エステル
レイピアを構える彼女の顔は真剣そのもの。
空気がぴりぴりと小さな音を発しているような緊張感。
「行きます!」
「いつでもどうぞ、お姫様」
彼も彼女の剣を受ける為に構えた。
臨時家庭教師という肩書きを頂いた彼は、至って普通の人間だった。
叔父の背中を追いかけて、数年騎士団に身を置いたりもしたが、父の体調悪化に伴い退団した。
家業を継ぎ、今を生きるのに精一杯な普通の若者だ。
それでも騎士団退団時に上司に言われた。
その腕を無くすのは惜しいと。
その結果がこれだ。
給金に釣られた感は否めないが、それ以上に神経をすり減らしている。
お姫様と手合わせだとは聞いていなかった。
せいぜい新人教育くらいだと。
「考え事をしているなんて余裕ですね」
「せっかくのチャンスを口にせずとも攻め切ればよいものを」
「それは……」
「卑怯だとはいいませんよ。戦術の一つです」
彼は彼女のレイピアを弾き飛ばした。
その後ですぐにエステリーゼの手首に触れる。
怪我をさせたとなれば、どんな罰を喰らうかわからない。
地下牢の正座でなんか終わりやしないだろう。
物理的に首を斬り落とされ――恐怖の想像は止めにしようと頭を振った。
「……ありがとうございます」
「お礼を申し上げるのはこちらの方ですよ、皇女殿下」
「わたし、何もしていませんよ?」
そう言った後で、彼女は不満そうな顔を隠しもせずに曝け出した。
今の会話の何処に不満を植え付ける要素があったのかと、冷汗を流しながら繰り返していると、先に口を開かれた。
「……その呼び方、少し、嫌です」
「呼び方、ですか? エステリーゼ皇女殿下以外に何と呼べばよろしいのか解らないのですが」
心底わからないと顔を見せるため、エステリーゼはむくれた。
幼い子どものような反応が可愛らしいと思ったが、口にはしないでおく。
彼女の不機嫌の理由を聞こうと剣をしまい、膝を折る。
「何だか、距離が遠すぎて、寂しいです」
可愛らしい言葉に舞い上がってしまったが、彼女との身分差を考えれば素直に頷いたりはできない。
「わたし、この間、仲のいい間柄では愛称で呼ぶということを知りました。わたしたちだけの愛称を決めませんか?」
瞳を輝かせながら、彼との距離を埋める。
宝物を見つけた子どものような反応。
城に閉じ込められている次期皇帝候補となれば、自由もままならないのだろう。
「姫様が名付けてくださるのならば、喜んでお受けいたします」
「では、わたしの愛称は貴方が考えてくださいね」
とんでもない事態になってしまった。
センスの欠片すらないことは、彼の周囲の人物の折り紙付き。
これはますます首が飛ぶかもしれないと考えた。
2017/04/30