Whiteday 2019
近年、調査兵団内でブームとなっているバレンタインは、俺にとっては鬱陶しいものでしかなかった。
兵団内を歩けば数歩進むごとにチョコを渡され、さらには一般市民からもどっさりと送られてくる始末。
数が多すぎて、返礼には到底手が回らない。
だから菓子を持ってきた奴には、あらかじめ「お返しはしねえぞ」と断ってある。
しかし、そんな俺に青天の霹靂のような出来事が起きた。
バレンタインの夜、流行りに疎そうなあいつがチョコを持って部屋へやってきたのだ。
密かに気に入っているあいつの、手作りのプレゼント。
嫌であるはずがない。
勢いあまって部屋に招いてしまったくらいだ。
そういう経緯があり、俺はバレンタインの醍醐味を知ってしまったわけだ。
「今日はホワイトデーらしいな。俺はお返しってのはしねえ主義だ。だが菓子が手に入ったタイミングでたまたまお前がここにいて、たまたまそれがホワイトデーだったということだ。分かるな。」
「は、はい、分かりました!ありがとうございます!」
3月14日。
彼女が書類を取りに執務室へ来たタイミングで、クッキーの缶を突き出した。
よほど嬉しいらしく、相手は瞳を輝かせて受け取った缶を見ている。
苦しい前降りだっただろうか。
もうこの際どうでもいい。
必要な建前を伝え、菓子を渡せたという事実で満足だった。
そう、俺は同じ釜の飯を食った幹部にすら返さず、目の前の一人にだけ、街で買った焼き菓子をやったわけだ。
先ほどのセリフの大半は真っ赤な嘘であり、これは完全なる特別扱いである。
まあ、一つ言っておくなら、俺だって一人の女に入れあげることもある、そういうことだ。
「こんなにたくさん……。私だけで食べるのが勿体ないです。終業後にでも一緒に食べませんか?紅茶も淹れますから。」
顔には出さないが、少々面食らった。
夜中に部屋へ訪れたり、こういう提案をしたり、こいつは時々驚くほど積極的になる。
「構わない」と告げれば、目を細めて頬を桃色に染めた。
春の訪れを感じさせるような、眩しい微笑みを浮かべながら。
あぁ、好きだ。
ごく自然に浮かんできたのは、極めてシンプルな感情。
シンプルだが、それはとてつもないエネルギーを持っていた。
むくむくと甘酸っぱく胸に広がり、喉元までせり上がってくる。
「……これをお前にやったのがたまたまだと、さっきは言ったな。」
いい年になった男でも我慢がきかないことがあるらしい。
「あれは嘘だ。」
彼女はきょとんとしてこっちを見た。
俺は一歩、相手へ足を進める。
「どういう意味か、分かるか。」
また一歩、ゴツ、とブーツが床を踏む。
手を伸ばせば抱きしめられそうな距離に差し掛かる。
彼女は「え」とか「あ」とか言いながら混乱したように目をしばたかせ、ようやく半歩後ずさった。
頬の桃色は赤へと変わった。
その様子は愛らしく、そして愉快だった。
「!」
焦った彼女が足をもつれさせて倒れそうになり、俺はその腰と腕を掴んで引き上げる。
そして、唇は、耳元へ。
「真実は今夜、教えてやる。」
のぼせたようになって退室した彼女を見送り、俺はそのときへ思いを馳せる。
言ってしまおう、本当のことを。
そしたらあいつはどんな顔をするだろうか。
浮かれている自分がらしくなくて滑稽だが、流行りのイベントに乗ってみるのも悪くない。
なんせ二人のホワイトデーは、夜まで続いていくのだから。
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