050「知ること」
「あーーー…」
殺しの無い、退屈な任務だった。
久々にでかい仕事が回ってきたかと思えばこれだ。
つまらない。
最近おもしろいこともあんまりねーし。
強いて言うならカエルに腹を立てたり、珠紀にイタリア語を教えてみたりとか、それくらい。
おもしろいこと、と呼べるかといえば、そうでもないけど。
憂鬱な気分のままさっさと報告書を出し、談話室へ向かった。
ため息をつく訳ではないが、やはり気分は晴れない。
あれだけの仕事、体力的には全然問題のない朝飯前のものなのだが。
やはり殺しの有無では、モチベーションが違う。
「…あ。」
「すー…」
夕日もすっかり沈んで闇が差してきた室内に明かりを灯すと、そこには珠紀の姿があった。
しかも爆睡中。
座ったままで寝て、起きてから首痛めるぞ。
きっとこいつも任務帰りなのだろう。
最も、いつ帰ってきて、いつからここで寝ているのかは分からないが。
「…………。」
なんとなく隣に腰を下ろすと、気持ち的な疲れと言うのがどっと襲ってきた。
あー、俺も少なからず、仕事の時は気張ってたのか。
なんて小さくため息を吐いた。
その時、ふと左肩に違和感を感じた。
静かに左側を見ると、案の定、そこには珠紀の頭があるわけで。
まあ、当然と言えば当然だ。
座って眠っているいるやつの隣にいたのだから。
逆にこのまま倒れ込んで飛び起きるよりは、コイツ的にもいくらかは良かったのではないだろうか。
「…マジかよ。」
嫌というわけではない。
というかむしろ、少しだけ…そう、少しだけ、嬉しい気もする。
仕方がないので、しばらくの間はそのままにしておこう。
そう思い、俺も目を閉じた。
が。
そうそう寝ようと思って寝られるものでもない。
くわえて俺はそこまで呑気な気質ではないので、こんないつ誰が来てもおかしくないようなところで寝るなんて、到底できない。
しかし参った。
放っておけば良いのだろうが、このまま黙っていると言うのも少々退屈だ。
手元に本なんてあるわけでも無いし、あげく携帯電話すら持っていない。
ただぼうっとしているのにも飽きてきて、俺は左肩に寄りかかるそいつに視線をやった。
閉じられた瞳。
前々から思ってはいたが、近くで見ると尚更、まつげが長いことに気が付いた。
無防備に薄く開いた、赤い唇。
口紅を引いたわけでもないのに、濡れたように艶やかで、なんだか触れてみたくなった。
垂れてきている前髪をそっと撫でる。
黒々とした烏の髪と相対して、色の白いのがよくわかる。
もう少しだけ触れたい。
そんなことを考えていると、俺の身体は知らず知らずのうちに動いていた。
もう1センチで届くと言う時。
閉じていた珠紀の目が開き、俺ははっとした。
一体俺は何をしているんだ。
これじゃあまるで、どこぞのカエルがしたことと変わらないではないか。
「おはよ。」
何事も無かったかのようにそう言えば、珠紀は確かめるように俺の名前を呼んだ。
そう、大正解。
ベルです。
「なにしてるの?」って、いや、気づけよ。
気付かないでくれていた方が、俺的には都合がいいわけだけど。
「イブニングコール?
いや、やっぱ冗談。
帰ってきたらお前寝てたから、面白くって見てただけ。」
「…なんじゃそりゃ。」
「意味わかんねー寝言とか言ってたぜ。」
「うっそ。」
「うん、嘘。」
そう言えば、また騙したなとか何とか言って、小さく笑う。
こういう時間が、一番楽しい。
すると、珠紀は寝ぼけているのかそうでないのか分からないが、俺の頬に手をなぞらせてきた。
「ベル」なんて言って。
え、何。
少し心臓が跳ねたのを感じて、自分で自分を落ち着かせることに集中した。
すると、衝撃の一言。
「目、みたい。」
俺は思った。
コイツがもし男だったなら、きっとかなりのプレイボーイになっていたんだろう、と。
あの兄貴の顔でこんな性格だったなら、世の女はやられてしまうんだろうな。
そんな馬鹿なことを考えた。
あながち間違いでもない気がするから怖い。
「だめ?」
いや、ダメだとは言わない。
でも少しいきなり過ぎて、驚いた。
思い返せば、確かにコイツには目を見られたことがない。
ルッスーリアやマーモンには見られているけど。
実際のところ、他に知ってる奴といえばボスくらいなもので。
国家にも関係してくるから、って理由であんま見せたりはしないけど。
色々バレても面倒だし。
でも、本心では少し、本当の自分を知ってもらいたい、なんて気持ちもあったりして。
そして相手がコイツなら、なおさら。
そして少し考えてから、俺は呟いた。
「いいよ。」
そう言うと、珠紀は俺の前髪をゆっくりとかきあげた。
ずっと談話室にいたためか、少し熱を持った額に触れた珠紀の手は、頬に触れた時よりもずっと、冷たく感じた。
他人に前髪の奥を見られるなんて、いつぶりだろう。
少しの緊張から閉じていた瞼をゆっくりと開けると、珠紀は一言「すげー」と言った。
一体何がすごいと言うのか。
目が合ったので思わず逸らすと、「なんで逸らすの」と笑う。
やめてくれ。
あまり、赤くなった顔を見られたくはない。
「まつ毛も金色なんだね。」
「…まあね。」
「目、緑だったんだね。
ひまわり。」
「ん。」
先ほどよりも、段々顔が熱くなってくるのを感じる。
あんまり恥ずかしくなってきたので「もういい?」と聞くと、「えー」と不満を漏らす。
そう言いながらも前髪を元に戻すあたり、こいつの行動が読めない。
そしてトドメは、「髪サラサラ」の一言。
「…とんだプレイボーイだな、お前って。」
「ガールだよ。」
「そういう問題じゃなくて。」
そうすると「昔結構言われた」と笑っている珠紀。
その笑顔を見て、少し胸が高鳴る。
本当の俺を見て、こいつは、珠紀は、何を思ったんだろうか。
それとも、何も思わなかったんだろうか。
どちらにせよ、俺にとっては大きな進歩だった。
少しでも珠紀が俺を知ろうとしたことが、俺には嬉しいことだった。
「あんがとな。」
そう言えばキョトンとして、「なにが?」と返す珠紀。
いや、わからなくていい。
今はまだ、わからないでいい。
完全に目も覚めたみたいなので時計を見せると、「ご飯じゃん」と言って急いで立ち上がる。
その変な方向への切り替えの速さ。
逆に尊敬する。
「んじゃ、行こーぜ。」
そして、俺たちは仲良く夕食の席に遅刻した。
―――――
王子推し。
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