龍神様と花嫁葛籠





「…またか」


身に纏っている藤色の狩衣の袖で、やれやれと口元を覆い眉根を寄せる。
同時に竦めてしまった肩から、弾みで長く美しい亜麻色の髪がさらりと衣を滑り落ちた。

神聖な朱い鳥居の下、彼の目の前に供えられた大きな葛籠(つづら)が一つ。

上品な麻の葉の透かし模様が入った白に始まり、色目を変えた柔らかく華やかな重ねの和紙が幾重もぐるりと巻かれており、紙と葛籠をひと纏めにする様にして慶事(けいじ)の証である紅白と金と銀の複雑な結びの水引。
それに加えて雅で豪奢な房付きの朱い組紐が花結びにされ、厳重に封がなされている。
それを前にしてこの地の主(ぬし)である彼は美しい顔容(かんばせ)の片側、左の目元に薄く走る古傷に指先で触れながら、無意識にそれを辿って深い深い溜息を吐き出した。

彼はこの竜宮と呼ばれる地の都において、龍神として古くから奉られている神様だ。
人々からは龍神様と認識されているが、便宜上自らを「総士」名乗り、都の外れ深い森と清んだ川の側に建てられた立派な社(やしろ)を己の神域と繋ぎ、この土地を守護し民を愛でて幾百の年月。
根っからに真面目な気質である龍神の総士は、土地に住む人々を慈しみ守るだけでなく、時として試練や困難も与えてきた。
それは天災であったり病であったり飢饉であったりと方法は様々で、人間達が奢らず怠けず、その生を正しくあれる様にと厳しく戒め導く。
しかしながら昔から人間と言う生き物はそうした神の意思をよく誤解してしまう。
課した試練に対しいつの時代でも「龍神様がお怒りなのだ!」とか、「総士様の怒りを鎮めて頂かなくては!」だとか言った具合に斜め上に解釈してしまうのだ。
その挙げ句こちらが要求してもいない物を勝手に捧げてきてしまう。
最初は祈祷や祭事を行い奉納する程度だったが、それに収穫した作物だったり家畜が添えられる様になり、次第に悪化した結果気付けば「生贄」なんて物騒な風習が生まれていた。
そもそも神事(かみごと)は血や穢れを禁忌としているのだ、少し考えれば生贄なんて発想は逆効果だと気付きそうなものを…。
しかし嘆かわしい事に生贄を要求する様な悪霊悪鬼が存在するのも事実で、また気まぐれに人の子を隠してしまう神も確かにいる。
そう言った未知の存在への恐れ故に考えが及ばないのも悩ましいところではあった。
結局、自分達神々に対しての尊敬や畏怖、それに信仰も数多く含まれている上での行いなのだ。だから手のかかる人の子は総士にとってやはり愛おしむべき対象だった。

そんな訳で今回も試練として少しばかり雨を降らせずに日照りを続かせた結果、お約束の様に供えられてしまった「ソレ」に生真面目な神様は頭を悩まされる羽目になる。


「まったく、困ったものだ」


葛籠からは明らかに命あるモノの気配を感じる。
中身が紛れも無い生き物だと察した総士は、複雑な面持ちでそれを確認すべく繊細に綾をなしている水引へ手をかけた。
複雑なそれを取り払い封印の証である花結びの組み紐をしゅるりと解く、覆われた和紙を一枚一枚剥がして蓋を開ける。

ふわり、と中から溢れ出てきたのは神の花とされる桜の香が焚きしめられた真っ白い布、見ただけで一級品と分かる美しく見事な絹地。
その白色の中で鮮やかな緋色の花を模した装飾布が咲き誇り、金や銀の破邪の意を込め編まれたであろう類の華美な綾紐が目の前いっぱいに飛び込んでくる。
これは都に伝わる特殊な伝統衣装で、特別な日に選ばれた者しか着用は許されない。
華やかな装いに包まれたその頭部に、特徴的な衣の一部である純白の綿帽子を目深に被っている。
裏地に用いられている紅い布がチラチラと見え隠れしているが、肝心の顔はすっぽり覆われ見る事は叶わない。それでも葛籠の中身がやはり生きた人間であった事は確認出来た。
そして総士はソレが人間にしてはとても清らかで稀有な気配と魂を宿す存在であることを察する。
それこそ自らの社に仕えている、神主や巫女といった神職の者達とでさえ比べものにならない。


「お前は?」

「…ッ……」


総士の問いに葛籠の中の人物がピクッと肩を跳ねさせ、緊張からか微かに震える手で頭にかかった綿帽子を静かに下ろし素顔を覗かせる。
艶のある黒髪は肩先で切り揃えられ、絹地にも劣らない滑らかな真珠の肌。柔らかな榛色の瞳は潤み、薄化粧を施され魔よけの呪い(まじない)である目尻の朱が鮮やかに映えていた。


「俺は…」


紅で染まり桜桃の実を思わせる唇がゆっくりと開く。


「姓は真壁、名を一騎と…」

「お前は一騎と言うのか。この地に住まう者でありながら神である僕に自ら名を名乗るとは、愚かな…」


神にとって名前と言うのは単に個人を表す記号ではない。
名を言の葉で冠する事により人は自らを呪で縛る。それを上位の存在に自ら告げると言う行為は、相手に魂を譲り渡すようなものだ。
神と言うものは全てが総士の様に理性的で穏やかな性質の者だけではない。八百万(やおよろず)幾百幾万いる神々の中には気まぐれであったり、残酷であったり、理不尽であったりするものもいる。
それに加え先にも述べた様に妖や悪霊等と言う悪意に満ちたものも存在した。
自分はこうして贄を捧げられても数日匿い記憶を奪って無傷で都へ帰してきたし、愛しい民が他の神々や悪霊悪鬼に攫われてしまわない様にと、都の長や巫女達に代々「何かあっても人外の存在には自ら名を差し出してはいけない」と固く伝承させてきたのだ。


「贄として捧げられたとしても、名さえ差し出さなければ気まぐれに隠される事も輪廻から外されてしまう事も無い。なのに何故だ…」

「うん、名前の事は分かって……ます。でも総士様…、あ、龍神様はいくら贄を捧げても受け取って貰えないから、きっと別のモノを所望されているんだって偉い人達が…」


一騎と名乗った人物は見た目の割に随分と幼い物言いと態度で、じっと総士を見詰めてきた。


「喋りにくいなら敬語は使わなくていい、名も総士と呼べ。許す」

「……総士」


ぽつりと呟かれた己を示す言の葉が、じんわりと優しく身へ染み入る様な心地を覚える。
総士を神と知りながらも過度に畏まる事もなく、柔らかな雰囲気の中に凛とした強さと慈愛に満ちた気配を保つ一騎。その存在は神である身に、この上なく心地好く好ましく感じられた。


「一騎、お前は神の愛でし子だな」

「うーん…多分、そうみたいだ。自分じゃ良く分からないけど、だから俺がここに来るのに選ばれたんだ」


穏やかな声音に悲壮感は微塵もなく、穏やかに緩んだ表情に総士は目を奪われる。
ごく稀にいるのだ「神の愛でし子」と言って、この目の前の一騎の様に人でありながら人でない魔物や神々を惹きつけてしまう存在が。
側にいるだけで、声を紡ぐだけで、淡く微笑むだけで、愛らしさが募り慈しんでしまう。
だからその好ましい魂と気配の持ち主に対し、総士はどうにも過保護な心配が先に立つ。


(こうものんびりとした性格では、都合良く利用され連れて来られたんじゃないだろうな?だが妙な気配も悪い業や因縁の類も感じない…)


一騎の様子も合間ってどうにもややこしい予感がしてならなかった。
先に述べた通り人間と言うのはとにかく発想が斜め上なのだ、神の意表をついてくるから目が離せない。

さてややこしいついでに先程から気にしない振りを続け、目を逸らしている事とも向き合わねばならないだろう。
一騎が着ているこの美しい装いについてだ。


「ところで、お前のその格好なんだが…」

「これ?あ、やっぱり似合わな、」

「いやとても良く似合っている。綺麗だ」


一騎に最後まで言わせず咄嗟に被せてそう伝えてしまい、総士は気まずさで思わず口元を衣の端で隠す。
一方の一騎は言葉を途中で遮られてキョトンと目を瞬かせていた。


(僕は何を言ってるんだ?!)


愛でし子の魅力とは恐ろしい。神である自分が人の子相手に揺さぶられてしまっていた。
これはよろしくない傾向である。なんせ神の執着と言うのは愛情深い分だけ恐ろしくもあるのだ。
しかし愛でし子だと言う理由を差し引いても、一騎を気にかけてしまいたくなる要素は十分にあった。
出会ってたった数分ではあるが、総士は神眼を使いこの一騎と言う人間を見通せば見通す程に惹かれてしまっている。
神様とはそういうものであり、見た目の美醜ではなく魂や心根の美しい者をことさらに慈しんでしまう。
目の前にいるその代表の様な愛でし子で、しかも僥倖な事に内も外も無垢で柔らかい美しさを備えていた。これはもう愛でるなと言う方が無理な話なのである。

だって可愛いのだ、もの凄く可愛いくて仕方ないのだ。
威厳と矜持でどうにか冷静さを装ってはいるが、総士としてはそれはもう甘やかし尽くしてしまいたい衝動と戦うのも必死である。


「これ、総士が気にいってくれたなら良かった。せっかく準備した嫁入り衣装だし」

「……………よ…め……?」

「総士?」

「すまない一騎。もう一度頼む、なんだって?」

「うん、総士が気に入ってくれて、」

「違う、そこじゃない!いや、気に入ってはいるがそこじゃない。その後の台詞だ」

「ああ、嫁入り衣装?俺は総士のお嫁さんになりにここに来た訳だし、コレ気に入って貰えて嬉しい」


その言葉に総士は本格的に頭を抱えた。
やはりと言うかなんと言うか…、一騎が纏う都に伝わる特殊な伝統衣装。特別な日に選ばれた者しか着用が許されないそれは、「婚礼の儀」で「花嫁」しか着用が許されない、いわゆる「花嫁衣装」と呼ばれるものだ。
分かっていた…、ああ、分かってはいた。
婚礼のための花嫁葛籠を鳥居の下に見付けた瞬間から分かってはいたが、もしかして、万が一、頼むから、いつも捧げられるお決まりの「生贄」であって欲しいと淡い願いを持ってしまった自分は悪くない。
いつもいつもいつも、見目好い生娘達を捧げられ彼女達を哀れに思い、手を付けず無傷で自分の記憶だけを奪い帰し続けた結果、女性は好みでは無かったのだと勘違いされ、それならばと男をしかも神の愛でし子と言う最終兵器を贈られたのだ。
どうしたものかと真顔になって悩み始めた総士をよそに、一騎はその場でスッと姿勢を正し、


「伏して願い奉る。猛き龍の神よ我が身に免じて怒りを鎮め雨をお恵みください。ふつつか者ですが今日より花嫁として誠心誠意お仕えさせて頂きます」


葛籠の中の狭い空間で一騎が恭しくに三つ指をつき、丁寧に頭を下げて雨乞いと嫁入りの宣誓を述べた。
そして口上を終えると総士を見て無邪気に微笑む。
本当に困ってしまった。笑うだけでこの愛らしさ、コレは本当に神に愛されるために生まれて来た存在なのだろう。

龍神としてこの地を守護して数百年。

やれ生贄だなんだと色々な物を一方的に捧げられ続けてきた総士だったが、まさか存在そのものが好みど真ん中で、どう足掻いても夢中になってしまいそうな予感しかしない可愛い可愛い「花嫁」を貰い受けたのは、後にも先にもこれが初めての事であった。




完?




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