『散華のライラ』 p5/p7




――本文はなかった。
保存した日付と時間がそのままタイトルになっている添付ファイルを開こうとしたがその前に、コネクタにイヤホンを接続する。どうやら晶は、事情聴取の様子をスマートフォンで録音していたらしい。かち、と確かめるようにしてボタンを押すと、音声ファイルの再生が始まった。


「楓佳とはクラスメートってか友人です。死んじゃったって聞きました…まさか楓佳がって感じですね」
「そうっすよね…身近な友人が死ぬなんて、って感じですよね。あの、岡野さんは亡くなる直前――20:54から21:06の間下田さんと電話していたそうですが…どんなことをお話されましたか」
「本当に他愛もないことを話しましたよ。最近弓道の腕前が上がったような気がするとか、副担で弓道部の副顧問のゆーりちゃんのこんな言動が面白かったとか、楓佳が水野慧って人に告ってOKもらった――あ、そういやその電話そこで切れちゃったんですよね。その後は繋がらなかったけど…まさか飛び降りてたとは思いもしなかったな。電波のせいかと思って気にしなかったけど…」
「そうですか…因みに、下田さんと今喧嘩していたり、恨んでいるような人はいますか」
「さぁ…私が一時期喧嘩してましたけど今は仲直りしましたよ。恨んでるような人とかは解らないなー…思い付かないです、ごめんなさい」
「いや、いいんですよ。一つ聞いてもいいですか」
「今までも散々聞いてますよね。うん、どうぞ」
「岡野さんと下田さんの喧嘩の原因は何か教えてくれません?」
「あー…あはは…凄い聞いたらがっかりしますよ。――美味しい方はそばかうどんかでちょっとした喧嘩になったんです。何日か後にゆーりちゃんに会ったついでで聞いたら『残念、あたしは焼きそばパン派だ』って言われて…なぜか楓佳と息ぴったりに『それ邪道だから!』って感じで仲直り?みたいな。ひどいでしょ?」
「いや、あははは、超面白いねそれ!」


* * * * * *


展望台跡の下―――事件現場となったコンビニの近くで、晶は音楽を聞いて待っていたらしい。麻綾が来るなり耳から外して首にかけた真っ赤なヘッドホンからは、泣きたいのを堪えるような声のバラードが流れている。そのバックには、叩き付けるようなピアノの音。晶がポケットの中でごそごそと手を動かすと、不意に音は止んだ。空々しい沈黙。

「どうも、宮瀬刑事」
「椎名君…どういうことなの」
「いやいや、意外と単純なことなんですよ」

晶から今朝のような、無気力オーラは見受けられない。ただ目を伏せるようにしてくるりと踵を返した。ちょっと、と止めようとする麻綾に手招きして、晶はマイペースに歩きだす。いつもと立場が逆な気がする―――と心中で呟きながら、麻綾は慌てて後を追った。麻綾の半歩先を歩く晶が、独り言とも会話ともつかない奇妙なトーンで呟き始めた。隠し切れない静かな興奮を静かな声に滲ませて。

「まず、あの『矢が当たらなくなった』とかあった遺書だけど――あれは犯人による工作です。下田楓佳は岡野奈緒美に言ってたじゃないですか。『弓道の腕前が上がった気がする』って」
「それは岡野奈緒美が嘘をついただけじゃないの?下田楓佳と同じ部活の成瀬詩奈はそんなこと一言も言わなかったわ。同じ部活なのに、よ?」
「で、俺ちょっと聞き込んだら本当に上達してたって弓道部の顧問とか主将が言ってましたよ。だからあの遺書は下田楓佳が書いたものではない」

麻綾の反論をまるで空気のように扱い、晶は話を続ける。

「つか宮瀬刑事は少なくとも成瀬詩奈は犯人でないって思ってるんすか?」
「えぇ、そうよ。成瀬詩奈の悲しむそぶりは演技じゃないもの」
「そんなのいくらでも演じられますね。多分成瀬詩奈は頭がいいんだと思うし。――あるいは、悲しみ自体は本物であるとかね」
「どういうことよ」
「憎むだけが人間関係なんすか?好くだけが人間関係?どっちも同じように存在しうるはずですよ。…ま、ちょっとこれは後回しにしますね」

成瀬詩奈が犯人であるという可能性が高いと晶は言う。自分の仮説を根底から覆された気分だ。実際にそうなのだが。

「唯一、犯人像の名を挙げたのが成瀬詩奈。自殺説であるというような発言を繰り返したのも成瀬詩奈っすよ。『思い詰めていたのかな』とか『誰かに殺されるような』とか――他殺でなくて自殺と思ってほしい思惑バレバレというか」
「…そう言われればそうね」
「普通、友人が自殺するって方が何か考えたくないと思うんすよ。他殺なら犯人を恨めるでしょ?自殺なら、どうして気付けなかったって自分自身を嘆くしかない。だから自殺される方がつらいはずです」

麻綾の半歩先を歩きながら、きっぱりと断言する晶。ふわふわと跳ねた黒髪に隠れて表情は見えない。声のトーンはあくまで一定だった。

「俺の仮説が正しかったら、後日結果が出る鑑定――下田楓佳の携帯の指紋鑑定で、下田楓佳のより新しい指紋が発見されるはずです。何らかの理由で下田楓佳と成瀬詩奈が鉢合わせて、成瀬詩奈はおそらく成瀬詩奈に対し背を向けて通話中という無防備な状態の下田楓佳を突き落とし偽の遺書を下田楓佳の携帯に残した。それだけなんです、きっと」

歌うように話す、奇妙な仮面。自分が知っている、典型的なめんどくさがりはそこにいなかった。彼の足は止まっていた。もう展望台跡が目と鼻の先である。下田楓佳が突き落とされた場所の。

「ただ彼女は、事実と逆のことを書いたり、無意味に自分への謝罪を入れてしまった。それが、成瀬詩奈が犯人であるということを匂わせてしまった」

こんなところですよ、宮瀬刑事。麻綾はただ黙りこくるしかなかった。さっと天を仰げば、朧に星が見える。重い足を進めて、麻綾は漸くその人物の存在に気付いた。生温い風に髪を靡かせて、ぞんざいな仕草で右手に花束を持つ人物。立入禁止の黄色い境界を越えて、展望台跡の淵に立っている。今にも落ちそうな位置だ。麻綾と晶の足音が聞こえたのか、その人物は振り向いた。

「成瀬さん…?」

どこか表情が抜け落ちた、成瀬詩奈がその立入禁止の場所にいた。直立不動でそこにいて、風が髪や服、花束を揺らすだけだ。その小さな佇まいに、麻綾はひどく戦慄した。

「成瀬さん、そこは立入禁止よ。早くテープの外に出て」
「………」
「成瀬さん!」

成瀬詩奈は反応を返さない。いつの間にか黄色いテープの近くまで行っていた晶が、容疑者に優しく話しかける。

「下田さんを突き落とした犯人は君だろ、成瀬詩奈さん」
「……どうしてそう思うんですか」
「君はちょっと迂闊すぎたんじゃないかな。ねぇ成瀬さん、聞いてもいいかい」
「どうぞ」

成瀬詩奈は表情を全く変えない。全くの無表情から、全く。

「楽しかった?」
「……」
「あの、君が捏造した遺書。自分で、自分への謝罪を書いて楽しかったの? 事実を改竄して、下田さんがダメな人ってことにして――楽しかったかい?」
「………いいえ」

遠くで一筋、光の矢が走った。そういえばそうだ、昨日から明日くらいまでこと座流星群が見えるはずだ。

「どうして、下田さんを?」

成瀬詩奈の手から、花束がぽとりと落ちる。悪い具合に指に引っ掛かったらしく、花を束ねていたリボンが解け、ラッピングは無意味なものとなった。彼女は目を伏せている。真一文字に結ばれたままだった口元が、微かに動いた。そこから、ゆっくりと、言葉が溢れ出す。

「…わかんないです。だけど――仲はよくて、好きではあったけど、でも大嫌いでした。あんな…あんな幼稚な行動ごときで、しょっちゅう抱き着いて、みんなから可愛がられるなんて!」
「………」
「あいつにとっての頼れる相談役を演じるのにも疲れたんです。男子と中々仲良くなれないあたしにとって水野は多分初めての男友達だと思えました。そんなレベルのあたしが、男友達も女友達も数多い下田の、しかも恋バナなんていつまでも聞いてられるわけないのに! 眩しすぎてつらいのに! 何でそんなことあたしに言うの、嫌味かよ、って何回か言ったけどあいつは冗談と思って笑うだけだった!」
「…成瀬さんの愚痴を聞いてくれる人はいなかったの?」
「いません。あたしは相談する側になれなかったんです。ちょっとガサツで頼れる相談役――虫酸が走る言い方だけど。求められたあたしはそれだった」
「そう…それでもさ、」

麻綾からは晶の表情は見えない。だが、晶が強い眼差しで成瀬詩奈を見据えたような気がした。彼女は多分今にも泣き出しそうな視線でそれを見据え返しているのだろう。

「だからって――」
「知ってるよ、そんなこと」

だからって人を殺すのはダメでしょ? と続けようとしたらしい晶へ冷ややかに言い返す。興味を失ったかのように、成瀬詩奈はくるり麻綾たちに背を向けた。そして、つ、と夜の空を見上げる。しっとりとした春の宵に涙のように滲んだ星々。星を掴みたいというのか手を伸ばした成瀬詩奈はどこか酷薄な響きのある優しげなトーンで呟いた。

「あたしは昨日、流れ星に願いを掛けました。自分が幸せになれるようにって。そして、幸せになるために下田を突き落としました。…だけど、あたしは今日幸せな気持ちにはなれなかった。後悔していたんです、下田を殺したこと。嫉妬してて、大嫌いだったけど、友人なんですね」

薄ぼんやりとした、春の空に浮かぶ月の光が照らしたものは何だろう。一瞬、成瀬詩奈の頬にきらりと光るものが見えた気がした。

「あたしは流れ星に願ったけれど、心の奥底は『ただ燃えてるゴミに願いなんか叶えられない』ってこと、思ってました。だけどその時はそんなことを必死に心に押し込んで忘れようとした。でも、流れ星はただのゴミ。それは変わらない事実」

黄色いテープは、こちらとあちらを隔てる境界線。麻綾も晶も、刑事の身であるのだから越えられるはずなのに、その一歩が踏み出せない。自嘲するような表情と弱々しい言動と仕草に近付いて、言葉を掛けることはできなかった。

「…まやかしの希望ではあるけど、それでも人に希望を与えられてたかもしれないゴミの立場で満足してたかったな」

成瀬詩奈はそうぽつん、と呟いた。一陣の風が吹いた。しっとりした夜に反する、乾いて砂埃が混じっている風。麻綾の目に砂が入ったのでぎゅっと目を閉じた。風が止み、麻綾が砂による涙で滲んだ視界がはっきりしてきた頃―――麻綾は、下の方でどん、という鈍い衝撃音を聞いた。境界線の先に、成瀬詩奈の姿はなかった。



[←prev] [→next]


↓戻る↓
[MAIN/TOP]