ああ、愛する人、我が恋人よ。

死してもなおこの美しさ…

命を失えどその輝きは変わらず、まるで眠っているようだ。

唇や頬は淡く染まりまだ僕に微笑む君に、青白い死の影は見えはしない。

なぜ君はまだこんなにも美しい?そう、きっと死は君の美しさまでは奪えなかったのだ。

それでも死神までもが君に恋をし、暗闇へ囲っておこうというのならば、僕もここで永遠の安息に入ろう。

生に疲れた肉体は、不幸な星をふり落とす。



さあ、目よ見おさめだ。

腕よ最後の抱擁を。

唇よ、命の息の扉よ、聖なる口づけで封印を。


死と交わす、永久の契約…






















ュリエッタのためだけに
死んでやれないメオの話し


























いつだったかお互いに歩み寄り始めたほんの僅かなひと時の事だ。
一騎が島に帰ってきてまだ少しギクシャクしながらも、話をしようと僅かな時間を見付けては、顔を付き合わせて言葉を交わす事を始めた。
戦いが激化の一途を辿り、殆ど通う事が難しくなりつつあった学校で、珍しく二人とも登校していたとある日の放課後。
ほんの少しの平穏中で、茜色が染める誰もいない教室。
何を話していたのかそれまでの会話は思い出せないが、総士の記憶に染み付いている出来事があった。

閑散とした校舎内でも幾人かはクラブ活動に励んでいる様で、時折廊下を走り上履きが床を鳴らす音や笑い声が響く。
開け放した窓から風と共にグラウンドを駆けてゆく足音だとか、微かな話し声だとかが、何処か遠くから流れてくる。
戦時下でも平和を忘れないこの島らしいと思いながら、途切れ途切れ不器用な会話を繋げようと総士が思考を巡らせていたその時、

『ああ、愛する人、我が恋人よ。死してもなおこの美しさ…命を失えどもその輝きは変わらず、まるで眠っているようだ――』

朗々と響くその声はどうやら女生徒のもののようで、それまでの遠くの喧騒と違い少し近い場所から聞こえるそれに、総士も一騎もつい押し黙る。

『唇や頬は淡く染まりまだ僕に微笑む君に、青白い死の影は見えはしない。なぜ君はまだこんなにも美しい?そう、きっと死は君の美しさまでは奪えなかったのだ――』

続いて聞こえてくる声に、一騎がキョロキョロと辺りを見回した。

「…何だろ?」

別に盗み聞いている訳ではないが、恋だ愛だと情熱的な言葉が紛れるそれに、些か居心地が悪いらしい一騎は、気まずそうに視線を泳がせている。

「朗読か何かの練習だろう」

「え…」

「シェイクスピアだ」

キョトンとした目がこちらを向き、そう言えば子供の頃はよくこんなあどけない表情をしていた様に思う。
つい最近まではこうして視線を合わせても、戸惑いや後ろめたさ、疑念や怒りを含んだ眼差ししか向けられていなかったから、随分と懐かしいようで、それでいて新鮮にも感じた。

「ロミオとジュリエット位は知っているだろ?」

「名前だけは聞いた事あるけど…」

流石に一騎でも不朽の名作の名前位は知っていた様だ。
総士も文献としての内容や知識はあるが、実際に演劇として目にした事は無い。

「さっきのは舞台台詞の一節だ」

「どんな話しなんだ?」

少し興味を示した一騎に、総士は大まかな粗筋を教えてやる。

舞台は14世紀のイタリア。
敵同士のモンタギュー家とキャピュレット家が、血で血を洗う争いを繰り返していた。
そんな中、モンタギュー家のロミオとキャピュレット家の娘ジュリエットが恋におちる。
二人は両家に内緒で秘かに結婚したのだが、その直後にロミオは殺人の罪で追放されてしまう。
更に追い討ちをかける様に別の者との結婚を命じられ、追い詰められたジュリエットは神父に助けを求めた。
仮死の毒を使い時間を稼ぐが、この計画は追放されたロミオにうまく伝わらず、ジュリエットが本当に死んだと思い込んだ彼は彼女の亡骸の傍で毒を飲んで死んでしまう。
その後、仮死状態から目覚めたジュリエットも短剣で自害しロミオの後を追うのだ。
事の真相を知り、憎しみ合っていた両家はついに和解する――、と言った悲劇だ。

「何か、思ってたのと違う…」

存外血生臭く物騒なストーリーに、もっとロマンチックな話しかと思っていたと零す一騎。

「大きな犠牲を払わないと人は争いをやめる事が出来ないと言う教訓と、若さ故の愚かしさに対する戒めだと僕は考える」

この物語りはその悲劇性から切ない純愛だと感じる人が多いだろう。
許されない恋に身を投じ、その思いを一心に貫き通したが故の悲劇。
しかしロミオが弱冠16歳、ジュリエットに到っては14歳と幼く、しかもこの悲劇がたった五日間の出来事であり、二人が愛し合ったのは僅か三日。さらにこの件で六人もの人が死ぬと言う事実はあまり知られてはいない。
しかもロミオは最初ロザラインと言う別の女性に大層な片想いをしていて、そこからアッサリとジュリエットに一目惚れしてしまうものだから、総士にはどうしてもロミオが一途な純愛を貫いた男には思えなかった。
もっと言わせて貰えば行動も軽率で、親友を殺された怒りからジュリエットの従兄弟を殺めたり、良く確かめもしないで不確かな情報を信じ自害したり、物語りとは言え理解に苦しむ。

「じゃあ、さっきのって誰の台詞なんだ?」

総士が辛口の評価を漏らしていれば、一騎が不意に問う。

「ロミオの台詞だ」

仮死の毒を飲み柩に横たわるジュリエットが死んだと思い込み、嘆き悲しみながら彼女の姿を目に焼き付け、最後だと腕に抱きその命を捨てて、永遠の死を彼女と分かつために口づけをするシーン。

「…そっか」

ポツリと、たったそれだけ口にした一騎の顔を見て総士は動けなくなった。
なんて顔をしているんだと、唇は微かに悸くのに声が出てこない。
夕暮れの光りに浮かぶ泣きそうな、でも眩しくて愛おしむような一騎の表情。
胸が痛くなる程に切なくなって、総士の心の奥をジリジリと焼き焦がす。

「何故…」

ようくそれだけを搾り出すように口にした。
何故そんな顔をするのか?と、その言葉だけで、総士が何を聞かんとしたか理解したらしい一騎は、

「さあ、何でだろ?」

と、曖昧な笑顔を浮かべただけだった。
奇しくもジュリエットと同じ14の年、一騎が見せたこの表情を、総士はずっと忘れられずに記憶の片隅に留め置く事になる。












医療ブロックから隔離された部屋。
静かなその室内に総士は一人足を踏み入れた。生命維持のポッドから発される僅かな機械音と電子音だけが響く。
島に帰還する寸前、総士と暉は激しい同化現象に襲われ、真矢は人類軍に連れ去られてしまった。
ボレアリオスの援軍と島の合流が少しでも遅かったら、恐らく全滅していただろう。
一騎もまた同化現象に見舞われながらも戦闘を強行し右腕を消失。
激闘の末マーク・ザインは融解し焼け焦げ、そんな惨状の中からかろうじて命をつなぎ止めた状態で発見された。
ポッドの一部、透明な材質のそこからは赤い水に浸かった一騎の顔が見えて、髪がユラリユラリと液体に漂っている。
あの戦闘での苦痛を最後までクロッシングで共有していただけに、眠る一騎の顔が余りに穏やかで何と無く胸が詰まった。
白い肢体から伸びているはずの腕は片方を失い、切断面は緑色の結晶が覆い何とも痛ましい有様だ。
しかしこんな姿になってもその淡く微笑んでいるかの様な優しい顔は、何よりも尊くて美しかった。
これではまるで、仮死の毒で眠りながら愛しい人を待つ悲劇の乙女の様だと総士は思う。

今でも鮮明に思い出すあの放課後の教室での出来事。
あの時、何故一騎があんな顔をしたのか本当はずっと分かっていた。
いや、正確にはもうずっと…、それこそ五年の月日を経ながら嫌と言う程に思い知らされてきたのだ。

「羨ましかったんだろ?一騎…」

問い掛けても冷たいポッドに閉ざされた彼の唇からは、何の返事も無かったけれど総士は続けた。

「僕も羨ましかった」

しみじみと羨望を滲ませた言葉がこぼれ落ちる。

羨ましい。

そう総士も一騎もあの時羨ましかったのだ。
幼い愛に盲目になりその全てを捧げられた境遇と軽率さと愚かさが。
理解に苦しむと酷評した物語りの主人公、たった数日の愛のため互いに命を使い切った幼い恋人達。
そんな二人に羨望と嫉妬が浮かんで胸が軋んだのだ。
何故なら自分達は決してそんな風には生きられないから。
あんな風にお互いのためだけに命を使う事は出来ないし許されない。
あの頃、気持ちを告げるどころではなかったけれど、一騎も総士も言葉で告げずとも互いの存在が特別であると言う事は理解していた。
特別過ぎたからこそあそこまで擦れ違い縺れてしまったのだから。
出会ってたった数日の恋人に命を掛ける事が出来たロミオとジュリエット、自分達なんて幼い時からずっと想い合っている様なものなのに、それは二人には決して出来ない選択なのだ。

「一緒に死んでやる事は出来ない。ましてや眠っているだけと分かっているのに、その目覚めを待ってもやれず、お前を置き去りにして行く僕は、きっとロミオ以上に愚かで酷い恋人だな」

ずっと…、ずっと最後は人として命を終える事にこだわった。
それは生と死を学んだミールに従うと言う意味と、皆城総士と言う人間としての曲げられない矜持でもあったけれど、心の何処かで死した後の魂位はお互いの物になれるんじゃないかなんて、そんなささやかな感傷が無かったと言えば嘘になる。

『消えた後もきっと貴方の命は続く。――もう一つの島に新しいミールが根付く時、貴方と貴方の器が生まれ変わる』

真矢を助けに行くため島を出る許可を得る時、織姫から言われたあの言葉がどんな未来を示すのか、まだハッキリとは分からない。
ただ恐らくこの身体も心も魂のカケラでさえ、永遠に一騎だけの物にはなってやれないのだと言われた様な気がした。本当に酷い恋人だ。

「すまない…」

そっと一騎の輪郭を愛おしむ様に、薄い透明の板を指先でなぞる。
この平和だった数年余り、癒し包んでくれた穏やかな表情が赤い水の中で揺れていた。
あの放課後の教室で見せた印象的な微笑みとタブって、総士は切なさで己の目が潤みそうになるのを唇を噛み締めて耐える。すると…

『行け、総士』

頼む所か命令してきたあの時とは違う、優しく許す様な声音でそう言われた気がして目を見開く。
フェストゥムのコアに留めを刺そうと無茶に力を使う彼にやめろと叫んで制止したあの一瞬、クロッシングを通し振り返って微かに総士へ微笑んだ気配と一騎から流れて来た感情が思い出される。

(ああ、そうか…)

軽く瞼を閉じ左側の傷を己の指の腹でなぞり、再び目を開けそっと頷く。
そもそも運命を嘆き仮死の薬を飲むようなか弱いお嬢様だったなら、あんな無茶な戦い方はしなかっただろう。

「必ず帰る、待っていてくれ」

この約束をするのは二度目だと、総士は少し複雑そうに笑みを浮かべる。

「それにしても触れさせてもくれないのか?」

もしかしたらこうするのは最後になるかもしれないと言うのに、ポッドの中で眠り続けていたら抱擁も口づけもさせて貰えないと愚痴った。

「僕も酷いがお前も中々につれないジュリエットだぞ」

起きていればきっと「何馬鹿な事言ってるんだよ」だとか「変な事言って、ちゃんと寝てないだろ?」だとか、少し頬を染めながら呆れている姿が浮かんで無性に恋しくて愛おしくなった。しかし、

(…感傷に浸っている暇はない)

いつか自分が言った言葉を今度は自分自身に言い聞かせながら、覗き込む様にして網膜に一騎の姿を焼き付ける。

「行ってくる」

硝子越しにそっと一つ唇を落とした。
永遠の死を分かつ契約の口づけはしてやれないから、せめてこの想いを抱えて確かに生きたと言う証明を込めて。

そして総士は振り返る事なくその部屋を後にした。

昏昏と眠り続ける愛しい人を一人残し…




END