ベルベット×両片思い
潮風は強くこの船を押す。
色々見て来たなと一人小さな溜め息を零した。
たくさんのものを見て来た。
美しい景色も醜い感情も、世界の欠片も全体像も何もかも。
『すべて』だなんて言えないけれど、一人では見られなかったもの、目を逸らしていたものばかりだ。
自分の世界が大きく姿を変え、広がった。
心の奥底が引き上げられるように動いた。
「あんた、こんなところで何してるの?」
綺麗な黒髪を風に靡かせながら話しかけてきた彼女・ベルベット――『災禍の顕主』と呼ばれる業魔――は、首を傾げそう問いかけて来た。
彼の世界の扉を強引に開いたのは彼女だ。
初めて会った時より随分と柔らかな雰囲気を纏っている。
話しかけやすくなった。
人が近づくようになった。
……一言で言うならば、複雑だった。
最初の頃のベルベットは、少しだけほんの少しだけ怖かったけれど、今の彼女は……。
「ちょっと、聞いてるの? 一体何を考えて――」
近づいて来た彼女との距離を一気に埋めてみた。
近すぎるそれに驚いた彼女が息を飲んだ。
反射的に左手が動いたのが見えて、すぐさま元のいつもの距離感へ。
今は未だ喰われるわけにはいかない。
「人生の分岐点が何処にあるかなんて、誰もわからないんだなって思ってたんだ」
「人生の……分岐点……?」
彼女の脳裏に浮かんだのは、トラウマと呼べる映像だろう。
齧る程度に聞いた話だけ。
それでも、息苦しさを覚える内容だったのは確かだ。
彼女はそれを目の前で見た。
彼女の柔らかな心に傷を刻み込んだ『彼』を許せやしない。
だから、こうして共に歩んでいるわけだけれど。
「ベルベット、俺は――」
右手人差し指で制された。
そこにあるのは、いつもより随分綺麗な笑みだと思う。
言葉にするなと止められたけれど、そこに大した不満はなかった。
むしろ安堵している自分に気づかされた。
このままでいいなんて、『逃げ』だろうか。
***
言葉にするのは苦手だとベルベットは思う。
今の自分の状況を考えたなら特に。
色恋沙汰に現を抜かすつもりはない。
復讐の手を止めようとは思わない。
この胸に溢れる激情は『あの日』から何一つ変わらない。
それなのに、不意に訪れるこれの扱いに少々、ほんの少しだけ悩んでいた。
彼が微笑む、彼が傍らに立つ、共に戦ってくれる、歩んでくれる。
胸の奥がざわついて、落ち着かなかった。
こんなベルベットを見たら、シアリーズは何と言うだろう。
左手をそっと見つめ、それから彼に向かって声をかけた。
「悪いけど、ちょっと付き合って!」
2016/10/10