sick ex
※現パロで元カレ風邪リヴァイさん。
「お前、なんでまたここに来た?」
ユフィの顔を見たとき、そう言おうと思った。
だができなかった。
視界がかすんで見えるし、足に力がうまく入らず壁にもたれているだけで精一杯。
今の俺には強気になる気力もなかったのだ。
「会社で、リヴァイが体調崩して休んだって聞いて……。」
どんな顔をしたらいいか分からないような様子のユフィは、視線を伏せ、口ごもるように言う。
こちらへ見せるふうに上げられた手には、ビニール袋。
ペットボトルやら食料やらが詰め込まれているらしく、ごつごつと大きく膨らんでいる。
「そこのドラッグストアで色々買ってきた。今日、何か食べた?」
「いや……。」
「じゃあ胃にやさしいもの、少しでも入れないと。」
彼女が部屋に入れてほしがっていることをぼんやりした頭がようやく気付き、俺は相手が入れるように後ずさった。
「寝てて。」
元いた寝室に押し込まれ、サイドテーブルに放り出していた体温計を渡される。
計れ、という意味だ。
ユフィに指示されるまま、俺は再び布団にもぐり込んで体温計を脇に挟む。
キッチンのほうからはビニール袋のガサゴソ鳴る音や、冷蔵庫と戸棚を開閉する音が聞こえてくる。
布団の中からこもった電子音が鳴ったとき、ちょうどユフィが寝室に顔を見せた。
「今、音鳴った?見せて。……8度2分。珍しいね、リヴァイが倒れるなんて。」
温度計を確認した彼女が、こっちを見下ろしながら落ち着いた口調でつぶやく。
その計測結果は朝に計った時点の数値と大して変わっていなかった。
「薬も買ってきた。擦ったリンゴなら食べられそう?」
口を開けるのもだるく、ただうなずいて見せる。
すると「待ってて」と言い置いてユフィは寝室を出ていった。
再びキッチンで物音がし始めたところで、俺は大きく息を吐き、熱のある額を手のひらで覆った。
情けない。
甘えている。
喧嘩別れした女に看病してもらうなんて。
回らない頭のせいだろうか。
弱って気持ちにゆとりがないせいだろうか。
とにかくここまで具合が悪くなければ玄関口で「心配いらない」とふるまえていただろう。
しかし有難いのも、また事実。
彼女に言った通り、朝から寝ているばかりで何も口にしていなかったからだ。
ドアの向こうからかすかに聞こえてくる、キッチンを行ったり来たりする足音。
そのよく知ったリズムは、二人で寄り添い合っていた甘くて穏やかな、もう二度と戻らない日々を思い起こさせる。
体調不良の陰鬱な気持ちに加えてさらに感傷的になりかけ、またため息を吐いた。
一ヶ月前まで彼女は俺の恋人だった。
ここで寝食を共にしていた。
いわゆる半同棲というやつだ。
だが今は違う。
俺とあいつはただの会社の同僚。
ただの、元カレと、元カノ。
「お待たせ。」
少し経って、ユフィがトレイを持ってきた。
サイドテーブルにそれを置き、のそのそと起き上がった俺に、ガラスの椀とスプーンを持たせた。
よそわれているのは、淡い黄色みを帯びた雪みたいな擦りリンゴだ。
「悪いな……。」
椀を持ち上げ、関節の痛みを感じながらスプーンを口へと運ぶ。
含んだ果実の甘くみずみずしい食感が口内に気持ちよく、喉を通れば熱をもった体に染みていくようだった。
今日、初めての食事。
旨い、有難い。
スプーンの往復が止まらず、すぐに椀は空になった。
ユフィはベッドに腰かけて静かにそれを見守っていた。
「私が子どもの頃、風邪引いたらお母さんがよく作ってくれたんだ。」
「……俺の家はネギと生姜の味噌汁だった。」
「そっか。それも体に良さそうだね。」
彼女は完食した俺を見て少し安心したように言う。
ふと記憶からこぼれ出たような会話だったが、そういった思い出話も共有しないまま俺たちは別れたのだと、今、まざまざ、気付く。
それからユフィは薬を飲むように促し、俺が錠剤を水で胃に流し込んだことを確認し、トレイを持って立ち上がった。
「帰るのか。」
彼女が寝室から出ていく間際、布団の中からそんなことを口走っていた。
その台詞はもはや帰ってほしくないと匂わせているようなものだ。
俺は何を言っているのだろうか。
しかし、覆水盆に返らず。
放った言葉はもう取り消すことはできない。
ユフィはやや迷ったように視線をさ迷わせてから、
「……リヴァイが寝るまで、居ようかな。」
と薄く微笑んで、リビングへ出ていった。
一人になった寝室。
横たわっている体が、少しゆるまった気がした。
あぁ、俺は安心しているのだ。
彼女がそばにいてくれることを、嬉しいと思っている。
やはり風邪など引くものじゃない。
気持ちが弱くなっている。
安堵した心を持て余しながら、目をつむった。
同じ会社で同じ部署の同僚という立場は、半同棲しているとオフでも自然と話題は仕事の話になる。
さらに余裕のない繁忙期になると、二人の間にはぎすぎすした空気が流れるようになった。
どちらも仕事が最優先なわけではない。
理想はパートナーとの時間も大切にしたい。
そう思いつつも、上手くいかない空気に耐えられなくなり、十分な話し合いもせず、俺たちは別れた。
二人ともが「自分は悪くない」と相手を責める、派手な喧嘩をした勢いでのことだった。
あれから一ヶ月。
離れていた期間を、彼女はどんな気持ちで過ごしていたのだろうか。
俺は──
「……ユフィ?」
ふ、と気付く。
目を開けると、視界は真っ暗だった。
少し寝ていたようだ。
意識が落ちる前、寝室のドアは開いていて豆電球代わりにリビングの灯りを入れていたはずなのに、今はしっかりと閉じられている。
俺が寝入ったから彼女は帰ってしまっただろうか。
薬が効いていくらか動きやすくなった体でベッドから抜け出し、ドアを開ける。
入ってきた橙色の光が目をくらませ、まぶたを細めた。
「あ、起きた?」
ユフィはリビングのテーブルで、持参していたらしい小型のノートパソコンと向き合っていた。
「……ユフィ。」
画面から顔を上げ、こちらの加減を伺う相手を見たら、あからさまに胸がほっとした。
「何かいる?」と立ち上がった彼女の腰に手を回し、感情に任せて引き寄せた。
力が入らないながらに強く腕の中に閉じ込める。
久しぶりに触れる相手の肌のしなやかな弾力が、女々しい切なさや恋しさを倍増させた。
「ユフィ、まだ帰るな。ここにいてくれ。」
頬に顔を寄せ、それから首筋に唇を押し付けた。
肩をすくませながら焦った声で俺の名前を呼ぶユフィ。
腕をほどけない。
ほどいてやるものか。
本当はこの肌を、この体温を、ずっと求めていたのだ。
彼女のいない一ヶ月の間、ずっと。
よく座っていたソファーの布地に。
ベッドの左側のシーツに。
彼女のぬくもりをほんの少しでも感じ取れないかと、何度も指でなぞった。
毎晩、毎晩。
「ユフィ、お前のことが忘れられねぇ。」
ついに言ってしまった。
なんて無様なことだ。
体調不良に任せて未練を吐露するとは、俺も焼きが回った。
ひょっとしてもう死ぬのだろうか。
「お前がいないと俺はダメだ、ユフィ。」
弱音は止まらない。
確かに別れたのだから、きっぱり諦めようと、何度も思った。
だができなかった。
あんなにお互いを否定して、感情を乱して言い合いをしたのに、それでも愛しさは残っていた。
叶うなら、帰ってきてほしい。
関係を修復したい。
また共に日々を過ごしたい。
一日の終わりにお互いを労い合って、休日は映画を観たり買い物をしたり二人のしたいことをして、愛し合いたくなったら寝室にも引きこもり、当たり前のようでそうではない、そんな生活を。
取り戻したい。
もし、お前も。
お前も少しでもそう感じてくれているなら。
ユフィは俺の腕をやんわりとほどいて、向き合った。
心なしか、目のふちがうるんでいる。
「……前はこんなに散らかってなかったもんね。」
呆れたように笑う彼女。
あぁ、俺が見たかった笑顔だ。
同僚や部下に見せる笑顔ではなく、俺だけに見せる笑顔。
ユフィの言う通り、部屋が散らかり始めたのは彼女が去ってからだ。
どこか無気力になって、普段は埃一つ許さなかったはずの俺が、掃除も手に付かなくなった。
「今はゆっくり寝て。ちょうど明日は休みだし、私はそばについてるから。治ったらちゃんと話そう。」
彼女は俺の首筋にそっと顔を寄せてから、ガキのようにしがみ付き続ける俺をなだめながら、寝室へと一緒に向かった。
再び横になると、一ヶ月間ぐつぐつ煮込んだヘビーな感情を吐き出したせいか、どっと体がだるくなった。
まぶたも重い。
ユフィはベッドの傍らでまたパソコンを開いている。
キーボードを叩く音を聞きながら、いつの間にか俺は深い眠りへと落ちていた。
半月前、ユフィは別の部署へ異動した。
会社での距離感も以前とは違う。
そういう要素も手伝って、俺たちはまたやり直せるのではないかと、頭の片隅で思い始めていた。
反省を活かし、きちんと対話をして、お互いに向き合って。
そうしたらいい関係を築けるのではないか。
言うのは容易いが、それでも今なら、あるいは。
諦めきれない日々に、人前で見せる平静を装った顔の下で、もんもんと可能性を探していた。
だから、もういい。
喧嘩した手前だとか、別れてまだ一ヶ月そこらだとか、そういった意地やプライドは今日で捨てる。
明日、熱が下がっていたら言おうと思う。
泣きつくようなかたちでフライングしてしまったが、改めて。
それは、元カノに未練たらたらな男の、復縁の提案。
それは、二度目の告白。
「ちゃんと話そう」と言ってくれた彼女に見てとれた、一縷の希望を握り締めて。
彼女が見舞いに来てはっきりと気付いてしまった。
俺は、お前がいないとダメになるくらいに、お前を愛してる。
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