リチャードがラントへ向かったのは、数時間前のこと。
一通りの検査を終えたレアルは、中庭でぼんやり空を眺めていた。
あと一時間ほどすれば、剣の訓練。
そのあとには、一般教養を主とした勉強。
明日は騎士学校へ体験入学することになっている。
リチャードがいつ帰ってくるかは、知らされていない。
レアルが知っているのは、数日滞在するということだけ。
遠すぎる距離。
けれど、その方が気は楽だった。
これから先の長い時間を共に過ごす者として、その感情はどうかと思うが。
思うのだが、どうしようもなかった。
レアルはリチャードが苦手だったから。
「苦手……っていうか、はっきり言えば嫌いか」
「何が嫌いなんだ?」
「……っ!!」
周囲への意識が散漫していた。
勢いよく振り返り、そこに立つ人物を認め、小さく息を吐いた。
「すみません」
「レアルが謝る必要はない。それとも、謝らなければならない話だったのか?」
レアルの前に立つ人物。
姿勢を正したまま、その男性から顔を逸らす。
「その癖は……」
「はい?」
「いや。何でもない」
彼はレアルの隣に立つ。
そして、先ほどのレアルと同じように空を見上げた。
「レアル」
「はい」
「ずっと、殿下を見ているんだぞ」
「はい」
その言葉には、思いの外素直に頷くことができた。
レアルの返事に満足したようで、彼はそのまま立ち去った。
あの一言を言うだけだったのか。
それとも、たまたまレアルがいたから声をかけてくれたのか。
答えは見つけられなかった。
ぐるぐると考えていたせいか、いつの間にか時計の針は約束の時を刻んでいて、レアルは慌てて走り出した。
リチャードと過ごすより、濃い一日だった。
彼と一緒にいてレアルがすることは、ぼんやり側に立っていること。
何もやらせてもらえない。
それは、リチャードからの信頼を得ていないから。
ただの飾りで、ただの形だった。
その立場は何より苦しく、共に過ごす時は何より息苦しいものだった。
リチャードだけではない。
レアル自身、『王子の護衛騎士』というものを受け入れていなかったのだ。
お互いがお互いを嫌っていて、近づこうとしない。
その距離はいつまで続くのだろう。
睡魔に思考が乱される。
自然と落ちてくる瞼は、緩やかに天井を消した。
翌日騎士学校から帰ってきたレアルは、異常な疲労感に襲われていた。
体が言うことを聞かない。
思考は働くことを放棄し、とにかく今すぐ眠りたい。
フラフラとおぼつかない足取りで自分の部屋まで戻り、そのまま倒れるように眠ってしまった。
どれくらいの時間が過ぎたのだろう。
数分とも、数時間とも、数日とも感じる乱れた感覚。
慌ただしく走り回る足音。
それによって覚醒へと導かれた。
「……何があったんだ?」
喉が渇いていた。
かすれたような自分の声に、喉を押さえた。
水も欲しいが、今は外の様子が気になる。
仮面の位置を確認し、鉛のように重い体を何とか起き上がらせ、レアルは扉を開いた。
「あ、レアル様」
たまたま通りかかったであろうメイドは、慌てて頭を下げた。
「何があったんですか?」
レアルより年上の、それでもまだ若い少女。
彼女は忙しなく瞳を動かした。
「何が……」
「国王陛下がお倒れになったのです」
「国王陛下が?」
狼狽えて何も言わない彼女を責めるつもりの言葉ではなかった。
二度目の質問を言い終わる前に彼女が口にした言葉。
レアルは三回脳内で再生した。
「一体、何があったんですか?」
「詳しいことは何も聞いていません。リチャード殿下がすぐにお戻りになるそうなので、レアル様も……」
「わかった」
ペコリと頭を下げたメイドは、かなりスピードをあげて走り出した。
喉が熱い。
部屋にある水差しから注いだそれを一気に飲み干した。
身体中に広がっていく感覚。
と同時に再び感じる疲労感。
睡眠では癒すことができなかったようだ。
ため息1つ。
仮面を外して、レアルは頭から水をかぶった。
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