マッチ売りの少女とサンタ 前編
クリスマスが間近に迫った、ひどく寒い日のことでした。
雪がしんしんと降り、辺りはもう真っ暗です。
この寒さと暗闇の中、一人の少女が町を歩いていました。
その手には古びたバスケット。
中にたくさんのマッチが入っています。
「マッチはいりませんか?マッチはいりませんか?」
少女は道行く人々に声をかけますが、誰一人として足を止めてはくれません。
寒さと空腹に震えながら、少女はバスケットを片手に歩き回ります。
髪や肩に降り積もった雪や、踏みしめる凍った地面が彼女の体温を容赦なく奪っていきます。
周囲の家の窓にはあたたかそうなだいだい色の光が灯り、道にまでシチューやチキンのおいしそうな香りが漂っていました。
部屋から聞こえてくる子どもたちの声は、「サンタさんにお手紙を書かなきゃ!」「プレゼントは何にしようかな?」と楽しそうにはしゃいでいます。
なにしろもうすぐクリスマスなのです。
どの家庭でもリビングにクリスマスツリーを飾り、暖炉の横にたくさんの薪を用意し、ご馳走を作る計画を立て、その日が来るのを心待ちにしているのです。
しかし少女にとってクリスマスは、まったく関係のないことでした。
やがて歩き疲れた少女は路地のすみに座り込みました。
窓のひさしがちょうどよく雪をしのいでくれていたのです。
彼女はぴったりと膝を抱えました。
それでも冷えた地面や空気によって、体はどんどん寒くなっていきます。
ここであたたかい家に帰ることができたらどんなにいいでしょう。
ですが今日、マッチはひと箱も売れていません。
今帰ったら、きっとお父さんにぶたれてしまうことでしょう。
それに家は古くて隙間風がひゅうひゅうと鳴り、貧乏なのでベッドの毛布は薄く、お世辞にも快適とは言えないのです。
座っているうちに、少女の手はすっかりかじかんでしまいました。
冷たい指先をこすり合わせながら彼女は思いました。
少しでいいから暖を取りたい。
ほんの少しだけでも火にあたりたい、と。
例えそれが1本のマッチの炎であっても、彼女にはありがたいものでした。
少女はかたわらのバスケットからマッチを1本取り出しました。
そして、シュッと音を立ててすりました。
途端に、目の前が明るくなります。
なんてあたたかな光なのでしょう!
なんてよく燃えることでしょう!
少女にはその小さな火が、大きな鉄のストーブの炎のように見えました。
赤々と燃えていて、周りを勢いよくじんじんとあたためます。
少女は身を乗り出してもっとあたたまろうとします。
しかし次の瞬間、立派なストーブは消えてなくなり、燃え尽きたマッチだけが手の中に残りました。
少女はもう1本、マッチをすりました。
すると彼女の前に明るい部屋の光景がぱあっと広がりました。
そこはリビングのようで、テーブルの上には大きな七面鳥の丸焼きの皿が乗っています。
七面鳥は、今にもこうばしい美味しそうな香りが漂ってきそうな湯気を上げているではありませんか。
その周りには焼きたてのパンやケーキなど、ご馳走がずらりと並べられていました。
少女が思わず手を伸ばすと、リビングや料理は瞬く間に消え、あとには暗く冷たい壁が残っただけでした。
少女はさらに1本マッチを灯しました。
今度は大きな大きなクリスマスツリーの下に座っていました。
そのツリーは町にあるどのショーウィンドウのものよりも大きく、きらきらした美しい飾りがたくさん付いています。
てっぺんには立派な黄金の星が輝いていました。
少女がきらめく星に向かって両手を伸ばすと、マッチの火は消え、その手にはきんと冷えた風が吹きつけました。
震える手でまた1本、マッチを擦る少女。
再び明るくなり、次は誰かの腕の中にいるような様子が見えました。
それは彼女をしっかりと包み込む、とても安心できる腕でした。
決して彼女をぶつ父親のものではなく、抱き締めてもらえば心が芯から満たされていく予感がする腕でした。
「お願い、私を連れていって……!」
火が消えたら、その幸福な光景も消えてしまいます。
あたたかいストーブも、七面鳥の丸焼きも、大きなクリスマスツリーも、安心できる存在も、何もかも。
寒くて寂しくて、もうどうしようもなかったのです。
少女はありったけのマッチを擦りました。
まばゆい光の中で、彼女は凍えもせず、空腹もなく、満ち足りた気持ちになり、それから──
「──おい。」
無愛想な男の声で、眠りかけていた彼女は目を覚ましたのでした。
つむっていたまぶたを持ち上げると、かすむ視界に人が立っているのが分かりました。
「こんなところで寝たら死んじまうぞ。」
また声がして、少女はようやく顔を上げました。
まず目に入ったのは黒いブーツ、そしてもこもことした黒いコート。
それからマフラーをしっかりと巻き込んだ、三白眼の見知らぬ男の顔。
相手が睨むように見下ろしてくるので、少女はおびえました。
「さっさと家に帰れ。」
彼女はなんとか勇気を振り絞り、首を左右に振りました。
「お父さんにぶたれるから……帰らない。」
目の前で仁王立ちし続ける男は、眉間のしわをいっそう深くします。
そしてそばに転がるバスケットやマッチの燃えカスを見やりました。
「お前、マッチでも売ってんのか。」
少女がうなずくと男はしばし黙り込み、それから口元のマフラーを少し下げてこう言いました。
「もっといい仕事がある。俺が仕切っている配達の仕事だ。この時期は人手不足でな。少しキツいが、やりがいはある。やってみるか?」
マッチをすべてすってしまった今の少女に売るものはなく、帰ってもお父さんからの辛い仕打ちが待っているだけです。
彼女はふらつきながらも立ち上がったのでした。
少女の意思を理解した男は一つまばたきし、
「俺は寒いのが嫌いなんだ。これ以上ここにいると凍えちまう。ついて来い。」
そう言ってマフラーに顔を深くうずめ直し、路地の奥へと歩き出しました。
慌てて少女は後を追います。
間もなくしたところでふいに開けた場所に出て、彼女は驚きました。
まるで周囲の家が場所をゆずったかのようにぽっかりと小さな広場を作り、そこには大きな赤いソリが置いてあったのです。
そのソリには雄々しい角を持った2頭のトナカイが繋がれていました。
トナカイたちは男の姿を見つけると、会釈をするように首を振りました。
驚き言葉を失っている少女に、男は「乗れ」とぶっきらぼうに言います。
乗り込んだソリのふちには金色の繊細な細工が施されており、二人が座っても少しもきしむことはなく、それが上等なものであることが分かります。
そうして男が手綱を持つと、さらに信じられないような不思議なことが起こりました。
「わあ!」
なんと、トナカイが走り出すと同時にソリが浮き上がったのです!
そのまま路地をすいすいと上っていき、あっという間に家々の屋根を越えてしまいました。
雪雲の晴れ間から覗く星空に、今にも手が届きそうなほどです。
あまりのことに隣の男のコートへしがみ付く少女。
「あなたは何者なの?」
叫ぶように言うと、男は少しだけまぶたを細めて少女を見下ろしました。
「俺はリヴァイ。この町のサンタクロースをやってる。」
少女はただただ、目を見開くばかりでした。
ソリが下りたのは人里から離れた山奥にある、小さな古城の前でした。
周囲は木々が生い茂って雪が高く積もり、町の人はとても足を踏み入れられる場所ではありません。
「おかえりなさい!」
ここまで驚くことばかりでしたが、少女はまた飛び上がりました。
大きな鉄の門に取り付けられた小さな扉が開いたかと思えば、彼女の腰ほどの背丈の小人が4人出てきて、ソリから降りた二人をわらわらと取り囲んだのです。
4人とも、絵本に出てくるサンタが着ているような、赤と白の服をまとっていました。
「支部長、この方は?」
「俺の助手だ。」
少女を興味津々に見上げる小人たちに、サンタのリヴァイは言いました。
そして少女に向き直り、
「これから半月、イブの日までお前はこいつらと共にプレゼントの仕分けをしてもらう。24日の夜は俺と配達だ。」
と説明しました。
こうして、マッチ売りの少女はサンタの助手となったのです。
古城の中はその外見からは想像できないほど広く、工場のような造りになっていました。
ある場所ではベルトコンベアで流れてきたおもちゃを小人たちが箱に詰め、ラッピングをし、またある場所ではそれらのプレゼントを配達地区ごとに仕分けをしています。
少女には専用の部屋が与えられました。
そして一日外を歩き回って疲れきっていた彼女に、リヴァイの指示で小人がやわらかなパンと熱いシチューを持ってきてくれました。
久しぶりの美味しい食べ物でお腹が満たされた少女は、すぐにふかふかのベッドで眠ってしまったのでした。
次の日からは一生懸命働きました。
工場内は不思議と寒くはなく、食事もあたたかくて栄養のあるものが十分にもらえたので、まったくつらくはありませんでした。
サンタのリヴァイは一日に何度も工場のエリアに現れては忙しそうに小人たちへ指示を出し、少女の働きぶりを見ては「良い子だ」と頭を撫でてくれました。
そのたびに少女の心はぽかぽかと火照るのでした。
友達もできました。
「ペトラ、見て。この子すごく素敵!きっと可愛い女の子のおうちへ行くんだわ。」
「そうね、ユフィ。喜んでくれるといいわね。」
毛足の長いテディベアをラッピングする少女に、小人のペトラは笑いかけます。
ペトラはまるでお姉さんのように親しげに接してくれたのでした。
他の小人たちも、とても親切です。
オルオは小言の多い小人ですが、困ったときはすぐに助けに来てくれます。
エルドはみんなのリーダーのような存在で、少女の質問には何でも答えてくれました。
グンタは真面目な小人で、おもちゃを素早く包むコツを分かりやすく教えてくれます。
プレゼント工場の仕事は日に日に忙しくなっていきますが、マッチを売っていたときには決して得られなかった充実感がありました。
そして働き始めて一週間が経ったときのことです。
「ユフィ、あなたずっとここに居てくれないかしら。」
小さな手で器用にラッピングした箱を少女に渡しながら、ペトラが言いました。
「私たち、ユフィが来てくれてとても助かっているの。それにあなたを見るリヴァイ支部長が、すごく嬉しそうだから。」
「そうかな?」
リヴァイはいつもむすりとしていて、少女には彼の感情の変化がまだよく分かりませんでした。
しかし、相手を深く思いやる心を持っている人だということはよく分かっていました。
「あぁ、嬉しそうだ。リヴァイ支部長が嬉しいと、俺たちも嬉しいんだぜ。」
ベルトコンベアの向こう側で、オルオもミニカーをカラフルな箱に入れながらうんうんとうなずいています。
「うん、私も。サンタさんが嬉しいと、嬉しいな。」
プレゼントを仕分けしながら、少女はリヴァイの横顔へ思いを馳せます。
彼が喜んでくれるならどんなことだってできる、そんな気がするのでした。
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