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天と地の戦いの後、整備士に車椅子のメンテナンスをしてもらう
油の匂いのするガレージ。
壁に吊るされた、手入れのゆき届いている工具たち。
高い窓からさす日光に、埃が光って舞う。
ここは彼女の仕事場だ。
「リヴァイさん!車輪のネジを調節するからもう少し待ってね!」
様々な乗り物の部品や機械が無造作に置かれた作業場で、うずくまるようにしながら声を張り上げる。
「そんなにでけぇ声を出さなくても聞こえる。どんだけ俺をジジイだと思ってんだ。」
リヴァイは作業机のそばに置かれた三つ脚の椅子に腰掛け、呆れた様子で言った。
広いガレージでもそのハツラツとした声は隅々まで届く。
なんなら壁をすり抜けて屋外にまで飛んでいく。
「ごめんね、元気が取り柄なの。」
立ち上がって振り向いた彼女は白い歯を見せて笑うのだった。
天と地の戦いの後、リヴァイは脚に後遺症が残った。
身の回りへなら歩けるが、長い距離の移動には車椅子が必要になったのだ。
初めて経験する、車輪のついた椅子との生活。
乗り始めた頃は小石にも足止めをくらう状態だったが、数ヶ月も経てば自分の脚のように操作することができるようになった。
ただ、やはり段差には弱い。
人に助けてもらわねば階段も上れない。
そういった窮屈さを感じながら、それでも汗を滲ませながらできないこと一つ一つを対処し克服していく日々だ。
そんな彼の車椅子のメンテナンスを担当することになったのが、彼女だ。
ここら辺で車椅子を扱える唯一の整備士である。
天と地の戦いの前、彼女は機械に興味があることを除けばごくごく普通の町娘だったらしい。
車の整備士へ憧れを持っていたが、両親に女の就く仕事ではないと叱られ、泣く泣く軍服を縫う仕事をしていた。
しかし先の地鳴らしで何もかもが滅茶苦茶になり、女だから男だからと小さなことは言っていられなくなった。
生き残った者は必死に自分の特性を活かし、支え合って生きることに尽くした。
そんな中で壊れた自動車を直したことがきっかけで、彼女は乗り物の整備士として周囲に認知されるようになったのだ。
車椅子の整備も構造が理解できればお手のものだった。
ふと、リヴァイはそばにあるゴミ箱にくしゃくしゃになった紙が捨ててあることに気付いた。
丸められて圧縮されていたのがやわりと開いた状態の紙に、文字のような赤の線が覗いている。
彼はやけにそれが気になり、上体を傾けてゴミ箱から取り上げた。
「あ、それ……!」
リヴァイの動きに気付いた彼女が咄嗟に声を上げる。
制止の意味を含んだ声だったが、彼を止めるには至らなかった。
広げたそこには酷い罵りの言葉が書き殴られていた。
「どういうことだ。」
リヴァイが問えば、彼女は苦々しい表情をしてその紙を見下ろす。
「……この土地、おじいちゃんが買ったものなんだけどね、マフィアみたいな男たちが来て、このガレージを格安で売れって言うの。断ったらこういう嫌がらせがたくさん来るようになって……。女だからって脅せば出ていくと思ってるんだ。」
「妙なもんに絡まれたな。」
彼は悪質な紙をビリビリに破き、ゴミ箱に戻した。
悲しいかな、人々が必死に生きねばと助け合っている中でもこういう輩は存在するものだ。
そして大抵、力の弱い女や子どもがターゲットにされてしまう。
「何かあったら俺に知らせろ。」
「リヴァイさん戦えるの?脚が悪いのに?」
「これでも元兵士だからな。少しは用心棒になる。」
あまり彼が活発に動いている姿を見たことのない彼女。
きょとんとしてから「ありがと」と嬉しそうに笑い、仕事に戻るのだった。
それから一週間後、整備士のSOSは発信された。
「リヴァイさん……!」
彼がたまたまガレージへ様子を見に来たとき、がらの悪い三人の男と鉢合わせたのだ。
彼女はスーツの男に手首を掴まれ、連れ去られそうになっていた。
部外者の登場に、男たちは凄む。
「なんだテメェは?」
「整備士の用心棒だ。お前、その手を離さねぇと二度とフォークを握れなくなるが、それでもいいか?」
すると、サイドにいた体格のいいオーバーオールの男がニヤニヤしながらリヴァイに向かっていく。
彼は車椅子からゆっくりと立ち上がった。
「リヴァイさん!だめ、逃げ──」
彼女がたまらず声を上げようとした次の瞬間、男は地面に伸びていた。
その場にいたリヴァイ以外の全員がぽかんとした。
それから怒ったつなぎの男も彼に向かっていったが、ほどなくして同じ結果になった。
「もう一度言う。これで最後の忠告だ。その手を離せ。」
二本の腕を素早くふるっただけで自分の身長よりもはるかに高い輩たちを倒したリヴァイ。
スーツの男を睨む隻眼は、まるで鷹のような鋭さを放っている。
あまりの気迫にスーツは彼女の手を離し、敗者たちを引きずってガレージから逃げていった。
「はーびっくりした!本当に強いんだね、リヴァイさん!」
車椅子に座り直したリヴァイに駆け寄る彼女。
普段の通りに元気な声を出しつつもその手はかすかに震えていた。
リヴァイは目線でそれを指摘した。
「無理に明るくしなくてもいい。怖かっただろう。」
連れ去られたらどうなるか分からない。
売られてしまうかもしれないし、最悪の場合は殺されるかもしれない。
そんな事態だったのだ。
彼女ははっとして、それから眉を下げ、力が抜けたようにその場へしゃがみ込んだ。
「うん。怖かった。すごく怖かった。」
小さくつぶやくその肩を撫でながら「しばらくは毎日様子を見に来る。あいつらが懲りてねぇといけねぇからな。」と彼は言った。
「ありがとう、リヴァイさん。私、絶対にここを譲るつもりはないんだ。ここが自分の本当の仕事場なの。」
「俺もこのガレージがなくなるのは困る。車椅子の整備とあんたの顔を見に来るのが俺の余生の貴重なイベントだからな。」
地鳴らしの傷の残る世界。
自身の傷にも向き合う日々。
明るい声や、頬にオイル汚れを付けた笑顔のあるこの場所は、いつしかリヴァイにとって日だまりのように心地よく感じるようになった。
この若き整備士の仕事を、笑顔を、守りたいと思う。
彼女は彼を見上げ、急にすっくと立ち上がった。
そして素早くかがんで、リヴァイの頬に短いキスをした。
それからガレージの入り口に走っていき、日の光を受けながら振り返る。
「リヴァイさんが元気づけてくれたから怖さも吹き飛んじゃった!今から整備の道具揃えるね!ちょっと待ってて!」
その顔には白い歯の見える笑みが戻っていた。
ぽかんとしたリヴァイは彼女が走り去った場所を見つめながら、
「そんなにでけぇ声を出さなくても聞こえるっつってんだろ……。」
とつぶやくのだった。
痛みをはらんだ空気に満ちた世の中だが、それでも彼は確信する。
明日も明後日も、その先もずっと、彼女の仕事場は明るいのだろう、と。
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お題の投稿ありがとうございました!