『人魚姫』 p5/p7


「嫉妬―――嫉妬、ねぇ」
「何かお分かりに」
「そうね。…でも分からないわ」
「左様ですか。しかし、何故」

吐き出したい激情は完璧な執事の仮面に隠す。
異形の美しさ故か、嘲弄以外の表情が乏しく見える少女の顔に、それとは違う表情が浮かんだ。
哀悼のような何か。

「きっと原典のように、人魚姫が王子と結ばれる為の障害か何かがあったんでしょう。それは他の女って形だったんでしょう」
「…えぇ。それが如何なさいました」

ぱっ、と少女が顔を上げる。
その眼光にアノニマスが思わず竦みそうになった。今更ながら、思い出す。
この白い異形が、少し前までは"神"と崇められていたことを。
それは、広い世界から見れば異端の―――存在してはならない宗教だったけれど。

だが千年以上前に愛を説いた大工の息子より、きっとこちらの方が甘美だ。
彼が神となった今はその男に触れることも、救いを与えられることも不可能。
神だろうが悪魔だろうが、今この世界に居るのならば同じだ。
どちらにせよ異端だろう。彼もそうであった。
そして目の前に居る少女もそうなのだ。
こうして異端の烙印を捺されて此処にいるのだから。遠ざかっていた音が聞こえてくる。
思考が遠くなっていたらしい。

「アノニマス? 聞いてたの」
「いえ、申し訳ございません」
「そう」
「…して、如何に」
「ならば理由は原典通りじゃないかしら、と思った訳だけれど」

魔女によって舌を失い、王子に気持ちを伝えることもできず、王子と相手の王女に嫉妬する。
そして、悲劇は起こった、と。それは当たりではあるが、外れだ。

「いいえ―――いいえ、"舌を抜かれながら生きていられる者など存在しない"のです、残念ながら」
「じゃあ"話せない"以外の障害があったということね?」

その問い掛けに、アノニマスは答えなかった。解釈によっては当たりで、外れなのだ。
それを見透かしたのか見透かしていないのか、白い悪魔はふい、とアノニマスから魔力ある視線を逸らした。
しん、と降りた沈黙。
きぃん、と穏やかな耳鳴りが襲う。身を委ねて目を閉じた。


20121021


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