水の宴・V
01
神はそこにいるのか。
そこに救いはあるのか。
願いは届くのか。
深淵の闇が辺りを包み込み、静か過ぎるほどの静寂を生む。凍えるほど冷たい闇。
息を潜めても温かな息吹を宿す気配は感じられず、どこまでも深い闇は哀しみさえも飲み込んでいるようだった。暗く冷たい檻に閉じ込められれば前後を見失い、天地さえも忘れてしまいそうで、ここがどこであったのか、自分は誰であったのか。
いつしか漂う空気に混じり、消えてしまいそうな程の不確かな感覚。
そんな闇に佇む一つの影は、冷え切った大理石の床に座りどこか遠くを見つめていた。なにも見出すことができない暗闇を見つめたまま。
「私の声が聴こえる? 貴方の探し物はここにあるわ。だから早くここへ来て」
広い空間に響き渡る澄んだ声音。祈るように手を合わせた彼女の伏せた睫が微かに震える。
そして渦を巻くように彼女を取り囲む闇がその声を遠くへ、遠くへと運ぶ。届いてはいけない切望を乗せて闇が広がりゆく気配に彼女は震えていた。
けれどその闇を止めることはできなかった。
「お前の想いはすべてを具現する。奈落の底のように深いお前の心の隙間を埋めるために」
暗闇に溶け込んでいたもう一つの影がゆっくりと近づき、彼女の傍で片膝を折る。そして大理石の床を覆うほどに広がる、彼女の長く伸びた髪を指先で掬い上げて愛おしそうに口付けた。
「私に触れないで」
目を細め楽しげに見下ろす視線を真紅の瞳がきつく睨む。すると髪はまるで触れた先から闇に蝕まれていくかのように、艶めく白銀を漆黒へと変えていった。
「アリア、お前はもう闇から逃れられない。すでにお前の闇は村を蝕み始めている。お前がこの世界を闇に変える」
「違う! 彼が必ず、必ずこの村を救う」
「……それはどうかな。お前の示した者はそれを拒んでいる。そしてお前の姉も、お前の手を振り払った。もはや村を、お前を救う者など誰もいない」
耳を塞ぎ蹲るアリアの耳元で男は囁く。そしてその言葉に目を見開いたアリアの両の手を取り、男は至極甘く優しげな微笑を浮かべた。
「ルーザ?」
「すべてを捨ててしまえばいい。この俺がお前に安息を与えてやろう。お前を一人、この場所に閉じ込めた者たちなどすべて捨ててしまえ」
神はいない。
救いなどない。
願いは届かない――
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