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BLコンテスト・グランプリ作品
「見えない臓器の名前は」
- ナノ -
グリーンサムの魔女


※現パロ




彼女はどこかミステリアスな雰囲気をもっていた。
多くを語らず、大袈裟に表情を変えることもなく、いつも落ち着いていて、ふと何かに目を留めて微笑んでいる。

出会ったのは、会社と最寄り駅の中間地点にある花屋だ。
花屋というより植物屋と言ったほうが正しいかもしれない。
水に挿してあるような切り花もあるにはあるが、大小様々な多肉植物や、うねったりとんがったりしたエキゾチックな植木なんかが店内にところ狭しと並んでいるのだ。

その晩は寿退社する部下の送別会があった。
会場に赴く前、社員一同より贈るささやかな花束を買うために入店したとき、対応してくれたのが彼女だった。
オーダーしたブーケを作る細い指先や、後れ毛の散るなめらかなうなじ、白く薄い貝のようなまぶた、それらがなんだか珍しいもののように感じ、俺は作業する彼女を黙って眺めていた。
数分後には完成した、緑のあふれるボタニカルな花束。
きっと部下も喜ぶだろう。

そして、会計を終えたときだ。
おもむろに相手がこう言った。

「大丈夫ですか?」

顔を上げると、わずかに首を傾けた彼女がいた。

「…………。」

言葉に、詰まる。
静かなトーンの声が、俺の心のそばに、そっと佇んだような気がした。

「そこのカフェのピザ、美味しいんですよ。私は明日の夜、お店を閉めたらそこにいます。」

音もなく指さされたほうへ振り返ると、店のウィンドウ越しに、通りを挟んだ先にあるオープンカフェが見えた。
それから「ブーケ、気に入っていただけますように」と彼女は微笑む。
俺は面食らって「どうも」とつぶやくことしかできず、店を出た。

送別会で、花束は「すごく洒落ている」と好評だった。
どこで買ったかは、それとなくはぐらかしておいた。



次の日の夜、ずいぶん逡巡した末、あのオープンカフェへ足を運ぶことにした。
時刻は9時を回ったところで、カフェではカップルやビジネスマンらが会話と食事を楽しんでいる。
彼女は隅の席で本を読んでいた。
俺の気配を察知したのかと思うほどのタイミングで向こうが顔を上げ、目が合い、小さく微笑んだ。
そして手のひらで向かいの席を示してくる。
見つかったからにはもう回れ右はできない。
大人しく向かいに座った。

「このマルゲリータが私のおすすめです。」

相手は本をしまい、メニューをテーブルに開いて見せる。
まるで知り合いと合流したような気さくさだ。
俺たちは昨日顔を合わせたばかりで、お互いのことは何一つ知らないというのに。
彼女が手を挙げて店員を呼び、そのおすすめを注文し、俺は「ビールを」と付け加えた。
このおかしな状況に適応するために、酒の一杯は入れておきたいところだ。
すると「ビールをもう一つください」と彼女も言う。

それから彼女はようやく自己紹介を始めた。
名前は、ユフィ。
あの植物屋に6年勤めている。
昔から花や草木が大好きだったらしい。
店長の男はしょっちゅう海外へ植物の買い付けに出ており、店の運営は奥さん任せ。
それにスタッフは自分だけという少数精鋭だから、ディスプレイから発送まで様々な仕事を任される、やりがいのある毎日を送っている。

それは、仕事の愚痴を交えるような口調でもなく、自信満々に語る調子でもない、物語をゆったり紡ぐような話し方だった。

なぜ俺をここに誘うような言動をしたのかについては語られず、なぜ俺がここへ来ようと思ったのか彼女は聞かなかった。
出来立てのマルゲリータを口に運び、たまに冷えたビールで喉を濡らし、彼女自身の物語に耳を傾けた。
ピザを食べ終え、グラスも空になったところで、「来週の土曜日、北海道に住む友達からアスパラガスが届くんです」と彼女は口を開いた。

「私はお店の裏の一軒家を借りて住んでいます。一軒家なので、お客さんが一人遊びに来たって問題ありません。お客さんが来ても来なくても、私はアスパラガスを美味しくいただきます。」

彼女は微笑んだ。
それから「ご馳走さまでした」と手を合わせ、半分の代金をテーブルに置き、カフェを出ていった。

俺は食事中、簡単な相づち以外は一言も発しなかった。
しかし目の前のイスに残ったさみしげな余韻が、彼女に心地よさを感じていたことを俺に理解させた。

そして空になった皿に視線を落とし、はたと気付く。
確かに、この店のピザは、うまかった。



植物屋の裏手には小さな庭付の家があった。
敷地面積が狭いのに二階建てなものだから、道から見上げるとひょろりとした印象を受ける。

「いらっしゃい、今ちょうど出来たところなんです。」

出迎えた彼女はノースリーブのすとんとした長いワンピースを着ており、カーディガンを羽織っていた。
やはりごく自然に、俺を家に招き入れる。

そう、この日を迎えるまで散々迷ったが、結局俺はまた彼女に会いに来てしまったのだ。

踏み入った室内は、かなり独特な有りようだった。
至るところに植物が置いてある。
大きな陶器の鉢から小さなガラスの花瓶まで、背も幅も様々。
あるものは天井から吊られていたりするし、あるものは積まれた本の上に飾られていたりする。
植物の隙間を埋めるように書籍や小物やエアプランツが転がっており、壁のあちこちにはドライフラワーや異国の模様の刺繍されたキルトが飾り付けてある。
天井の蛍光灯は橙色で、たまに古風なランプに火が灯されているものだから、一瞬古い雑貨店にいるではと錯覚する。

リビングと思われる部屋には正方形の木のテーブルがあった。
その上には山盛りのアスパラベーコン、アスパラガスの塩焼き、それにアスパラガスを使ったサラダ、他にはピクルスや鶏の煮込み料理などの小皿が並べられている。
当然のように、彼女はそれらを俺にふるまった。
北の大地から送られてきたアスパラガスは、その野菜の見方が180度変わるほど味が濃く、甘い。
あまりの美味しさに、体だけではなく、心にまで栄養が補給されるような気さえした。

ここで俺は、初めて自分のことを話した。

「3ヶ月前、母親が他界した。」

喉が苦しい。
人にこうやって話すのも、初めてかもしれない。

ことの始まりは一年前だ。
突然、母が倒れたと叔父から電話があった。
病院で検査したときには、母の体は治しようのない段階にまで病魔に侵されていた。
できることはやったが、結果はわずかばかり延命できたくらいだった。

斜め前に座る彼女は静かな眼差しでこちらを見つめている。
そしてそっとまぶたを閉じた。

「辛かったですね。」

俺は気付く。
体内に滞っていたものを声にしたら、少し気が楽になったことに。

「来週の土曜日も、ちょっと手の込んだ晩ご飯を作る予定です。もちろん、お客さんが来たってかまいません。」

彼女は薄く微笑んだ。



母が死に、俺は打ちひしがれていた。
女手一つで育ててくれたにもかかわらず、仕事に追われるばかりで親孝行も何もできなかったからだ。
もっと帰ってやればよかった、電話してやればよかった、外食に連れていってやればよかった、すべてが終わってからアイデアがいくつも浮かんでくる。
それがたまらなくやるせない。

同時に、仕事に忙殺されるこの生き方をいつまでも続けていていいのだろうか、という自問が俺を立ち止まらせた。
あれから3ヶ月が経つ。
しかし今もなお、命日から一歩も動けていない自分がいる。

そんな日々に、彼女は突然現れたわけだ。



アスパラガスのコースをご馳走になった次の週から、俺は土曜日になると彼女の家に訪れ、夕食を共にした。
テーブルに並ぶ料理はいつも上品に盛りつけられ、素材の味を引き立てるように調理されていて、食べると腹がじんわりと温かくなった。
そして、仕事とも肉親とも関係のない人間と食事をしながらなんでもない会話をする、その時間が俺の傷心を徐々に癒していった。

俺たちはいつしか砕けた口調で話すようになった。
敬語を止めた彼女からは、彼女自身のパーソナルスペースがまったく感じられなかった。
本につまずいた拍子に、胸同士が触れるほど近付いてしまっても、まったく動じない。
それどころか「狭くてごめんなさいね」と小首を傾げて真正面から俺を見るのだ。

いつまで経っても彼女の存在は謎めいていて。
それがしっとりと魅力的で。
ひょっとしたら魔女の末裔なのではなかろうかとも思う。

彼女の趣味は、100円均一ショップやホームセンターでしおれかけている植物を購入し、自宅で元気いっぱいに回復させてやることだった。

彼女も植物屋の店長みたく、いつかは海外へまだ見ぬ植物を探しに行きたいらしい。

彼女はこの家をいたく気に入っており、人を招いたのは初めてだという。

「付き合っている男を呼んだりしなかったのか。」

ある日、食後の紅茶を飲みながら、そんな話題になった。

「そういう間柄の人はいなかったから。」

一つまばたきしてこっちを見る、彼女。

俺は上体を乗り出し、薄紅色の唇に自分のそれを重ねた。
彼女の唇は少しの違和感もなく、俺に応えたのだった。



その家の二階は、一階よりも手狭だった。
窓際にベッドがあり、そこ以外は一階以上に本と植物で埋まっているからだ。
しかし草花のどれもが青々と繁り、室内はみずみずしい香りがして、居心地がいい。
まるで森に作られた秘密基地にいるような気がした。

同じベッドで眠った朝、彼女は俺よりも早く起きて、裸のまま小ぶりなジョウロで植物たちに水をやっていた。

ベッドに戻ってきてカーテンを少し開け、ベッドボードにある鉢へ水をやる背中に、唇を這わせた。
すると彼女はジョウロを置いて、こちらに向き直る。
頬を包むように撫でられたので、その手のひらを取って口付けた。

「かまってさんね。」

口の中で笑って、彼女も俺の額にキスをした。
青い血管の透ける手首、やわらかな二の腕、浮き出た鎖骨……、唇を沿わせていく。
彼女はそんな俺を感じるように目をつむり、髪やうなじを撫でてくる。
そのまま二人してベッドに横たわった。

素肌に当たる朝日のぬくもりを感じながら見つめ合うと、彼女は満足そうに俺を眺める。

「元気になってきた。」

「そうか?」

「顔色がいいもの。」

それから俺たちは互いを抱きながら、また少しまどろんだ。

「あの日、なぜ俺をカフェに誘った?」

ブルーベリーのジャムを塗ったトーストかじる。
一階のテーブルでブランチをとりながら、初めて会った日に行ったやりとりの真意を聞いた。
彼女は珍しい含み笑いを浮かべ、怒らないでね、と前置きした。

「元気がなかったから、心配になったの。」

「…………。」

複雑な心境になる。

「草木と同じ扱いってことか。」

物言わぬ植物の管理に余念がない彼女は、同時に人間の生気にも敏感になっているのだろう。
俺が今にも枯れそうだったから、水を与えなければと使命感に駆られたわけだ。
100円均一ショップのしなびた緑を見つけたときのように。

「最初はそうだったのかな。」

いつもより口角を深めて微笑む彼女。

「でもだんだん愛着が湧いたんだと思う。」

「愛着?愛じゃないのか?」

「あなたにとっては愛なのかもね。」

よく分からないが、そういうものか、とパンの耳を口に放り込む。

彼女はまだまだ謎が多い。
そういえば、年だって俺より上か下かも聞いていない。
魔女の末裔説はいまだに健在だ。

多くを語らず。
大袈裟に表情を変えることもなく。
いつも落ち着いていて。
ふと何かに目を留めて微笑んでいる。
気付けばそんな彼女がくせになっていた。
人生に迷走している今、好きなものをゆったりと愛でる姿にも惹かれたのだと思う。

俺も、大切な存在を大切にする生き方ができるだろうか。
無意識に時間に流される日々を、変えられるだろうか。


ふいに、手のひらにおさまる紅茶のカップのあたたかさに気付き、それから自分の心に気付く。
久しぶりに、気持ちが上向いていた。
きっと彼女に水をやってもらったからだ。

「あ、きれい。」

リビングの掃き出し窓を見やり、彼女がぽつり。

つられて見れば、天気雨がきらきらと輝きながら、日光と共に庭へ降り注いでいたのだった。



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