幼い雨
外に飛び立った鳥籠の中の幼子。
夢見る空は遠く、もどかしいくらいに動かない翼。
このまま地に堕ちてしまうのではないかという不安。
身体の内側から食い破るように動き回る不快感はただただ苛立ちの種にしかならなかった。
***
「花礫」
ソファで横になっている彼の名前を呼ぶ。
しっかりと閉じられた瞳は彼女を映そうとしなかった。
無防備に眠っているようだ。
珍しいと思わず声に出すところだった。
そっと頬に触れる。
まだ文句は飛んでこない。
どこまで許されるだろうと彼の中に入り込む。
頬に触れた手に力を込めた。
柔らかい頬の感触を楽しむ。
普段こんな風に触らせてもらえないから、嬉しくてつい何度もつついてしまった。
自分はどれくらい彼の傍にいられるのだろうと、手を離して考えてみた。
今まで共に過ごした時間は意外と短い。
これから先はもっと短いかもしれない。
下手をすれば今日が『さよなら』だ。
下唇を突き出し、泣きそうな顔をしてしまっている杏樹の頬をすっと伸びて来た手が掴んだ。
「杏樹、いい加減ウザい」
「いつから起きてたの?」
「どうせ気づいてんだろ? 最初から」
「やっぱり。完全に寝てる感じじゃなかったもんね。花礫がホントに寝てる時って――」
「黙れ」
杏樹の言葉は強制終了を迎えた。
彼女が何を言いたいのか花礫にはわかったのだろう。
それでも言わせて欲しかったと杏樹はやや不満げだ。
「で、わざわざ寝たふりしていた理由は何?」
「……別に、理由は無い」
「ウソ」
「……たまには、杏樹が」
「?」
頬に朱が差した花礫は杏樹から隠すように顔を背けた。
何を言いたいのだろうかと探る杏樹に花礫は「鈍感」と呟いた。
これでも観察力はある方だと小さく膨れた。
「今日は怪しい空模様だね」
重ったるい空が広がっていた。
今にも泣き出しそうな空は一体誰の心を代弁しているのだろうか。
「杏樹」
「ん?」
窓から花礫へと視線を向けた瞬間、彼に引っ張られ、バランスを崩した。
伊達に輪の闘員をやっていない杏樹は直ぐにそれを持ち直したけれど、花礫は不満げだ。
「たまには可愛らしく身体預けろよ」
「うーん……花礫が大人だったら考えるけど、さすがに、ね」
花礫より数歳年上の杏樹は、彼の好意を受けつつもそれに流されたりすることは、絶対になかった。
「誰になら、その身体許してんだよ」
「言葉選んで。何だか誤解されそうだから!」
「……」
「はあ。花礫のこと、好きだよ。今まで会ったの中で一番。でもね。ううん、だからこそ」
「大人の言い訳なんか聞きたくねえよ。ホントに知りたいのは、杏樹の本音」
ばらせるはずがない。
花礫の生い立ちや彼がしてきたことを知っていても、彼は綺麗な子どもだ。
空を夢見て旅立てる子どもだ。
空から堕ちることしかできない杏樹とは違う。
「大好きだよ、花礫」
それ以上の言葉は選べず、額を合わせた。
幼い雨title:残香
(2016/11/29)