無傷でとは言えないが、無事に中央塔にたどり着いた。

ここにたどり着くまでの戦闘は避けられなかった。

思ったよりその回数は少なかったように思う。

慎重に進んできたからだろう。

リチャードが扉を開く。

そう広くないが、中央に大きな机が置かれている。

椅子も十脚ほどある。

作戦会議の場として使われているのだろう。

正面には剣が飾られ、立派な旗も飾られていた。

独特の空気を持つ場に、なぜだろう。

心がわずかに弾む。

自分も『騎士』の端くれだからかもしれない。

アスベルが右手側の階段を上る。

フィーネもそれに続いた。

ソフィとパスカルは反対側の階段を上っている。


「あった。鍵だ。あれさえあれば……」


下からリチャードの声が聞こえた。



――忘れてはいけない。


フィーネたちがここにいるのは……。



人の気配を感じたのはその時だった。

階段から身を乗り出す。

その光景は目に焼き付いた。

スローモーションで時が動く。

鍵を手にしようとしたリチャードの上から斬りかかってくる兵士。

さらに時は速度を落とし、斬られるところを強調して見せた。


「リチャード!」

「殿下っ!」


アスベルとフィーネが叫んだのは、ほぼ同時だった。

リチャードはそのままゆっくり前に倒れる。

その瞬間、世界が戻ってきた。

時間はいつも通りの速度を取り戻す。


「やった……やったぞ! この手で王子を……!」


興奮しているようでそれは震えた……感極まったような声だった。

最初に動いたのは、フィーネ。

慌ててリチャードに駆け寄る。


「ソフィ、パスカル。あいつを捕らえろ! 応援を呼ばれてしまう!」


アスベルは手すりを乗り越え、ソフィとパスカルは階段を駆け下りる。

そして回り込んで行く手をふさいだ。

そのまま兵士を捕まえる。


「リチャード、しっかりしてくれ! リチャード……!」

「っ……」


フィーネはぎゅっと両手を握った。

今、自分にできることはわかっている。

ただ恐怖が邪魔している。

震える手を叱る。

左手で右手手首を握る。

二度深呼吸をした後で、右手をリチャードに近づけた。

その時だった。


「え……?」


大きく脈を打つ感覚を感じた。

驚きのあまり彼から離れる。

リチャードはそのままふらりと立ち上がった。

まるで何者かに操られているかのように。

明らかに普通ではない。

フィーネは確かに見た。

リチャードが斬られる瞬間を。

鮮血が舞う瞬間を。

少なくとも、平然と立ち上がれるようなケガではないはずだ。


「殿、下……?」


震える声で頼りなく呼びかける。

フィーネの呼びかけもアスベルの声も聞こえていないようだった。

見間違いではない、だろうか。

彼の瞳が赤く光っている。

ゆっくりリチャードは振り返った。

彼の視線の先には……。


「下衆が……」


ソフィは何かに気づいたように顔を上げた。

不安に揺れる彼女の瞳なんて、今のリチャードには届かない。

ふらりふらりとおぼつかない足取りで彼はソフィたちのところへ進む。

そのまま兵士の首元を掴んだ。

そして大きな机の上へ投げ飛ばす。

その力にも驚きを隠せない。

リチャードはそのまま剣を抜く。

何をしようとしているのか想像できないほど子どもではない。

嫌悪するかしないかは別にして。


「フィーネ」


アスベルがフィーネの腕を掴んだ。

そのままそっと引かれる。

抱き寄せると呼ぶにはあまりにぎこちない。


「大丈夫。私よりも殿下を」


思ったより落ち着いた声が出た。

目の前では、リチャードが何かに憑りつかれたように剣を振るっている。

飛び散る赤い飛沫が「彼」の生を徐々に奪い去っていた。

あまりに残酷な現実。

パスカルはソフィの視界を隠し、フィーネの隣にいるアスベルは茫然としていた。

フィーネとリチャードが実際に出会ってからの時間はまだ短い。

けれど、彼がこんな風に怒り……憎悪、だろうか。

それをあらわにする人物だと思わなかった。

目の前の現実がモノクロに変わっていく。

音が遠のいていく。



(あれ……? 私……?)



「フィーネ、フィーネ!」


ぼやけた視界に映る赤茶色。

その色を、追いかけていた。

追い越したかった。

負けたくなかった。

もっと簡単な言葉で言うなら、勝ちたかった。


「アス、ベル……?」


はっきりとした視界に映る彼の表情は安堵に緩んだ。


「ごめん、フィーネさん。僕が……」

「殿下……?」


そこでようやく自分が意識を失って倒れたのだと気づいた。

アスベルの手を借りて起き上がる。

まだ緩く波打つ意識を、頭を押さえることで戻そうとした。


「すみません、殿下。私、寝不足だったみたいです」


うまく笑えただろうか。

頬が引きつっているような気がする限り、失敗だったと言わざるを得ない。

守るべき人間の傍で倒れるとは何事だ。

騎士としての――かっこ仮がつくが――自信がボロボロと崩れ落ちるしかなかった。


「フィーネさん、無理はしないで」

「もう大丈夫です。それより、殿下。お体の方は……」

「そんなにひどくなかったんだよ」


フィーネを安心させるためか、少しおどけた口調でパスカルが答えた。

確かにそれはフィーネを安堵させた。

それにしても……。

フィーネはこの目でリチャードが傷ついたのを見た。

簡単に大丈夫だと言えるようなケガだっただろうか。


「フィーネ?」


ソフィの声が深くはまりそうな思考から引き揚げてくれた。


「早く門を開けよう!」

「あ、ああ。わかった」

「そうですね。急ぎましょう」


時が動き出したのだから、立ち止まれない。

まっすぐ前を見据えて進まなければならない。

迷いなどそこには一番必要ないもの。

彼らはより慎重に足を進めた。

この先にあるのがウィンドルの未来なのだから。

目的地にはすぐ到着した。

リチャードはレバーに手をかけ、彼らの顔を順番に眺めた。

フィーネは、はいと応える代わりに、大きくうなずいた。

南橋を動かすレバーを右から左へ動かす。

そして、そのまま南門を開けるレバーも動かした。


「歓声が聞こえるよ。うまく行ったみたいだね」

「僕たちの役目は終わった。後は兵たちの働きに期待しよう」

「そうだな……」


安堵のままその部屋を出たときだった。

彼らの前をきらりと光る、それは見慣れた武器が横切る。


「ひゃあ!? な、何? なんなの」

「この武器は……!」

「うん、アスベル」


アスベルとフィーネは顔を見合わせ、うなずいた。

深呼吸一つ。

これが今、フィーネたちの前に立ち塞がる『現実』なのだ。



2015/07/31



 

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