短編 | ナノ
▼クロロ

たいせつなものはすべてきみに。

汚い瓦礫だらけの街で唯一心から愉しそうに笑っていた人間に、俺はそう云った覚えがある。彼女は俺を、俺たちを、心から愛していた。盗みをしても殺しをしても彼女は変わらぬ笑顔で俺たちに笑いかけた。幼い俺たちにとって、それがどれだけ救いとなったか。
彼女は透明だった。盗みなんてしたことがないし、殺しなんてもっての他。彼女は水だけで生きていくことが出来た。命なんかたった一つも奪いやしなかった。

やがて俺たちが盗賊になってもそれは変わらなかった。変わったとすれば、俺たちが少しずつ彼女から距離を置き始めたことくらいだろうか。俺たちが触れるには、彼女はあまりに純粋すぎた。


「いつでも待ってるからね」


彼女はことあるごとにその呪文を繰り返した。待ってるからね。まるで、帰る場所はここだとでも云うかのように。果たして俺たちに帰る場所があっていいのだろうか。そんな俺たちの気持ちを察している癖に、彼女はやわらかく笑う。

なあ、訊きたいことがあるんだ。
何故俺たちをそんなに大切にしてくれる?
こんなにも汚い存在なのに。
こんなにも罪深い存在なのに。

あたたかい日溜まりのようなお前がこんなところにいていいはずがないだろうに。
同情?惰性?お前は何のためにここにいる?何の理由があってここにいる?お前には相応しい場所があるだろう。

一度だけ、彼女が人質にとられたことがあった。そのときも確か笑っていた。「遅かったね」と云って目元を弛めるお前に、団員は叫びだしたい気持ちを抑えて殺しをした。初めて、彼女の目の前で。そこで漸く目からぽろぽろと涙を流した彼女にぎょっとすると、彼女は慌てて涙を拭った。


「ちょっと吃驚しちゃって!」


それ以外に何も言わない彼女に俺たちは何も言えなかった。俺たちに隠していることがあると悟ったのに誰一人として訊かなかったのは、みんな怖いから。今の関係が心地よかったから。
要するに、俺たちもまた彼女のことを愛していたのだろう。

壊れ物を扱うかのように恐る恐る触れ合う。そしてまた、怖くなって逃げ出す。そのくせ、不安になって、また戻る。


「いつでもここで待ってるから」


たいせつなものはすべてきみだ。



20111231




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