一年記念日
「ねぇ、覚えてる?」
彼女は弱々しい声で俺に語りかけた。
「今日は私とリヴァイが恋人になって、ちょうど一年なんだよ。」
当たり前だろ、もちろん知ってたさ。
それなのに、あぁ、なんて日だろう。
俺は巨大樹の太い枝の上に座り、ユフィを背後から抱きしめている。
俺たちの隊はこの場にいる二人を除いて、全員やられた。
馬はいつまで経っても戻ってきやしない。
空は悲しいほどに青く、突き抜けるように広がっている。
「やっちゃったなぁ。」
続いてユフィは独り言のように言う。
壁外調査で補給地点へ向かう途中、巨大樹の影から突然飛び出してきたのは、十メートル級の巨人が一体、五メートル級が三体。
その奇襲に馬は驚いて暴れ、制御がきかなくなった。
壁外で要となる馬をやられた兵士たちは、無残にも次々に食われていった。
馬から投げ出されたがすぐに体勢を立て直した俺は、十メートル級に噛みつかれていたユフィを救出し、他の巨人が襲いくる寸前で樹上に避難したのだった。
「私、もう戦えないかも……。」
俺に背を預けて座る彼女。
その右足のふくらはぎから先は、ずたぼろになっていた。
シャツを破いた布で膝を縛って止血しているが、真っ赤に染まったブーツを見るに、かなり出血したようだ。
「もう、リヴァイと一緒に戦えないかも……。」
ユフィは使い物になりそうにない右足を、そして戦えなくなった自分の未来を見ているのだろう。
語尾が涙声に変わった。
「一緒に……、いられないよ……。」
たまらず俺はその柔らかい髪に唇や鼻を埋める。
鼻腔にあんなにこびりついていた血の匂いがユフィの甘い香りになり、胸の内が締め付けられるようになった。
「ユフィ。」
一層きつく、華奢な体を抱きしめる。
強く強く思った。
こいつを失いたくない、と。
「……ユフィ、俺と結婚してくれ。」
「……!」
その途端、ユフィは驚いて俺を見上げ、大きな瞳がこぼれ落ちそうなほどに目を見開いた。
「ほん、とに……?」
「本当だ。」
血の気のない顔へみるみるうちに嬉しそうな表情を浮かべ、彼女は再び俺の肩に頭を預ける。
「嬉しい……。」
血だらけのプロポーズ。
こんな雰囲気もクソもないシチュエーションですまないが、頼むから。
「本部の近くに二人で住むのはどうだ。」
「うん、すてき……。」
頼むから、その鼓動を弱めないでくれ。
「壁内に帰ったら指輪を買いにいくぞ。好きなものを選んだらいい。安心しろ、給料はそれなりにもらってるからな。」
「うん……。」
どうか二人の未来を約束させてくれ。
「腕のいい義足屋も知ってる。そいつに頼めば、もし片足になっても日常生活には支障はないだろう。」
「うん……。」
お前の望むことならなんだって叶えてやるから。
「なんならガキも作ったっていい。」
だから。
「ありがとう、リヴァイ……。」
思わず息を飲んだ。
それは驚くほど穏やかな、吐息のような声だった。
「ユフィ、おい。」
返事はない。
無情にも、彼女の脈に反するように早くなる俺の心臓の音。
「ユフィ、」
無意味に彼女の髪をかき撫でる。
「ユフィ、」
力のなくなった彼女の頭がくたりと傾いた。
「待て……、」
心が、急速に冷えていく。
「いくな、おい、」
俺を置いていくな。
「クソっ!!早く……、」
救いを求めるように上げた視線の先に、調査兵団の小隊がこちらに向かってきている小さな影が見えた。
今日が記念日だなんて、誰でもいいから嘘だと言ってくれ。
***
まだ薄暗い早朝。
俺は顔を洗い、歯を磨き、シワ一つないシャツに袖を通す。
着替えながら窓の外に目をやれば、霧が出ているようで白く曇っていた。
「はい、ベルト。」
ふいに背後から声がして振り向けば――
「悪い、起こしたか。」
寝巻きにガウンを羽織ったユフィが対Gベルト一式を持って立っていた。
「大丈夫。ベルト、つけるの手伝うよ。」
もちろん一人でできる作業だが、微笑むユフィに甘えて装着を手助けしてもらう。
背中のベルトを締める指先を感じながら、唇を開いた。
「今朝、夢を見た。」
「どんな夢?」
「一年前の今日を見ていた。」
手の動きを止めて、ユフィがこちらを伺っているのが分かった。
だから俺は振り返ってその体を腕の中に閉じ込める。
あのとき、一瞬、失ったかと思った。
もう二度と笑顔を見られないのかとも思った。
目の前が真っ暗になるほどの絶望を垣間見た。
込み上げるものを感じて長く息を吐けば、そっと両手が背に回される。
「生きてるよ。リヴァイのお陰で。」
優しさに満ちた心地よい声が鼓膜を震わせた。
そう、ここにあるのは、確かなぬくもり。
生活するのに申し分のない義足。
シルバーのリング。
そして。
「お腹の赤ちゃんも、ね。」
にっこりと笑うユフィに導かれるまま、ふくらみ始めた腹部を撫でる。
あたたかくて、静かに脈打っていた。
ここに、俺と、ユフィの、新しい命が。
「あ、リヴァイ、今お父さんの顔になった。」
「どんな顔だそりゃ。」
「うーん、うまく言えないけど、そんな顔してたよ。」
嬉しそうに、興味深げに覗き込んでくる彼女から逃げるように視線をそらす。
どんな顔をしていたのか自分では分からないが、なんだか気恥ずかしかった。
正直、親になる自覚はまだない。
だが産まれてくる子どもを想うと胸の奥がムズムズするような感覚は、きっとそれに近いのかもしれない。
戦いはできなくなったが幸せそうに笑うユフィを見ると、この選択は間違っていなかったのだと思わせてくれる。
まともな家庭に身を置いたことのない俺だが、人間は慣れる生き物であり、家で妻が待つこの生活にもぎこちなくではあるが溶け込みつつあった。
「いってくる。」
「いってらっしゃい。」
見送るユフィへ日課のキスをする。
せがまれた当初はド定番過ぎて照れくさかったが、今じゃ慣れたものだ。
「今夜の夕食は期待してね!」
「あぁ。だが無理はするなよ。」
自宅の扉を開けば、生まれたばかりの朝日が霧の隙間からその光を差しのべてきていた。
いつもの光景が心なしか鮮明で、少し違って見える。
そんな感覚を持ったことに俺自信が驚いているが、まぁ、いいか。
こういう日くらい、俺みたいな戦うしか取り柄のない男が、機微を感じても。
なんせ、今日は二人の記念日なのだから。
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