ストロベリー・オ・ニ
※現パロです
俺は目的地の建物の前で立ち尽くしていた。
なぜなら、その店構えはサラリーマンが気安く入店できるものではなかったからだ。
なんせとてつもなく、可愛らしい。
陶器で作られてつやつやしたウサギやリス、様々な花や植物が寄せ植えられた花壇、クリーム色の外壁。
女子が見たら黄色い声を上げそうな出迎えだ。
おかしい、ネットにアップされていた外観と違う。
どうして俺がこんな道端に突っ立っているのかというと、きっかけは一週間前にさかのぼる。
外回りを終えて会社へ戻る途中のことだ。
駅を出た横断歩道の前で信号待ちをしつつ、午後からの会議について考えていた。
考えながら、いつもはジャケットの内側にしまう財布を、無意識に尻ポケットに突っ込んでいた。
ここで事件は起こる。
俺としたことが、財布をすられたことに気付かなかったのだ。
しかし。
「何してるんですか!!」
なんと背後にいた女が果敢にも犯人の腕をしっかり掴み、声を上げてくれた。
お陰で俺はすぐに事態に気付き、そいつを共に取り押さえられたわけだ。
幸い犯人は悪態をつくだけで抵抗せず、駆けつけた警察にあっさりと連行されていき、俺たち二人は重要参考人として事情聴取を受けたのだった。
そして、その帰りだ。
俺は彼女に「礼がしたい」と声をかけた。
そういう経緯があり、菓子折りを持って会いに来きた今日へと至る。
念のため、あの日にもらった薄い桃色の、甘い香りすら漂ってきそうな名刺を取り出してみる。
彼女の名前はユフィ。
“ストロベリー・オ・ニ”という洋菓子屋に勤めている。
木の看板と名刺の店名を見比べても、やはりこのメルヘンな店で間違いないようだ。
「……行くか。」
ここで二の足を踏んでいてもしょうがない。
思いきって木の引き手を引けば、チリンチリンと、これまた洒落た音色の鈴が鳴った。
「いらっしゃいま……アッカーマンさん!」
ドアの向かいに立っていた人物が振り返る。
ユフィだ。
レジの横にある棚へ、焼き菓子の袋を陳列している最中だったらしい。
甘い香りと共に彼女はこっちへ駆け寄ってきた。
急接近してきた、穏やかな笑顔、温和な雰囲気に、心臓がぎゅう、と音を立てる。
こんな感覚、久しぶり過ぎて胸やけがしそうだ。
「こないだのお礼を持ってきた。あんたが叫んでくれなきゃ逃がしてたかもしれねぇ。助かった。ありがとう。」
「わ、気になさらないでくださいって言ったのに!でもせっかくなので……ありがたくいただきますね。」
差し出した紙袋を、ユフィは遠慮がちに受け取った。
中身は紅茶だ。
洋菓子屋に洋菓子を持って行くのもなんだと思い、専門店で上等な茶葉を選んできた。
店内を見ると、今のところスタッフは彼女一人のようだ。
外装と同じように内装もこれでもかとばかりに可愛さ満天で、別の意味で胸やけがしそうになるし、俺の心は完全にアウェイの状態である。
今は窓辺に吊るされたサンキャッチャーの細かな光の欠片にすらも勝てないかもしれない。
気を強く持て、リヴァイ・アッカーマン。
さらに見ると、手前のスペースは冷蔵ショーケースとレジ、焼き菓子用の棚を置くのみでかなりコンパクトだったが、奥には小さなイートインコーナーがあるのが分かった。
ここは下調べ通りで、少しほっとする。
「せっかくだから何か食べていきたい。いいか?」
俺の言葉に、ユフィは「ぜひ!」と喜んだ。
その笑顔は甘く胸に効いて、内装のどうのこうのは瞬く間にどうでもよくなってしまった俺だった。
「アッカーマンさんからいただいた紅茶を淹れてみました。少しご一緒してもいいですか?」
奥のテーブルで待つように言い、5分もしないうちに紅茶セットとケーキの乗ったトレーを持ってやってきたユフィ。
頼んだケーキは、彼女お勧めの和栗のモンブランだ。
「店はいいのか?」
思わぬ申し出に驚いていると、彼女はいたずらっぽく頷く。
「この時間はあんまりお客さん来ないので。それに今では私の城みたいなものですし、大丈夫です。」
聞けば、この店舗を作ったオーナーがいるのだが、滅多に店には来ず、現在はユフィを含むパティシエ二人とパートでのんびり回しているらしい。
今のような客入りが少ない時間帯は彼女一人で店番するそうだ。
「なるほど。」
説明に神妙な面持ちで頷いてみせる。
一人で店番、こっちとしては大いに大歓迎だった。
そう、なにしろ俺は彼女に一目惚れなんてものをしでかしている。
疲労を伴う事情聴取を終え、警察署のロビーで再開したユフィ。
その、平和でおっとりとした笑顔ときたら。
彼女を見た瞬間に疲れが吹き飛び、体が勝手に動いて声をかけていた。
名刺も「いえいえ礼には及びません」と笑顔で首を振る相手に、「俺の気が収まらない」「礼をしなければ一生心残りになる」などと粘ってついにもらったのだ。
一目惚れなど都市伝説だと思っていたこの俺が、まさか三十代も後半にかかるこの年で経験するとは思わなかった。
対面に座った彼女は二十代半ばに見え、美人というよりは癒し系の朗らかな顔立ちをしている。
眺めていて飽きない。
しかしその面影、どこかで見た気がする。
テレビ番組でチラホラ目にしたような。
そうか、思い出した。
豆柴、豆柴だ。
あの愛らしい生き物に似ている。
「あの……。」
気付くとユフィはまた頬を染めて伏し目になっている。
「私、顔にクリームでも付いてます?」
「あぁ、悪い。気にしないでくれ。」
見つめ過ぎていた。
しかし不快感をあらわにしない反応を見ると、今のところ俺に対する印象はまずまずといったところか。
視線をテーブルに移し、モンブランを一口食べた。
「うまい。ほのかに洋酒が効いてるな。」
「あ、分かります?ちょっとだけラム酒を加えてみたんです。」
ユフィは嬉しそうに紅茶のポットをティーカップへと傾ける。
値が張るアールグレイの、品のある香りが漂ってきた。
「内装はオーナーの趣味か?」
「いえいえ、実は私が勝手に飾り付けちゃいました。」
「ジフリ映画に出てきそうな雰囲気だ。」
すると相手がハッとする気配を見せた。
直後、「分かりますか!?」と瞳を輝かせて身を乗り出してくるではないか。
何気ない発言だったが、ケーキに対するリアクションよりも彼女のホットポイントを刺激したらしい。
「私ジフリが大好きなんです!映画館でやってる最新作も早く観に行きたくて!」
興奮のあまり瞳がきらめいている。
なかなかの入れ込み具合だ。
これは乗っかるに限る。
「あぁ、あれは観たほうがいい。」
「え!もう行ったんですか!?先週公開されたばかりですよね!」
「ジフリは俺も好きだからな。」
「いいなあ、うらやましいです!」
「もしよければ一緒に観に行くか?ちょうど一回じゃ足りないと思っていたところだ。」
「行きます!!」
よし。
流れるように次の予定ができた。
拳をぐっと握りしめたい衝動を、なんとかなだめる。
さしあたり、レンタルショップでジフリ映画のDVDを一通りレンタルして帰ることが決まった。
最近は映画館にすら足を運んでいないものだから、約束の日までに予習をかねて観に行っておくのも悪くない。
デートの準備のためのスケジュールを頭の中で組み立てる。
ジフリにそこまで興味があるわけではないが、多少の作り話はご愛嬌。
関係作りの段階では次に繋げることが肝心だ。
他の共通点はこれから見つけていけばいい。
「わー、嬉しい!今の時期は忙しい友だちが多くて、一緒に行ってくれる人を探してたんです。じゃあ連絡先、知っておいたほうがいいですね。」
ユフィはエプロンのポケットからスマホを取り出した。
なんと、相手から連絡先の交換を提案してくれたのだ。
いいぞ、この流れは上々、上々だ。
そうしてアプリのQRコードを読み込めば、彼女のアカウントが俺のスマホに登録される。
アイコンは赤く熟れたイチゴの画像だった。
おいおい可愛いかよ。
ユフィもホクホクしていて、つられて頬が緩みそうになる。
「今回の作品って、いつもの監督の息子さんが手掛けてるんですよね。あの遺伝子がどう受け継がれているのかすごく気になってたんですよぉ!それに作中の音楽もあのジョーさんじゃないですか、今回もサントラ買っちゃう自信あります!」
おっと。
テンションが上がり、オタク的な熱量で嬉々として話し始めたユフィ。
今はディープな話題を振られるとぼろが出てしまう。
映画からそれとなく話題を逸らそうと考えていると、タイミングよくお客が入店する鈴の音が聞こえ、ユフィは慌ててショーケースの奥へ戻っていった。
今日のところはここで頃合いだろう。
俺はモンブランと紅茶を味わいながら腹に収め、客がケーキを持ち帰りで購入して帰ったところで、席を立ってレジへ向かう。
「そういや、ストロベリー・オ・ニってのはどういう意味なんだ?」
つり銭を受け取りながら、素朴な疑問を口にしてみた。
実は名刺を受け取ったときから思っていたのだ。
ユフィは顎に手をやり、思案する仕草をした。
窓からの光を受け、髪や頬がつやつやと光って見える。
まるで天使を前にしているようで、眩しかった。
「オーナーが付けたんですけど、確か英語とフランス語を組み合わせて、“巣の中のイチゴ”って意味だったと思います。」
巣の中のイチゴ、だと?
自分で飾った店の中で甘い洋菓子を作る彼女にぴったりな名前ではないか。
また胸がぎゅうと鳴る。
ぎゅうぎゅうし過ぎて本当に胸やけを起こしてしまいそうだ。
ここで突然よぎる、一抹の不安。
「……アッカーマンさん?」
その場から動こうとしない俺に気付き、ユフィは首をかしげた。
あまりに心をわし掴んでくるものだから、次に会うときまでに他の野郎に取られはしないかと不安になったのだ。
いや、相手の反応を見ても焦る必要はない。
トークと場運びで関係は順調に進んでいる。
今は次の映画デートに備えろ。
内なる声がこだまする。
だが──
「会ってまだ二回目にこんなことを言うのは自分でもどうかと思うんだが、」
あぁ、言ってしまった。
膨らんだ感情を、抑えることができなかった。
ここまで来たらもう止められない。
一歩、レジカウンターへ向けて踏み込む。
「俺はあんたに一目惚れしてる。できたら付き合いたい。」
ユフィは豆柴のような丸っこい目をさらに丸っこくした。
それから、みるみるうちに顔を真っ赤にした。
「突然、悪かった。言っておかないと後悔すると思ったんだ。」
「え、と、その、あの、」
しどろもどろなユフィ。
その反応で、次の台詞は大方予想できた。
「ちょ、ちょっと急過ぎると言いますか……、うん、そう!知り合ったばかりですから!もっとアッカーマンさんのことを知りたいかなあと思うんですが……!」
潤みがかった瞳の、上目遣い。
なんだその小動物感。
抱き締めたくなるからやめてくれ。
「もちろんだ。返事は急がなくていい。あんたの言う通り、お互いのことを知るべきだな。」
まずは、後日の映画鑑賞で。
ユフィはこくこくこくこくと素早く頷いた。
「じゃあ、また。」
「はい!また!」
そうして、俺は店を出た。
勢いで告白してしまった。
だが後悔はしていない。
次に会うとき、彼女はどんな顔で現れるだろうか。
また頬を染め、挙動不審な小動物になっているかもしれない。
それとも、しゃんとした大人の振る舞いを心掛けてくるだろうか。
どちらでもいい。
それ以外でもかまわない。
彼女が俺にとって甘やかな存在であることには変わりない。
いつか必ず、巣の中のイチゴから「YES」の答えを聞いてみせる。
そのための努力は惜しまない。
一度静かに深呼吸し、新たな決意を胸に、俺はレンタルショップへと向かうのだった。
end.
リクエストありがとうございました!
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