兵長の忠犬
ユフィはリヴァイの忠実なる犬である。
どこに行くにもついて回り、彼の命令は何でもきく。
リヴァイを見つめる瞳は憧れと忠誠心に輝き、うっかりすると尻尾と耳が生えているのではないかという錯覚を抱いてしまう。
そんなユフィが、エルヴィンに書類を渡すお使いから帰ってきて開口一番――
「兵長。今夜エルヴィン団長の残業を手伝うことになりました。」
と、屈託のない瞳でリヴァイに報告した。
「……あ?」
「ひっ!」
ドスのきいた声と鋭くした視線を彼女に向ける。
途端に忠犬は怒られることをしてしまったのかと縮こまった。
「み、みなさん書類に追われて忙しいらしく……。兵長には休めるときに休んでもらいたいからよければ私に、だそうです。」
犬であったら耳を後ろに垂れて尻尾を巻くような、しゅんとしたユフィを見てリヴァイはため息をついた。
そう、いつだって彼女に悪気はない。
「……こっちに来い、ユフィ。」
「はいっ!」
弾かれたように、彼女はイスに座る彼の足元に駆け寄ってひざまずく。
他人からするとあまり健全な絵面には見えないのだが、当人たちはこれが普通だった。
いつものように片手でワシャワシャと頭を撫でてやると、ユフィは気持ちよさそうに目をつむった。
「お前は俺の何だ?」
「犬です!」
ブラウンの瞳をきらめかせて即答する忠犬。
ユフィはリヴァイの所有物だ。
リヴァイを崇めたてる彼女はそれを自ら望み、彼は受け入れた。
ただ、彼女のその純真無垢な心は長所でもあり、短所でもある。
今回の件のように、独占欲を掻き乱されるような面倒事を持ち帰ってくることもしばしばだった。
自分の所有物を勝手に使われるのは、いい気分ではない。
「……分かった。エルヴィンのところには俺も行こう。」
***
とっぷりと日が暮れた頃。
エルヴィンの執務室へ、不機嫌丸出しのリヴァイがユフィを携えて訪れた。
忠犬は夜も主人と一緒に仕事ができる嬉しさを隠しきれない様子だ。
迎え入れたエルヴィンは驚きもせずに微笑む。
「やはりリヴァイも来たか。」
「うちの犬を勝手に使わないでもらいたい。仕事を手伝わせたいなら俺に言え。」
リヴァイはエルヴィンを睨み上げる。
「分かった分かった。今回は犬の手も借りたい状況なのでね。よろしく頼むよ。」
「チッ……、さっさと片付けるぞ。」
書類の指示を受け、二人は団長執務室にある来客用のローテーブルとソファーで作業することにした。
少しして、「紅茶を頼む」とリヴァイが飲み物を所望し、ユフィは「喜んで!」と執務室を飛び出していった。
紅茶の上手な淹れ方も、もちろん覚えさせてある。
それからエルヴィンの分も淹れた紅茶セットをトレーに乗せて持ち帰った彼女。
団長用デスクにカップを置いて紅茶を注いでいると、エルヴィンはおもむろにユフィの頬に手をやった。
それを見ていたリヴァイが途端に顔をしかめる。
「ここに黒いあとが付いているよ、ユフィ。」
「え、あ。インクのついた指で擦っちゃったんですね。」
忠犬の唇には、照れ笑い。
「ユフィ、来い。」
当然リヴァイは面白くないから、主人のもとに戻るよう命令した。
ユフィは「はい!」と紅茶を持ってリヴァイのそばに飛んできた。
まるで尻尾をブンブン振っているようなテンションで。
床に膝を揃えてお座りする彼女へのご褒美に髪をやや乱暴に撫で、額にキスしてやると忠犬はその格別な報酬にデレデレと嬉しがる。
そしてリヴァイがギッと団長用デスクのほうを睨むと、エルヴィンは青い目を閉じて肩をすくめてみせたのだった。
(野郎、面白がりやがって……。)
リヴァイは心の中で舌打ちした。
それから作業は着々と進み、日付が変わる頃にやっと一段落つくことができた。
「後はハンジの担当する書類を揃えたら完了だ。あっちもそろそろ作業を終わらせているかもしれない。様子を見てくるから休んでいてくれ。」
エルヴィンはそう言って部屋を出ていった。
リヴァイが浅くため息をついて横に座るユフィを見ると、眠そうに目を擦っている。
「ユフィ。」
リヴァイは自分の膝をポンポンと軽く叩いた。
その仕草を見た彼女の表情はパアッと明るくなる。
数分後にエルヴィンが帰ってくると、彼の戦友はソファーで忠犬に膝枕をしてやっていた。
リヴァイの側に体を向けて幸せそうにまどろむユフィを眺め、耳の裏を撫でている。
「何をしている?」
「俺の犬を愛でている。」
「まったく……君たちは本当に仲がいいな。」
あきれたように笑い、エルヴィンはハンジから回収してきた書類をまとめる。
「仲がいいわけじゃねぇ、主従関係がしっかりしてんだよ。」
「……抱いたりはしたのか?」
「あ?何言ってる。犬は抱けないだろうが。」
訝しげにリヴァイは言う。
よく分からないな、とエルヴィンは思ったが調査兵団にいるメンツといえば変人ばかりなので、あまり気にならなかった。
二人がその関係をよしとし、日々を生き生きと過ごしているのだから問題はないだろう。
「今日は助かったよ。さぁ、明日も早い。休もう。」
エルヴィンがそう声をかけるとリヴァイはユフィの耳元に顔を近づけ――
「起きろ、俺の部屋に帰るぞ。」
そう低く囁いた。
彼女は力なく返事をし、寝ぼけ眼でのそのそと起き上がる。
彼のその言葉にエルヴィンは驚く。
「まさか一緒に寝ているのか?」
「俺もこいつには甘いな。結局ベッドに上がるのを許しちまった。」
自嘲ぎみな表情で彼女の頭を撫でるリヴァイ。
ますますよく分からないな、とエルヴィンは再び首をかしげながら、眠そうなユフィの手を引いて部屋を後にする戦友を見送ったのだった。
[back]