向日葵の影法師

 エスコートよろしく


3 エスコートよろしく



郁は激しく緊張していた。

それはもう今すぐ何かを吐き出してしまうほどには緊張していた。

指先は冷たくて小刻みに震えている。

心臓は鎖が雁字搦めに巻き付いているからそれから逃れようとしているかのように、激しく動き回っている。

体が自分の意識下から離れてしまったみたいだ。

郁は今駅前に立っていた。

人波が引いた落ち着いた駅前。

もう間もなく待ち合わせの人物は現れるだろう。


「郁」

「ひゃい!」


舌を噛んだ。

痛い。

あと、バカっぽい。


「……おはよう、凛くん」

「ああ」


気を取り直して朝の挨拶。

挨拶は大切だから。

向かい合って立つ二人はどこか違和感が拭えない。

この場を動かすのは郁か。

深呼吸一つして話しかける。


「デート、とは考えたね」

「だろ?」


恋人らしい雰囲気を学ぶにはかなり効果的だと思う。


「どこへ行くの?」

「郁はどこに行きたいんだ? リクエストには応えてやるぜ?」


デートの定番と言えばどこだろう。

遊園地?

映画館?

ショッピング?


「……水族館に行きたい」

「水族館か」

「うん。イルカ見たい。……え? 何で不機嫌になってるの?」

「別に」


別にと言いながら、明らかにご機嫌は急降下。

何がマズかったのかと自分の発言を思い返してみる。

もしかして、水族館にトラウマでもあるのだろうか。

そしたら、不機嫌な理由もわかる。

それとも……。

考えたところでわかるはずもない。

郁と凛の時間はまだ短いのだから。

下手な謝罪はさらに事態を悪化させる。


「エスコートよろしく」

「あ?」

「初めてなので、よろしくお願いします」

「……初めて?」


今まで不機嫌色を消さなかった凛が驚いたように目を丸くした。


「デートらしいデートが初めて……。あ、これも本当のデートってわけじゃないから、カウントするのはおかしいか……」

「カウントしたければすればいいじゃねえか」

「……ちなみに凛くんは何度目ですか?」


鼻で笑われた。

それがどういう意味なのか聞かないでおこう。

郁の意見は尊重され、二人は水族館へ向かった。

ほどほどに混雑した休日の水族館。

凛がさりげなくチケットを買ってくれた。

払うと言っても聞き入れられない。

こういう場合、どうしたらいいのかわからない。

真剣に悩み始めた郁を呆れたように見つめ、凛は彼女の手を取った。


「!!」

「迷子防止。とかじゃねえけど、練習な」

「は、はい。よろしくお願いします」


真面目に返す彼女が面白くて、凛は気づかれないように笑った。

水槽の中を気持ちよさそうに泳ぐ魚たち。

ライトアップされたガラスの中の景色はどんな風に見えるのだろう。

キラキラ輝くソレか、見世物にされている絶望感か。


「郁、何かどうでもいいこと考えてねえか?」

「ん……。そうかもしれない」

「だったら、止めろ」

「……はい」

「楽しい話でもしようぜ」

「楽しい話……。あ、そう言えばね」


ぱちんと手を叩き、郁は声を弾ませる。


「私、歌を歌えるかもしれないの」

「歌?」

「うん。発声練習とかリズムレッスンとかしてるの。上手くいけばCDデビューできるって!」

「……」

「凛くん?」

「そうか。良かったな」

「……うん」


自分はまた何か間違えたのかもしれない。

ほんのわずかな間、微妙な空気、声のトーン。

間違っていると思うのだが、凛が寂しそうに見えた。

特別盛り上がることも盛り下がることもなく、微妙な空気の中、水族館デートは終わりを迎えた。


「凛くん」

「ん?」

「……今日はありがとう。貴重な休みをごめんね」

「ばーか」

「……バカですよ」


ふくれる元気などなくしゅんと落ち込むと頭に優しい温もりが乗せられた。


「凛くん?」

「来たくて来たんだ。誰に強制されたわけでもねえ。お前が謝ることなんて何もないだろうが」

「そ……だね。ありがとう。また付き合ってくれる?」

「『彼女』サンが望むなら」


演技のための役柄なのに、凛がその言葉を言うと、どきりと心臓が跳ねた。


「……私、江ちゃんのお兄さんだからって理由だけじゃなくて、凛くんのこと好きだよ」


発言の後、きっちりワンテンポとって口を塞がれた。

大きな手に呼吸を阻まれる。


「りんくん?」

「黙れ。帰るぞ」

「ふぁい」


物語はまだ続く。



(2015/10/10)


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