いつかの夏のワンピース
「……」
沈黙を口にしてみた。
こんな抗議で彼に届くことはないだろう。
『オムライスを食べたいから』
そんな呼び出しメールを受けたのは、夜もしっかり更け始めた時のこと。
明日の予習も終わったことだし、寝ようとしていた時のこと。
完全に寝る態勢だった彼女はしばらく悩んだ。
見なかったことにしようか。
気づかなかったことにしようか。
数分は悩んだだろうか。
結局その誘いを無視することはできなかった。
「こんな時間に女の子を呼び出すなんて、紳士としてどうかと思うよ」
「ちょっと迷ったんだけど、杏樹に会いたい気持ちは抑えられなかった」
「……そう」
天下のギャラスタ・レイジ様の微笑みに心が揺さぶられないはずがない。
が、彼を甘やかすわけにもいかない。
「怜治、常識は身につけようね」
「はいはい。今日行くところは深夜過ぎまで営業しているんだよ。珍しいよね」
杏樹の言葉なんてろくに聞いてない。
彼の目には今大好きなオムライスしか映っていないのだろう。
ふんわりとした黄色をケチャップまみれにしてやろうか、なんて悪戯心が刺激されたが、今日のところはやめておこう。
先に歩き始めた怜治が杏樹の前に手を差し出す。
「……どこで誰が見ているかわからないから、軽々しくそんなことはしない方がいいと思う」
「こんな時間に一緒にいる時点でそれは無意味だと思うけど?」
深夜の逢瀬。
手を繋ごうが、ただ雑談していようが、抱き合っていようが、すべて同じこと。
書かれるのは嘘八百かもしれない。
そちらの可能性の方が高い。
それならば、目的地へと急いだ方がいいだろう。
数秒悩んだ後、簡単な変装をした怜治の手を取った。
呼び出された場所からそう遠くないところに目的地はあった。
カランコロンと鳴るドアベルの音を遠くに聞きながら、足を踏み入れた。
席について注文を済ましたところで杏樹は口を開く。
「怜治、一回滅べばいいと思うよ」
「可愛い口から怖い言葉が飛び出すんだね」
「怜治限定」
「それは喜ぶべきこと、かな」
「さあね」
酷い言葉を嬉しいと喜んで受け入れられたら嫌だ。
そんなファンが引くようなことはやめさせなければならない。
美しき八代目を綺麗に終わらせるためには。
オムライスとミルクティーが運ばれてきた。
零時を過ぎる。
日付が変わった。
「……誕生日、おめでとう」
「杏樹に一番に祝ってほしかったんだ」
「……静馬くんに怒られても知らないよ」
「覚悟の上だよ」
本当に仕方のない人だとため息をつく。
呆れたわけじゃない。
こんなことで嫌いになったりしない。
どれだけの片思い期間を過ごしてきたと思っているのだ。
「もうちょっと素直に呼び出してくれても良かったのに」
「オムライスが食べたかったのも本当だよ」
「私とオムライスはイコール?」
「まさか。杏樹の方がずっと好きだよ」
「……そこを並べて比べられても複雑だけどね」
「女の子は難しいね」
様になるため息をついたから、頬を引っ張ってやった。
綺麗な肌を傷つけないように気をつけながら、だけれど。
「何笑ってるの」
「杏樹の指は綺麗だなって」
「……もう何も言わないし、何もしない」
「そんな冷たいこと言わないで」
頬杖をつき、怜治は目を細めた。
「好きだよ、杏樹」
「……ありがとう」
照れくさくて裏返った声は聞かなかったことにしてほしかった。
いつかの夏のワンピースtitle:OTOGIUNION
(2016/02/03)