20.小さな重みに浮かんだ迷い

 大学進学と共に家を離れ、光喜が実家に帰るのは年に二、三回程度。自立した息子の心配はあまりしていないようで、親からの電話も月に一回あるかないか。だからと言って家族仲が冷めているわけでもなく、なにかイベントごとがあればプレゼントを贈り合う。
 しかしいまは一昨年少し歳の離れた姉が結婚をして、両親は夫婦二人の時間を満喫しているようだ。ごく一般的な家族像から見ても円満な家庭と言える。

「うわぁ、苺、結構高いじゃん」

 電車に乗っている最中に姉からメッセージが届き、おいしい苺を買ってくるようにとお達しがあった。しかし最寄り駅の商店街に青果店があるのを思い出し、軽い気持ちで足を踏み入れた光喜は苺を見つめたまま顔をしかめる。馬鹿高い値段というわけではないが、決して安くはない値段。けれど手ぶらで帰ると確実にごねられるのが目に見えていた。
 その顔を想像してため息をつくと、仕方なく店員のおすすめを聞いて一番いいものを購入することにした。苺は姉の好物でもあるが、同じく光喜の好物でもあった。どうせ食べるならおいしいものがいい、その考え一択だ。

 青果店を出ると光喜はのんびりとした足取りで実家へと向かう。光喜のマンションからだと電車で三十分、駅から歩いて十五分弱。子供の頃から住宅街であった道のりは相も変わらず昔のまま代わり映えがない。背の高いマンションなどはなく、一軒家とアパートが建ち並んでいた。
 近所の表札も変わりがなくて、こうして歩いているといつも光喜は時間の経過を忘れそうになる。けれど久しぶりに家の扉を開くと、記憶よりもほんの少し歳を重ねた母親の笑顔があった。

「みっちゃん、おかえりなさい」

「うん、ただいま。ほら、これ苺」

「あらあら、こんなにたくさん。真っ赤でおいしそうね」

「家と姉さんとで分けてよ」

「ありがとう。みっちゃんも食べるでしょ?」

「うん」

 ふんわりと笑った母親――眞子の顔につられるように光喜も笑みを浮かべる。歳を重ねるごとにおっとりしたところが際立って、ニコニコとしている顔はまるで少女のようだ。子供の頃から光喜は彼女が笑っている顔が好きだった。
 一度も声を荒げた姿を見たことがなく、いつでも優しく頭を撫でてくれる。幼い頃は人見知りが高じて母親にべったりだった。

「瑠衣ちゃん、みっちゃんが来たわよ」

「苺、買ってきた?」

「ちょっと、俺より苺?」

 眞子の背中を追いリビングに足を踏み入れると、快活な声が返ってくる。振り向いた姉は長い睫毛にぱっちりとした瞳。リップを塗らなくともピンク色をした小さな唇。そして日本人らしい小さな鼻。顔のパーツは母親とそっくりだ。けれど性格が表情に表れていた。
 姉の瑠衣はのんびりした眞子とは真逆なハキハキとした明るさが一目でわかる。まだ小さかった頃は髪もかなり短くて、姉弟の性別を間違われることが多かった。

「苺に勝るものなし!」

「なにそれ、サイテー」

「ほら、悠人くん。叔父さんですよ」

 ソファに座っている瑠衣の背後から腕の中を覗くと、まるでお人形のような甥っ子がじっと光喜を見つめてきた。くるんとしたくせ毛は金茶色。まん丸な瞳は綺麗なスカイブルー。その小さな顔を見て光喜は首を傾げる。

「この子、大きくなったら色が変わりそうだね。姉さんやお義兄さんよりおじいちゃんに似てる」

「でしょー。わたしも見た時はびっくりしたんだけど。隔世遺伝ってやつかしらね」

「けど悠人くんはみっちゃんの赤ちゃんの頃にも似てるわよ。はい、買ってきてくれた苺、洗ったからどうぞ」

「やった! はい、光喜、抱っこして。もう首据わってるから大丈夫」

「えっ? ちょっと待ってよ」

 テーブルに置かれた苺に目を輝かせて、素早く立ち上がった瑠衣に悠人を差し出された。その勢いに呆気にとられていた光喜は突然押しつけられた甥っ子を慌てて抱き寄せる。いきなり見知らぬ男に抱かれて泣き出すかと思いきや、幼い天使は紅葉みたいな手を叩いてキャッキャと笑った。

「……赤ちゃんか」

 小さいけれどしっかりと重みのある初めての感触に、光喜は目を瞬かせてキラキラとしたブルーの瞳を見つめる。母親がいて父親がいて、子供がいるごく普通の家庭。幼い頃はそれが当たり前だと思っていたけれど、それとは違う幸せもあるのだと知った。
 どれが正しいかなんてことはわからない。しかしどれを選ぶことがいいのか、迷う気持ちが浮かんできた。

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