短調に愛を乗せて


走っている姿が好きだ。

風みたいに走るその姿が。

速度を上げて風さえも追い越す。

その姿がとても好きだった。

初めて彼が走るのを見たのは、一昨年のことだった。

神戸U-15の選手として走る姿を見た瞬間、心を奪われてしまった。

それは一瞬の出来事だった。

心臓を乱暴に掴まれて体外に引っ張り出されたかのような衝撃。

インパクトのあるキャプテンにも目を奪われたけれど。

あの人は本当にすごかったと違う意味で過去を辿ってしまった。

一ファンとして遠い世界の人間を応援しようと思っていたのに、まさかの同じ学校で驚いた。

隣のクラスに行った時にその姿を見つけた時の驚きは言葉にしがたいだろう。

咄嗟に隠れてしまったのもいい思い出だ。

……訂正、かなり恥ずかしい思い出だ。

ただ隠れただけじゃなく、結構目立ってしまい結果として尊に見つかってしまった。

一瞬で顔を覚えられてしまった。

喜ぶべきか悲しむべきか未だによくわからない。

柔らかい幻のような微笑みが見れた分、良かったとするしかない。


「色瀬?」

「あ、ごめんね。邪魔をするつもりはなかったんだけど……」

「別に。邪魔じゃない」

「そ、そうかな。じゃあ、見ててもいい?」

「ああ」


スタートラインに立ち走り出す、風を切って。

スピードに乗って。

苦しそうに、けれど気持ちよさそうに走っている。

ゴールラインを踏んでゆっくり立ち止まる。

何とかこの感動を伝えたいと思うのだけれど、陳腐な言葉しか浮かばない。


「……言葉が欲しい」

「言葉?」

「あっ。えと、その……」


下手な言葉でもいいだろうか。

今この胸に溢れる感情を言葉にしても。


「自分の言葉が小学生レベルで泣けてくるって話」

「何か言葉にしたいことがあるのか。どんな言葉でも色瀬が伝えようと思ったら、きっと相手に伝わる」

「そう、かな」

「ああ」


こんな風に親しくなって、とても嬉しいのに、何故悲しくなったりするのだろう。

抱いた感情が変わってきたから?


「藤原くん。好きだよ」


届かないとわかっている言葉を吐く。

届かなくてもいいと諦めてしまうのは性に合わないけれど、EOS優勝の邪魔をするつもりなんてこれっぽっちもない。

真っ直ぐに前を見据える尊の瞳には、きっと優勝の輝きが似合う。

真っ直ぐに走り切った彼の姿を同じ場所で見たいと思うのが、今一番の願いだと思う。

この想いに応えてくれなくていい。

今は方南スト部のエースとして真っ直ぐに走ってほしい。

彼の道を阻むような感情は鍵をつけて閉じ込める。

この気持ちを伝える機会なんてきっといくらでもある。

……と思いたい。

人気者に片思いをしているのだから、そこは難しいかもしれないけれど。

知らないうちに彼女とかできていそうで怖い。


「色瀬?」

「藤原くん。応援に行くから、一番カッコいい走りを見せてね」

「カッコいいかどうかなんてわからない。俺は俺の走りをするだけだ」

「……そうだね」

「ん?」

「何でもないよ。藤原くんが……スト部が走るの見に行くね」


今はまだ何も知らずに笑っていたい。



短調に愛を乗せて



title:icy



(2016/02/05)


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