『断章』 p1/p7



―――こんな夢を見た。在りし日最後の、あの風景を。

作り物じみた美貌を飾るにはきっと金銀宝石では足りなかったのだ、と今でもそう思っている。王侯などよりも、もっと、艶やかであるべきだと願う者がいた。それは天の父への―――否、王侯への冒涜だと怒る者がいた。この少女の為に、どれ程の人間が狂わされただろう。そして、その闇は少女本人の意思とは無関係に全てを浸蝕していく。美しさと言う名の罪だ。清楚に狂い咲く、毒花のような。

遠くで、鬨の声が聞こえた。
外套を隙間風に揺らして樫の扉を開こうとする青年に、自分は問い掛ける。

「お嬢様―――姫御前様は、どのような方だというのでしょうか」
「…解らないんだ。血縁上は僕の妹なんだろうけど、そんな実感はないかな」

それは、青年に対する問いの答えではなかった。

半開きの樫扉から細く見える塔の上に、その少女の姿が小さく見える。月光に燦然と煌めく長い白髪が、折れそうに薄い肩を覆っている。不機嫌に細められた青金剛石ブルーダイアモンドは退屈の色だろう。
気の向くままに船乗りを誘って殺す美しいローレライは、何も知らない――無知とはいえ罪を犯したことを。罪なき、罪。だから今これから、破滅を辿ってしまう。扉に手を掛けたまま、青年が呟く。

「でもね、確かに解ることはあるんだ」
「………………」
「きっと誰にだって解ることだけど」
「………………」
「あの子だって人間だよ。綺麗だけど…でも偶像になるために生まれたんじゃないよ」
「…………」

少女の兄である青年は、柔らかな金髪を血生臭い風に靡かせて言う。塔の上の少女に優しいが悲しげな視線を投げかけて。あの子に名前はないんだ、と呟いた時と同じ視線だった。その祈りが、願いが届くことなどないにも関わらず。その時の眼差しだ。ただ沈黙を守るしか出来ないこの身が、とてもやるせなく感じる。

「姫御前様、なんて言われるべきじゃない。父上には逆らえなかったから僕も何も言えなかったけど」
「…………」

その目に湛えられる、冷たい光に輝くのは涙なのか。優しい青年は口を開く。
君に頼みたいことがあるんだ。今となっては、誰よりも狡猾な君にしか出来ないと思うから。―――

青年は樫扉の隙間からするりと出ていって、その姿を消した。男の肩に残されたのは、重い沈黙と熾火のような執着だ。男は螺旋の階段を駆け上がっていく。あの塔へ。玄関ホールに満たされた沈黙が泡と消えるまでに、後どれ程の時間があるか解らなくても―――それが多くなく、むしろ少ないことは解る。その時間は、そのまま断頭台の露と消えるまでの時間を指しているのではないか。
恐れを振り払い、畏れを切り払う。崇拝と慕情は紙一重だ、きっとこれは決められたことだった。男は波打つ髪を外套のように肩に跳ね、一層豪奢な装飾の扉に手を掛けた。塔の一室が開け放たれる。




Malicious Tale
 (悪意ある物語 ―人魚姫―)


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