 口元と赤い右目に執事の笑みを浮かべたままさらりと言ってのけるものだ。

それに対してフィオリタは確かにたとえとしては最低ね、と小首を傾げ視線を落としながらくすくすと笑声をあげた。伏せられた碧眼は、長く白い睫毛で半ばほど隠されている。口元が笑う彼女の真意は全く窺い知れない。

「で、5人なんでしょ。その"死んだ5人の中に娘本人はいた"の?それともそれは否かしら」
「"娘は死亡しておりません"という返しにて。更に、"娘は王子を余り好いてはいなかった"と補足を致します」
「でも"王子は娘に入れ込んでいた"のよねぇ?」
「そうでございますとも。はてさて、お嬢様…お分かりになられたのでしょうか?」

彼女のような者が身につけるにはデザインが質素すぎるドレス。その黒に包まれた華奢な肩が、無邪気で無情な笑いにくつくつと揺れた。
高価な紅茶も安楽椅子もない塔の一室で、少女はゆっくりと執事を指差す。名探偵が犯人を告げる真剣さは何処にもない。ぴんと伸びる白い指と、簡素な寝台の硬く高い枕に肘をつく鷹揚さの対比が美しかった。


「娘は犯人である騎士をとても好いていたんだわ。王子との結婚を望まなかった娘は、丁度娘の護衛として家のすぐ外にいた騎士と5人を殺す計画を立てる。後は騎士が手を汚し家を出てしまえば一件落着、と見たわ。―――どうかしらぁ?」
一瞬の鋭い沈黙。
「えぇ、その通りですとも。動機を一発で当ててご覧になるとは、さすがはお嬢様」

アノニマスは笑みを深める。いっそ崇拝にも似た、倒錯しかける愛しみを右目に湛えて。彼は流れるような手つきで、懐から封筒を取り出した。かつてフィオリタの家が親書として利用していた――ゴシック調に意匠化された蛾の紋が描かれている、上質な羊皮紙製のもの。
封蝋のされていないそれを、少女に恭しく差し出した。それを見てフィオリタは長い睫毛に縁取られた碧眼をぱちくりさせた。すぐに女王の驚きは勝ち気な微笑へと変わる。

「よかったわ、アンタが無駄に負けず嫌いじゃなくて。」
「おやおや…まさか私がお嬢様相手に当てられる度に答えを変える、ようなことを致すとお思いでいらっしゃると?」
「さぁ?まー、そうなるのかしらね」

本人には普通の微笑であるというのに、挑むような嘲笑だと感じさせるこの傲岸不遜な表情はどうだろう。それはおそらく、周りの全てが取るに足らぬと思わせてしまう、阿片の存在そのもののごとく魅力的な容貌のせいだ。受けとった封筒から便箋だけを引っ張り出して、無用である封筒は無造作に捨ててしまうのは――磁器の滑らかさを持つ、たおやかな白い指先。
驕慢な女王の笑みはアノニマスが紡いだ悪意ある物語マリシャス・テイル の答え合わせを見ている。端正な字の羅列が途切れると、便箋も封筒と同様の運命を辿ることとなった。
はらり、と固い石の床に舞い落ちるまでが一連の作法。

金の懐中時計を取り出して、アノニマスは文字盤を見遣った。
いつの間にやら午後5時を指している。名残惜しい気持ちはあるのだが、時間だ。舞踏会で靴を落とす娘ほどでは勿論ないのだが、ある程度は急がねばならない時間になっている。

「それでは…私は、これで。次の時はまた、こんな"物語"を携えて参りますね」
「そうして頂戴、…中々楽しかったのよ」

慇懃に一礼して石造りの部屋の戸に手をかけた時、そんな返答が来た。彼女はにぃっと色素の薄い唇で弧を描いている―――ように、声だけを聞いていたアノニマスには思われた。退屈じゃないのが、大好きなんだもの。三食よりも暇潰しの方が欲しいわね。扉越しの、流れるようなメッゾソプラノが何故か痛ましく感じた。

もしあの方が此処まで美しくなかったのならば、…こんなことにはならなかったのでしょうか。顔の左半分を隠している奇妙な意匠の仮面が、夕日の照り返しを受けて不気味に輝いていた。



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