真夜中に本の虫と
食堂からかすかに灯りがもれていることに気付いて、ハンジさんから穴場スポットだと聞いてそこに向かっていた私は足を止めた。
(あれ、もしかして先客がいる?)
足音を忍ばせて入り口に近づき、そっと中を覗く。
(兵長!?)
窓際のテーブルに、ランタンの灯り一つで本を読む私服姿の兵長が見えた。
(ここじゃない方がいいかな……。)
気難しそうで会話もしたことのない兵長に「一緒に読書してもいいですか」なんて言える度胸と自信はない。
引き返そうと身をよじると。
「おい。そこに誰かいるのか?」
警戒した色を含んだ声が飛んできた。
(気付かれてた!?)
咄嗟に入り口へ飛び出て拳を胸に当てる。
「はい、第四分隊のユフィです!お取り込み中のところ申し訳ありません!」
上官への敬礼はもはや反射条件に等しい。
「ユフィ……?」
「お邪魔して申し訳ありません!私は部屋へ戻りますのでお気になさらず!」
なぜか眉をひそめる兵長にびびって、早々に立ち去ろうとまくし立てた。
「待て。お前も本を読みにきたんだろう?ここは食堂だ。誰が使ってもいいはずだが。」
兵長の視線は私の手に握られている本に留まっている。
予想外の投げかけだった。
回りくどい言い方だが、要するに。
「……つまり私もご一緒してもかまわない、ということですか?」
「灯りが増えると助かるしな。ランタン一つじゃ心もとないと思わねえか、調査兵団の本の虫。」
「……今なんと?」
聞き返さずにはいられない名前で呼ばれた。
兵長は再び読んでいた本に目を落とす。
私への警戒は解かれたらしい。
上官の言葉を無下にするのもはばかられるので、とりあえず食堂に踏み入って歩きながらどのテーブルにつこうか思案する。
「ハンジがお前のことをそう言っていた。」
「あぁ。最近、分隊長の研究室へ本を借りに行ってるんですよ。まさかそんな二つ名をつけられているとは……。」
兵長は神経質で人をあまり近付けないイメージだったが、意外とそうでもないらしい。
迷ったあげく、兵長が座るテーブルの隣のテーブルにある、彼の位置から見て向かいの席に腰かけた。
この位置ならランタンの光りが向こうにも充分に届くだろう。
持ってきた本とランタンを置くと、兵長は自分の本に緯線を落としたまま静かに口を開いた。
「寝つけないのか?」
「もともとショートスリーパーなんです。だから夜は大抵読書の時間になってまして。もしかして兵長もですか?」
「まぁ、そんなところだ。」
なんだろう。
静まりかえった真夜中に、兵長の落ち着いた声のトーンが心地いい。
それから読書そっちのけでポツポツと色々なことを話した。
兵長から質問されることもあったし、私が話を振ったりもした。
よく読む本の話。
休日の過ごし方の話。
私の苦手な訓練の話。
兵長の好きな紅茶の話……。
私の持参した本はさみしそうにテーブルへ寝そべっており、兵長は自身の本を開きながらも読み進めてはいないようだった。
今日初めて会話したというのに、その時間はずいぶんとゆったりして落ち着くものだった。
「ふぁ……。」
「眠くなったか。」
まぶたが重くなってきて目をこする。
「はい……。今日はなんだか眠くなるのが早いです……。兵長の声が落ち着くからですかね?」
思わず言ってから、失礼なことを口にしてしまった、と心臓がひやりとした。
しかし。
「は……、何言ってる。」
笑ったような反応をされて、どきり、胸が高鳴る。
貴重なものを見た。
「明日は野外訓練だ。早めに休め。」
「そうします。」
静かに席を立つ。
しかしどこかすんなりと帰りがたくて、少しだけ緊張しながら兵長を見た。
「あの。」
「なんだ。」
視線が重なる。
兵長の目はランタンの灯りを揺らめかせた猫の目のようだった。
「……またご一緒してもいいですか?」
「二度も言わせるな。ここは食堂だ。使うには上官の許可がいるのか?」
「ふふ、そうでしたね。」
今度はほんの少しだけからかうような口調も混じっていて、胸にじんわりと甘酸っぱい感覚が広がる。
「では兵長、お休みなさい。」
「あぁ。」
(あんな風に笑うんだ……。)
部屋に戻ってベッドに入ると、さっきの兵長が頭にちらついて鼓動を乱した。
しかしすぐに彼との緩やかな時間を思い出して、私は安らかな眠りについたのだった。
そして、実は兵長もあのひとときに心地よさを感じていたことを私が知るのは、もう少し先の話。
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