準備を終えたレアルは、リチャードを迎えるために廊下を歩いていた。
グルグル回る『陛下が倒れた』という言葉。
妙な焦りに急かされて、レアルは走り出してしまいそうなくらいに足を動かしていた。
いつもより随分早く城の正門に着いた。
わずかに息が上がっている。
「レアル様、リチャード殿下はもうすぐこちらに到着されるそうです」
城を守る騎士はレアルの姿を認めると、姿勢を正した。
レアルよりずっと大人な騎士が。
「はい」
何と返すべきか悩み、消えそうな声で呟くだけに終わった。
一歩前に進む。
小さな制止を受け、もう一歩は足踏みに終わった。
限られている景色。
切り取られた世界。
けれどその中には、たくさんの色が溢れていた。
「レアル」
レアルが彼を見つけるのと、リチャードが名前を呼んだのは、ほぼ同時だった。
今までは多分、必死に冷静を保っていたのだろう。
護衛の人間を振り切るように、リチャードは走ってきた。
レアルは彼の求める現状を知らない。
焦りを強く映した瞳に、冷静すぎるほどの口調で答えた。
「ボクはまだ詳しい事情を知りません。恐らく、陛下に近い人間しか知らないはずです」
「……そうか」
「行きましょう」
「ああ、わかった」
今にも走り出しそうなリチャードの後ろを歩く。
その距離を狭めないよう、広げないよう気をつけながら。
廊下の中央でリチャードは足を止めた。
「レアル」
「はい」
「君は僕の部屋で待っていてくれ」
「……はい?」
今言われたことが、理解できなかった。
否、理解したくなかった。
リチャードは何を言ったのだろうか。
「レアルは僕の部屋にいて」
言い聞かせるように単語を切った。
驚きだとか苛立ちだとか、とにかく火種になる感情が、胸を這い回る。
「どうして、ですか。ボクも――……!」
「命令だ」
「でも……! っ、わかり、ました……」
思い切り唇を噛む。
溢れ出しそうな感情を閉じ込めるために。
余計な言葉を吐き出さないように。
じわりと口内に血の味が広がった。
遠ざかっていくリチャードの背中。
彼の傍に立つ騎士、案内する者。
それらを思い切り睨みつけた。
数秒その場にそのまま立ち尽くしていたレアルは、呼吸することも忘れていたような感じがした。
今自分はイヤな顔をしている。
仮面に隠れた素顔を他人にも自分にも見えなくて良かったと思った。
体中の空気をすべて吐き出すようなため息をつく。
そして、彼の部屋へ向かった。
静かな部屋だ。
それはレアルが音を拒絶しているからだろうか。
未だに暴れたがるこの感情の名前は何だろう。
カチャリと静かに扉が開く。
「……殿下」
「レアル? ああ、そうか。僕が言ったから」
「陛下の容態は……」
「大丈夫だ。今はもう落ち着いている」
「そうですか」
リチャードの表情を見る限り、彼の言葉が間違っていないとわかった。
心臓を鷲掴みにするような緊張感から、ようやく解放された。
思い出したかのように、レアルは口を開く。
「ラントはどうでしたか?」
「ああ、すごく良かったよ。友情の誓いというのをやってね」
レアルが今まで見たことがないリチャードが、そこにいた。
心なしか、表情も雰囲気も柔らかい。
口数も多く、レアルが尋ねなくとも様々なことを聞かせてくれた。
これが本当のリチャードの姿だろうか。
レアルは感情のない機械のように「そうですか」とだけ繰り返していた。
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