ありのままを受け止めるだなんて格好のいい台詞で君は納得できるのか
紅をさした唇にそっと触れる。
自分ではないみたいだと驚きを隠せない。
軽く化粧を施された顔は、まるで別人だ。
自分を『可愛い』と思ってしまう。
メイクをしてくれた人はまるで魔法使いのようだと思った。
普段の自分とは違いすぎる。
杏樹が身に着けている花嫁衣裳のような白いドレスは文化祭の衣装。
そう、彼女はクラスの出し物でお姫様役を射止めてしまっていた。
そこそこな台詞量も何とか頭の引き出しに詰め込んで、大根役者だと笑われるのも癪だから、演劇部で多少の手解きを受けた。
台詞を少しずつ詰め込み、それに相応しい表情も鏡の前で習得する。
立ち居振る舞いもお姫様らしく。
もっとも、本物のお姫様を見たことが無いから、杏樹のイメージである。
とにかく本番までかなり真剣に取り組んだ杏樹は真面目な学生である。
素直に褒めても罰は当たらないと思う。
褒められたら褒められたで、照れくさくて天邪鬼に変身してしまうだろうけれど。
「色瀬さん、動きにくいところはない?」
衣装担当被服部のクラスメートは、仕事人のような瞳で杏樹の全体に目をやった。
動きやすいし、そう重さもない。
それなのに、この存在感。
「天才って身近にいるものだね」
「いきなりどうしたの?」
「すごいなって思ったの。ありがとう。こんなに素敵なドレス着られるだなんて思わなかった。本番頑張るね」
「当然。色瀬さんは宣伝塔でもあるんだから」
クエスチョンマークを浮かべれば彼女は笑った。
「私の腕を皆に見せるいい機会ってこと。頼りにしてるわよ、お姫様」
なるほどと納得する一方で、嫌なプレッシャーをかけられたことに気づく。
身近な天才である彼女の才能を周囲に知らしめるのが、杏樹の仕事……。
劇中に観客を引き込みながら、衣装の素晴らしさも伝える。
これは演技力がものをいう出し物になりそうだ。
「色瀬さんってホント真面目だよね。そういうところ好きだけど」
クスクスと笑われてしまった。
自分は何かおかしなことをしてしまっただろうか。
問いかけても、彼女は嬉しそうに笑うだけだった。
***
迎えた本番。
緞帳の向こう側に感じる人の気配は、杏樹の心臓を急かせる。
「ダイジョブだって、色瀬さん。こういうのは、楽しんだモン勝ちだって」
王子役のクラスメートがにかりと笑った。
毎日グラウンドを走り回っている運動部の眩しい笑顔だった。
「頼りになる王子様で助かる。ありがとう」
「どういたしまして。そうだ。劇が終わったら、一緒に――」
「始まるみたいだよ」
ナレーションが物語の始まりを告げた。
小さな世界で姫君の命を輝かせる。
一人の人間になり切れはしないけれど、自分と違う存在を大勢に晒すのは緊張と程よい心地よさ。
……だと舞台を楽しんでいたのだが、長台詞で観客と向かい合った時、その姿を見つけてしまった。
薄暗くともわかる、赤。
『姫、私と共にこの国から逃げましょう。貴女はここで散っていい人間ではない』
『ありがとうございます。けれど、私は――この国と共に死んでいく運命だと理解(わか)っています。貴方は生きてください。私の分も』
二人は手を握り合い、見つめ合い、それから――。
***
「よお、お姫様」
王子役のクラスメートと劇の感想を語り合って――というほどではないが、話をしていたところへ彼は現れた。
「凛」
「誰? 色瀬さんのお友達?」
「ああ。すっげえ仲のいい『お友達』だよな、俺ら」
可愛げなく笑う凛に歩み寄る。
「ごめんね、話の続きはまた後で」
「んなもん必要ねえだろ。俺が感想くらいいくらでも……」
余計なことを口走りそうな凛の背中を押して、人ごみの中に二人は消えた。
「そうだ、杏樹」
「ん?」
キスする程のほぼゼロ距離で凛は囁く。
「私が凛から欲しい台詞はきっとそんなものじゃないよ」
「たまには受け取れよ。お前、要らないばっかじゃねえか」
「だって……。時間が過ぎたら消えてしまう様な言葉は要らない。ずっと此処に残る言葉の方が嬉しい」
杏樹は胸をトントンと叩いた。
重い扉に阻まれたそこをノックするかのように。
それはなかなか難しい挑戦だと凛は思う。
かぐや姫に難題を突き付けられた帝気分だ。
「凛?」
「俺はお前が好きで、お前は俺が好きだろ」
「……多分」
「何だそれ。まあいい。だからさ」
ありのままを受け止めるだなんて格好のいい台詞で君は納得できるのかtitle:残香
(2016/08/07)