その日はいつもより穏やかに時が流れていた。

歴史学の厚い本を読むリチャードの傍で、レアルは政治経済の本を読んでいる。

あまり……いや、まったく楽しい内容ではないが、常識として必要な部分も多い。

リチャードより数倍遅いスピードで、レアルは文字を追っていた。



――トントン。



扉を叩く音に、レアルとリチャードは顔を上げる。

ちらりと時計に目をやれば、随分時が過ぎていたことに気づいた。


「失礼します」


入ってきたのは、騎士。

何事かと少々身構える。

彼はリチャードにラントからの訪問者を告げた。

驚いた表情をしたあとで、リチャードは嬉しそうに笑う。

間違いなく彼が『友情の誓い』とやらをした人物だ。

楽しそうに話をしていた時と同じ顔だから、嫌でもわかる。


「レアル、僕は少し出てくるよ」

「ボクも、行きます」

「君はここにいてほしいんだ」

「でも、あ、ですが……」

「レアル」


まただ。

あの時と同じように名前を呼ばれる。

このあとに続く言葉を聞きたくなかった。


「わかりました。お気をつけて」

「ああ、行ってくる」


レアルにさえ、微笑みを向けて見せた。

その友人に会えることが何よりも嬉しいのだろう。

元々静かだった部屋が、更に静寂を招く。

レアルには友人と呼べるような人間がいなかった。

親しい人間などほとんどいない。

たとえば、レアルがリチャードの護衛騎士でなければ、彼と友人になることはできたのだろうか。

無意味な仮定を考えていることに気づき、慌てて頭を振った。

どちらにしても、アリエナイのだから。

そっと仮面に触れる。

随分馴染んできた。

これがなければ、きっと、リチャードに近づくことすら叶わなかっただろう。

半分を過ぎた本へともう一度視線を落とす。

色々余計なことを考えたがる頭を振って、文章に集中させた。



思ったより早くリチャードは戻ってきた。

楽しそうな雰囲気を遠慮なく出す彼に、レアルは複雑な気分になる。

リチャードと出会って、楽しかったことはあっただろうか。

それ以前の思い出に、楽しかったことはあっただろうか。


「レアル?」

「あ、すみません。聞いていませんでした」

「大丈夫かい?」

「はい」


上辺だけの心配でも、無視されるよりは嬉しい。

リチャードは新しい本を手にいつもよりレアルに近い位置で座る。

その距離を多少気まずく思うけれど、不快ではなかった。

それはやはり、リチャードの持つ空気が柔らかくレアルを拒絶するようなものではなかったから。

本当の意味で穏やかな時間が過ぎた。


「レアル」

「何ですか?」

「今日はいつもより早く休むことにするよ」

「わかりました」


理由を聞かずに頷く。

それは、尋ねたところで答えてくれるはずがないからか。

それとも、興味がなかったからか。

レアルは自分自身に問いかけたが、答えは出なかった。

選択肢が他にもあったことに気づいていなかったから。



「そろそろ失礼します」

「また明日」

「はい」


頭を下げて部屋を出る。

何となく生まれた時間をゆっくり歩くことに使う。

夕暮れに染まる遠すぎる街を眺め、レアルはため息をついた。

けれどそれは、決して重苦しいものではなかった。

 

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