鉄分を返せ
「可愛いね、杏樹」
ぎゅっと抱きしめ、放さない。
幼子がぬいぐるみを抱くようにぎゅっと。
強すぎない、けれど逃げられないソレに、杏樹は小さなため息をこぼす。
生暖かい束縛に、そっと夢さえ見せる監禁に、ため息の量は増えてしまう。
日々降り積もる溜め息の塔は、どれほど高く聳え立っているのだろう。
「杏樹、どうしたんだい? 随分憂鬱そうだね」
誰のせいだ、誰の、と言ってしまいたいが、貴族様の前では遺書にしか過ぎない。
家畜として生きることと人間として死ぬことと、一体どちらに価値があるのだろう。
鼻で笑ってしまう。
笑わずにはいられない。
「まったく。いつも通り」
「いつもより、ちょっと可愛くない顔だねえ。何か不満があるのかい?」
フェリドは杏樹の襟元に触れる。
フリルをふんだんに使ったパーティドレスのような衣装を着せられていた。
お人形遊びだ。
その日のお気に入りの衣装を着せられる。
杏樹が着たいシンプルで活動性重視の服は一着たりとも見当たらない。
そこそこに露出が多い大人向けのものから、今の様にフリルをふんだんに使った甘いもの、無駄に職人芸が見える民族衣装を着せられたこともあった。
フェリドの趣味でその日の杏樹は飾られていた。
着せ替え人形、だ。
フェリドは彼女の髪をかき上げ、首筋にキスをする。
ぺろりと舐めてから、鋭い牙を突き刺した。
「うっ……」
一瞬の痛みが何時も嫌いだった。
否、訂正。
杏樹は何もかもが嫌いだった。
好きな物を挙げる方がきっと難しい。
そんな少女なのだ。
生命の水を堪能したフェリドは唇をぺろりと舐めた。
「ごちそうさま、杏樹。相変わらず、君は美味しいね」
嬉しくない褒め言葉。
それはいつものことだった。
杏樹は無意識に傷跡を押さえていた。
「痛くないだろう? 優しくしているんだから」
「……痛い」
「本当に? それなら、もう少し舐めてあげようか」
ちらりと見える赤い舌から目を逸らす。
ぞわりと背中を何かが這い上がったから。
「フェリド」
「ん?」
鋭い瞳を更に細められた。
怖い、わけではないけれど、楽しいわけではない。
溜め息を喉の奥で飲み込んだ。
「……フェリド、様」
「何だい、杏樹」
「ほうれん草とレバーとプルーンとあとは……。取り敢えず、その辺りのものが食べたい」
「可愛い我が儘は叶えてあげたいんだけどねえ」
「貧血」
「君に倒れられても、君が死んでしまっても困るからねえ」
本当に困るのかと強く言いたい口調だった。
フェリドはいつもこんな感じだ。
このまま永遠に籠の中の鳥で終わるしか道はないのだろうか。
王子様が解放しに来てくれたりしないのだろうか。
「杏樹。君の王子様はここにいるだろう?」
自分を指差すフェリドに溜め息を一つ吐き出し、届かない拳を放った。
鉄分を返せtitle:残香
(2016/08/23)