砂時計のパラドクス 【paradox】:ギリシャ語で「矛盾」「逆説」「ジレンマ」を意味する言葉。 一見すると真理に反するようだが、よく考えると一種の真理を表していること。また、逆に一見すると正しくないようで、実際は真理をついている様子。 ある方向からは正当な道筋を通って導き出されたように見えるが、実は矛盾をはらんでいるという意味も含む。 『こいつは乗る人間の命を欲しがる!もう近づくな!…頼む……』 耳に残った声を思い出しながら、一騎はザインが格納されている施設を後にした。 封印され拘束布が施されたマーク・ザインの機体へ触れようとして、カノンに止められた手の平をじっと見詰める。 真矢を除く自分達の世代は既に現役パイロットを退いていた。 その結果残された特殊過ぎる機体マーク・ザインは、一騎以外誰も乗りこなす事が出来ず、コアを摘出した後に海へ沈められる予定となっているらしい。 乗り手を選び乗り手の命を欲しがる、同化現象の塊のような機体―― 誰しもがきっと『ザイン』に選ばれたのが『一騎』だったのだ、とそう思っている。 だから皆が自身の身を案じてザインから遠ざけようとする発言に、一騎は肯定も否定も出来ずただ曖昧に話を濁すしか出来ないでいた。 本当はそうじゃないのかもしれない事を、当の一騎だけは何と無く自覚していたからだ… 対フェストゥム専用、思考制御体感操縦式有人兵器ファフナー。 人間の手により作られた鉄の塊に、敵のコアを移植して生み出された人類の切り札。 神経系統と機体をニーベルングの指輪を介し接続することで、脳で思考した事を機体に反映し、機体が受けた感覚を自身の体で感じ取る事ができる。 自分はファフナーでありファフナーは自分だと思い込む事で、より精密に機体を動かせる仕組みになっていて、そしてその代償に『同化現象』が付き纏う。 ファフナーに乗る事は刻一刻命の砂時計を、サラサラと流れ落とし減らし続けている事を意味した。 そう、砂時計―― 流れ落ちるその砂をどう解釈するか。 砂時計と言う硝子容器の中の砂は「減って無くなってゆく」のか「流れ落ち増えてゆく」のか、どちらだと思うのが正しいのだろう? 上部にある透明の器にあった砂が減り落ち、重力に従い下部の同じ型の器へと流れて溜まってゆく。 砂時計と言う器の中で、本来交わる事の無い「減少」と「増幅」が同時に存在している。 減っているのに増えていき、増えているのに減ってゆくと言う矛盾。 果たして砂時計の砂は「奪われているのか」「奪っているのか」一体どちらなのだろう。 (砂時計の流れ落ちる砂、か…) 自分とマーク・ザインの関係はとてもこの砂時計の矛盾に似ていると一騎は思う。 そもそもただの鉄の塊の『ザイン』に存在を刻んだのは自分の方だった。 怒りに任せコアの単独再生に伴い、ドロドロに溶かし生まれ直させたのが『ザイン』だ。 融解した機体の中で自分の答えと感情を流し込み、存在の意味を書き換え自らの器として再構築させた。 それに加えて『ザイン』に限らず、多くのファフナーが人類最後の希望として生み出され、いずれも『同化現象』を前提として作られている。 乗らなければフェストゥムによって滅ぼされる、だから必要に迫られ生きるために乗るのだ。 命を保つために命を使ってファフナーに乗ると言う矛盾。 そんな矛盾と敵と戦うための兵器として、自分の器としての存在を人間はファフナーへ押し付ける。 だからファフナーから…、『ザイン』から最初に「何か」を奪ったのは自分達の方なのかもしれない。 どれだけ必要に迫られ抗えない状況であったにしても、間違いなく選んだのは一騎達人間なのだ。 同化現象により「奪われたと思ったもの」は「壊されたと思ったもの」は「塗り替えられたと思ったもの」は、全部ひっくり返して落ちてゆく砂時計みたいに『ザイン』へ蓄積され埋め尽くしているのかもしれない。 淡々と、淡々と、重力に抗えずに流れ続け、目方を増やしてゆく砂の様に。 一騎はニーベルング接続痕が残る己の手を眺めていた目をそっと閉じる。 来主操によって視力が回復した両の目は、途端に暗闇に包まれた。 そんな中で思いを馳せる。 きっとこのまま砂時計が流れ続ければ、やがて『ザイン』は一騎の全てをその身に移し、再び書き換えられる事になるのではないだろうか? 「奪って」「壊して」「塗り替えて」そうして最後は、一騎の命と存在のすべてを押し付けられるのかもしれない。 その事にどう感情を向ければ良いのか、一騎は形容し難い複雑な気持ちを持て余していた。 一線を退き楽園の雇われマスターとして、平和で穏やかな優しい時間に満たされれば満たされる程に湧いてくる焦燥感。 命のリミットが残り三年と分かっていて、このまま愛おしい日常と生に浸かってしまいたくなる反面、常に自分には果たさなければいけない「何か」がある気がしている。 不意にチリリと指の付け根の跡が痛んだ気がして、一騎は閉じていた瞼を開けた。 「分かってる。お前が俺を選んだ訳じゃない、俺がお前を選んだんだって、…ザイン」 残された命の使い道をもうずっと考えているけれど、答えは今だに見付からない。 だがもしもその時がきたならば、自分は果たさなければいけないのだろう。 自分と言う存在を選び刻み込んだ責任と祝福を――― そんな思いで一騎が発したその言葉は、誰に届く事もなく島の風に乗って青い空と海の狭間で溶けて消えた。 END |