君のために夜は明けるのです


風がカーテンを揺らす。

ふわふわと逃げるように踊るカーテンの端を掴む。

掴んだことでカーテンが更に風を包み込んだ。

今日はいつもより少し風が強い。

窓を閉めようと手をかけたところで人の気配に気づいた。

廊下側の扉へ目を向ける。

そこに立っていたのはわりと良くない噂を持つ同級生だった。


「何をしている」

「久我くん……?」

「今日は弾かないのか?」

「……知っていたの?」


フッと笑った。

綺麗な横顔だった。

彼は何も言わずに椅子に座って窓の外へ視線を向ける。

風が長い髪を躍らせる。

早く弾けと言われているようで、杏樹はピアノの前に座る。

そして、鍵盤に両手を乗せる。

一呼吸おいて、旋律を奏でる。

ここずっと弾いていた曲ではなく、彼女がピアノから距離を置くきっかけになった曲。

誰かに聞いて欲しくて、その誰かは他でもなく『久我恭介』だったようだ。

視界が歪み、鍵盤が見えなくなる。

それでも指は止めない。

止まらない。

最後の一音を弾き終わり、ゆっくり指と足を離した。


「いいメロディーだな。色瀬が弾く音が好きだったりする」

「久我くん……」


暴力事件を起こしたとは思えない優しい表情。

涙が勢いを増してしまいそうになる。

そんなの彼にとって迷惑以外の何物でもない。

必死で止めようとするとハンカチが差し出された。


「無理に止めようとするな。泣きたいだけ泣けばいい。誰かに言ったりしないから」

「こんなところ見られたら、きっと久我くんが泣かせたことになるよ?」


彼は少し考えそれから笑った。


「それは少し困る」

「久我くん、私……」

「色瀬、そんな顔をすると風が逃げていく。笑っていろ。その方がお前らしい」

「私、らしい?」

「ああ。初めて見た時、太陽のような笑顔だと思った。その顔が……」


久我は言葉を途中で飲み込んだ。

聞き返しても答えてくれそうになかった。

フッと意味ありげに笑った顔を見ればそれはわかった。


「色瀬、たまには見に行かないか?」

「スト部の試合? それとも練習?」

「両方、だ」

「久我くんってストライド好きだよね? もう走らないの?」

「……」


重い沈黙。

こうなるとわかっていても、聞かずにはいられなかった。

聞いたついでに伝えたい言葉を添える。


「私、久我くんの走ってる姿、好きだったよ。八神くんと支倉くんと三人で走ってるの見るの大好きだった」


過去形で話してしまったことにわずかな後悔。

それを振り払うように笑った。


「風と一緒に走る久我くんを見たい。また走ってよ。私、久我くんを……新しい方南スト部を見に行くから」

「色瀬……」

「知ってるよ。新入部員募集してるんでしょ? 2年の……何とかくんがケガして次の試合の出場自体危ういって」

「俺は……」

「走ればいい。風が呼ぶままに」


杏樹は笑った。

彼が言った太陽のような笑顔かどうかわからなかったけれど。

今彼女が彼に向けられる最高の笑顔。


「眩しすぎる太陽だな」

「え?」



君のために夜は明けるのです



title:icy



(2016/03/07)


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