アルバム
「エルヴィン、何持ってるの?」
廊下で出くわしたエルヴィンの片手に、年期の入った茶色い皮が表紙の分厚いファイルを発見し、ユフィは興味津々に声をかけた。
「あぁ。これかい。」
彼はひょいとそのファイルを持ち上げてみせた。
「調査兵団の大ファンだというベテランの絵師がいてね。さっきその人が来て譲り受けたのさ。」
「ふぅん?」
「彼は新聞の挿し絵を描く仕事をしているんだが、調査兵団の取材へ記者と行くたびにこっそり筆をとって絵を描きためてきたらしい。」
たまに新聞社が取材に訪れることは知っていたが、大ファンな人がいるとは知らなかった。
「今年で絵師の仕事は引退するから、このファイルをぜひ調査兵団に寄贈したいとおっしゃるのでね。」
彼はパラ、とファイルを適当にめくった。
時代の流れを思わせる黄ばんだ紙に、鉛筆か何かで描かれたリアルなスケッチが見えた。
エルヴィンはスケッチを見下ろしながら、昔を思い出すように穏やかな表情を浮かべる。
「懐かしい顔がたくさんいたよ。ユフィも見てみるかい?」
「えっ!?」
神妙な面持ちでファイルを見ていたユフィは突然の問いに戸惑う。
少し迷ったあと、控えめな声で言った。
「……じゃあ、一晩借りてもいい……?」
***
その夜。
昼間に借りたファイルを持って、ユフィは恋人であるリヴァイの部屋のドアを叩く。
「リヴァイ。私だけど、今いい?」
入れ、と中から声が聞こえたので、ドアを開けた。
机で書き物をしていたリヴァイが振り返る。
「どうした。」
「うん。あのね、これを一緒に見てくれない?」
いつもの明るいテンションではない相手に違和感を覚えながら、リヴァイは彼女の掲げる分厚いファイルに視線をとめた。
「なんだそれは。」
ユフィはエルヴィンから聞いた話を彼にも伝え、力なくへにゃりと笑った。
「これ、一人で見る勇気なくって。誰かに一緒に見て欲しいの。」
***
部屋のソファーに二人並んで座り、リヴァイの膝にファイルを乗せ、横からユフィが眺めることにした。
「開くぞ。」
真剣で、少し恐れの浮かぶ顔をした彼女を盗み見つつ、リヴァイは皮表紙を撫でた。
こんな表情は彼も初めて見たのだ。
「うん。」
厚くて重い表紙を開く。
絵でしか見たことのない先代の団長が馬に跨がっている、黄ばんだスケッチが一ページ目だった。
新聞の挿し絵を描くだけあって、人物の影から景色まで詳細に描き込まれている。
「すごい……細かいところまで……。ちゃんと個人を描き分けてる。」
次のページは笑顔で馬の世話をする調査兵たちの様子だった。
「この人たち、知らないなぁ。」
そうこぼしてから、ユフィは胸に重りがずんと落ちたような気がした。
知らないということは、その人はもうこの世にはいないということだった。
退職した者も中にはいるのかもしれないが、調査兵団から去る理由は、ほとんどが戦死だ。
ぺらり、ぺらりとめくっていくと、ユフィが息を飲んだ。
「これ、コール団長……!」
彼女が訓練兵だったときの団長が訓練の指揮をとっている絵だ。
「それにリチャーズ分隊長、ベル分隊長……。」
ページを追うにつれて身近になっていく絵の中の人物たち。
しばらくすると、ふいにリヴァイの肩へユフィが顔を押し付けた。
「ごめ、リヴァイ……。やっぱりダメだ……泣けてきちゃう。」
「……止めるか?」
彼女の頭を抱え込むように腕を回して落ち着かせるように髪を撫でると、ユフィは頭をゆるく振った。
「ううん。見る……見たい。」
彼女が鼻をすすりながらファイルに視線を戻すのを確認し、リヴァイは再びゆっくりとページをめくる。
「あぁ、リック班長……。アンカーを壁に刺すコツを教えてくれたっけ。」
ぺらり。
「この人はね……私をかばって巨人に食べられたの……。気のいい人だった……。」
「そうか……。」
ぺらり。
「いつもみんなを励ましてくれたなぁ……カイナ先輩。」
「知ってる。」
「……ふ、……っ、」
ユフィの涙と嗚咽が止まらなくなったときはページをめくる手を休め、リヴァイは落ち着くまで静かに彼女の頭を撫でた。
「この人……マーグス班長。ふふ、リヴァイのこと最期まで気に入ってなかったね……。」
「そうだったな……。」
いつしかリヴァイも、もたれかかる彼女の頭に自分の頭を預け、今は亡き兵士たちを見つめた。
「……エルヴィンだ。」
団長就任式の彼は志のみなぎる瞳で舞台に堂々と立っていた。
「いい絵だね。」
「……ああ。」
ぺらり。
「あ、今度はリヴァイ!……と私?」
壁外調査の出発直前の様子のようだった。
静かな表情で二人は馬に跨がっている。
「ふふ、リヴァイかっこいい。」
「そうかよ。」
今も生き残っている者、いない者。
それぞれの一瞬を描き出し、ファイルは閉じられた。
見終えてもなお二人は何も言わず寄り添い、それぞれが物思いにふけっているようだった。
それは長い物語を読み終えたような余韻に似ている。
しばらくして。
「リヴァイ。ありがとうね、一緒に見てくれて。」
ユフィがぽつりと言った。
「見てよかったか?」
「うん。」
「そうか。」
「今、先代の……みんなの残してくれた歴史の一番先にいるんだって思った。改めて気合い入ったって感じ。」
ついさっきまでのグスグスと泣くユフィはいなかった。
去っていた兵士たちの意思を受け継ぐ凛とした眼差しで、前を見ている。
その顔立ちがどうしようもなく美しく感じ、リヴァイは彼女の髪へ静かにキスをした。
「ね、もう少しこのままでいてもいい?」
「あぁ。」
二人は時間の許すまで、お互いのぬくもりをただ感じていた。
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