お別れは雨の降る日に


カランコロンと軽やかなドアベルの音色が、静寂を漂わせる店内に溶けた。

窺うように中を覗き込んだ彼の顔を見つけたアンジェはそっと手を上げた。

そんなアンジェに気づいた與儀はいつもの笑顔をパッと浮かべてすぐに向かいの席に座った。


「お待たせ、アンジェちゃん」

「別に待ってないよ。私が呼び出したんだし……」

「そんなこと言って、結構待ってるよね。ありがとう」


少なくとも、お礼を言われるようなことではない。

アンジェはぷいっとそっぽ向いた。

照れ隠し、ではなかったと思う。

けれど、與儀の瞳にはそう映ったかもしれない。


「で、話って何かな? 楽しい話? 面白い話? 次の約束?」


注文を終えた與儀がまるで贈り物の箱を開けるような調子でアンジェに尋ねた。

わくわくとドキドキが詰まった瞳をこれから裏切るのだ。

涙もろい彼を泣かせてしまうかもしれない。

それでも、これは二人が前に進むために必要なこと。

アンジェの覚悟を揺るがせるわけにはいかない。


「與儀」


それは鈴の音のように軽やかな声。

今まで彼女が彼を呼んだ中で一番大人びた呼び方だったかもしれない。

いつもと同じつもりなのにいつもと違う自分に緊張感が侵食してくる。

自分の内部に誰かがいるような違和感。


「アンジェちゃん?」


名前を呼んだまま黙ってしまった彼女を心配して與儀が声をかける。


「大丈夫? 顔色良くないみたいだけど、どこか悪い?」

「……大丈夫」


下手な愛想笑いを返すのが精いっぱいだった。

大丈夫じゃないのは、きっと心の方。

痛んでいるのはきっと気のせいなんだと自分に言い聞かせる。

笑ってしまえば大丈夫。

頬が引きつっているのを無視する。


「與儀、あのね」


表へ出してと叫ぶ心。

それに向かって大丈夫だよと語り掛ける。

今すぐに外へ出してあげると覚悟を表すように唇を噛んだ。


「さよなら」


それは思ったよりも軽やかな、澄み渡った青空のような声音だった。

驚きはなかった。

最初に安堵が広がった。

ほっと息を吐いた後、そっと視線を交える。

ぱちぱちと音がしそうなゆっくりとした瞬き。


「えと……話の前にもうお別れ?」


與儀には上手く伝わらなかった。

聞きたくないと與儀自身が判断したのかもしれない。

現実逃避から飛び出した反応だったのだろう。

逆の立場でもそうだっただろうとアンジェは冷静に與儀を観察する。

ゆっくり瞳を閉じる。

わかっているはずだ。アンジェも與儀も。

自分たちの関係が一つの終わりを迎えようとしていたことに。

彼が心を痛める必要はない。

アンジェが幕を下ろせばいいのだ。

自分でその役を選んだのだから。

窓硝子に水滴がついている。

雨が降り出したんだとどこか遠くで心が呟く。


「もう二度と会わないと思うけど……貴方との時間はとても楽しかったよ。ありがとう。……バイバイ」

「アンジェっ……」


引き留めるように発せられた声に目を瞑る。

その声を見てはならない。

彼の表情を感じてはならない。


「どうしてっ!」


悲痛な声は拒絶したところでアンジェの心を乱暴に掴んだ。


「どうして? 與儀だって気づいているでしょ? もう……終わりだよ?」

「そんなの終わりじゃないよ。これから、だよ。アンジェだって……」

「ありがとう。さよなら」


それは本音、とちょっぴりの嘘。

後悔なんて心から溢れている。

一緒にいたくないはずがない。

彼といてどれほど幸せだっただろう。

それでも、ベストなタイミングなのだ、今この瞬間が。


「さようなら、與儀」


最後の言葉を残してアンジェは席を立った。

咄嗟に彼女の腕を掴もうとした與儀の手を避ける。

そのまま足早にその場を去る。

きっと與儀は追いかけてこない。

店を出た途端、雨に負けない勢いで涙が流れだした。


「大好き、與儀。だから貴方は輝いていて」



お別れは雨の降る日に



title:icy



(2015/09/01)


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