ハイボールが、お好きでしょ
※現パロ
「リヴァイさんが留守の間に、旨いハイボールを出す店ができたんですよ。久しぶりに日本のバー、行きませんか?」
度々いい店を見つけてくる部下に誘われ、会社帰り、俺はその店の扉を開けた。
「いらっしゃいませ。」
ぱっと目に入ってくる、落ち着いてこじんまりとした店内。
カウンターに立っていたバーテンらしき女がこっちを振り向く。
「!」
一瞬、呼吸が止まったのは、俺だけではなかった。
その女──ユフィも、同じ反応をしていたのだ。
***
初めて訪れた日から1週間後、俺はこのバーへ再びやってきた。
「あの。リヴァイ、さん。」
「今日は俺一人だ。かしこまらなくてもいい。」
この店の女店主のユフィはやや伏し目になってはにかみ、「リヴァイ」、そう呟くように言った。
落ち着いているがどこか艶っぽい、その声で呼ばれたことが久しぶりで、懐かしさと一抹の切なさを胸に覚える。
「ハイボール、今もダブルなんだね。」
言いながらコースターの上に置いたのは、ジョッキに注がれたハイボール。
暖色のステンドグラスで作られた間接証明の光を受けて、氷が黄金色に輝いて見えた。
「俺にはこれがちょうどいい。」
「そっか。何か食べる?竜田揚げ、あるけど。」
「あぁ、もらう。」
お通しのバーニャカウダの野菜をかじりながら、ハイボールに口をつける。
香りのいい、スキッとした味わいが喉を潤した。
「元気だった?」
「あぁ、相変わらずだ。お前は……、」
カウンターの端からカラカラと揚げ物をする音が聞こえてくる。
「この前少し話したけど、やっと独立して自分の店を持てた。やっぱり自分の城って、いいものね。」
料理の音に負けないよう、少しだけ声のボリュームを大きくして、ユフィが言った。
前回は部下のエルドがいたから軽い近況報告しかできなかった。
この店は開店してまだ1年。
そして俺は日本に帰国して2ヵ月だ。
「お待たせ」とカウンターに皿がやってきた。
鶏の竜田揚げ、ユフィの得意料理。
「懐かしいね……。これをリヴァイに作るの、5年ぶりかな。」
口元に淡い笑みをたたえて彼女は言う。
そう、俺たちは5年前まで付き合っていた。
そのとき俺は長期の海外出張が決まり、彼女は夢を追っていた。
自分の道をひた進む、ある意味似たような性格だったものだから、お互い「仕方がない」と別れを受け入れたのだった。
竜田揚げを頬張れば、醤油ダレのよく染みた肉汁がじゅわりと溢れた。
「相変わらず、旨い。」
ユフィはくすぐったそうに微笑む。
それから共通の知り合いの近況報告に話題が移った。
正直、当たり障りのない会話だったと思う。
別れた男女のお手本のような内容だったかもしれない。
それでも、彼女と話すと甘い心地よさを覚えるのだった。
話の途中で3人のサラリーマンが店に入ってきて、ちょうど竜田揚げを平らげたタイミングだったこともあり、俺は席を立つことにした。
「平日の遅めの時間ならすいてるから。」
おつりを受けとる際、ボリュームを控えめにした声が俺だけに届く。
「話し足りなかったかなって。……あ、ごめん。リヴァイも仕事があるよね。」
その伏し目を2秒ほど眺め、俺は「分かった」とだけつぶやき、バーを出た。
***
それから俺は毎週木曜日の夜、ユフィの店に顔を出した。
残業すれば仕事帰りに直接向かい、仕事が定時で終われば一度家に帰ってから。
彼女の言う通り、11時頃に行けば二人きりで話ができた。
話題はやはり、ありきたりで他愛ないことだった。
今日は珍しく酔っている。
仕事が佳境で徹夜続きのせいかもしれない。
心地いい酔いを感じながら、カウンター越しにハイボールを作る彼女の手つきをなんとなく眺めていた。
冷凍庫から出したキンキンのグラスに、トングを使ってカラコロと音を立てて氷を満たす。
8分の1に切ったレモンを指でつまみ、ぎゅっと絞れば雫が滴る。
その細かく散った霧のような水分を見るだけで、唾液がじわりと溢れて舌を濡らした。
ウィスキーの太いビンを細い指がしっかりと支え、ステンレスのメジャーカップに注ぎ、それを2杯、グラスへ。
続いて静かに注がれたのは、炭酸水。
無数の泡の弾ける清涼な音が聞こえてくる。
すらっと長い銀色のマドラーが、グラスの中をくるり、1回転。
その旨い酒を作る女の横顔は凛としていた。
(相変わらず、お前はいい女だな。)
「え?」
トン、と目の前に置かれたグラス。
その音で、俺は自分が心ここにあらずな状態だったことを知った。
こっちを見るユフィは頬を染め、驚いたような、困ったような顔をしている。
まさか。
「声に出てたか……?」
「う、ん。」
二人の間に流れる、数秒の沈黙。
「……そんなこと言っても、お値引きなんてしませんよ。」
ぽそり、そう言って、彼女はいそいそと皿を拭き始めた。
伏し目の目尻がほんのり赤い。
「今、男はいるのか?」
「いないよ。そっちは、恋人は?」
「俺もいない。」
考えるよりも先に口から滑り出ていたこの話題は、彼女の「ふうん」という言葉でそれきりとなった。
でも、今はそれでよかった。
旨い竜田揚げを旨いハイボールで胃に流し込み、1時間後、俺はほろ酔いで店を出るだろう。
そして来週の木曜の晩に思いを馳せながら帰路につき、バーの女店主の伏し目をまぶたの裏にちらつかせてベッドへ横になり、今日を終えるだろう。
俺はそうやって習慣化した木曜日の夜をなぞる。
もしかしたら1ヶ月後の木曜にはもうそうしていないかもしれないし、ひょっとすると1年後の木曜もそうしているかもしれない。
未来のことは分からない。
俺もユフィも、誰一人として。
だから、そう、今はこれでいい。
これでいいんだ。
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