最初、エリスのことは「嫌なひとがアレス兄様に懐いちゃった」って思ったのよね。

 エリスがヘラやヘーベと楽しげにしているのを見てエイレイテュイアは思い出した。その“嫌なひと”というのは特に根拠のないそれこそ偏見だとか先入観だとか、実体の伴わないものではあったのだけど、当時のエイレイテュイアにとってはそれ故に酷く厭に思えたものだった。兄を忌まわしい場所へ連れて行くひと。兄を血の穢れに引き込むひと。それがエイレイテュイアがエリスに抱いていた印象だ。多分その印象と彼女の実像は大きく違っていない。今はそれを確信しいている。

 和やかな陽射し。そよぐ風。可愛らしい妹たちと美しい母。白いテーブルにはステンレスのティーポッド。陶器のカップ。そしてたくさんのお菓子たち。よいお茶会日和だ。
 さく、と一口。チョコチップクッキーの欠片が口の中でほどけていく。うん、ヘーベの腕も上がったわね、などと評価してみたりする。

「ふふっ、姉様を追い越してみせるわ」
「頑張ってヘーベちゃん! エイレイテュイアも頑張って。姉妹で競ってお菓子作りの腕をあげればいいと思いますの」
「じゃああエリス、あなたは?」
「審査役ですわ」
「食べるだけ、ってことね」
「エイレイテュイア、とても的確なツッコミですのね…。ヘラお母様もご一緒に如何です?」
「そうね、どっちが美味しいかなんて決められそうにないけれど、楽しそうだわ」

 まあ、それはそれ。今、こうして皆と一緒に笑い合っているエリスは無邪気そのものだし、エイレイテュイア自身、今はエリスのことを厭うてはいない。むしろ、こうした時間が過ごせることもあり好いている。だいたい自分に向けられた好意を無下にするほどエイレイテュイアは冷血ではない。好きと言ってくれると嬉しいし、本当にもうひとりの妹のように思っている。…………いや、エリスの方が年長ではないかなどと思うのだけど。もしかしらたというかもしかしなくても兄と慕われるアレスよりもエリスが歳上なんじゃないかと思うのだけど。思うのだけど。言ったりはしない。けっして。

 エロスとアテナが果たし合いをしただとか、ヘルメスが不思議な食べ物をくれただとか、週刊オリンポスのオケアノスのコラムが面白いだとか、とりとめのない話ばかり続く。元からして何か重要な話をする予定でもなかったし、何でもない話というのは気楽に続け易い。そしてそんな時は大抵、時間が経つのは早い。保温性の高いポットのはずがカップに注いだ紅茶が冷えてきた。

「それにしても遅いですね、兄様たち」

 ヘーベも同じ考えだったのかエイレイテュイアの気持ちを代弁してくれた。

「アレス兄様ならともかくヘパイストス兄様までとは珍しいわね」
「何か込み入ったことをしているのでしょう、仕方ないわ」
「そうは言いますけれどね、母様」

 母をこよなく敬愛するヘパイストスは今までこうした茶会に遅れてきたことがない。今までだって仕事がない時なんてなかっただろう。何せ神々の鍛冶屋。造れないものはない。故に造るべきものも多い。よくよく考えれば今までは仕事を切り上げて来ていたのではないだろうか。そうなると何故今回に限って、という話になるのだが。
 なんとなく母には説明し難く言葉尻が沈む。
 と、何やら入り口の方でひとの声がする。遠く反響して内容は解らないが、この気配は知っている。噂をすれば影、だ。エイレイテュイアは壁越しにそちらに目を遣る。
 空気を伝う話し声の残響。二組の足音。僅かに沈黙。

「失礼します、母上。遅れて申し訳ありません」

 言って入ってくるのはヘパイストス。そしてアレスだ。
 おや、とエイレイテュイアは瞠目する。ヘパイストスがブルージーンズにティーシャツの上、髪型を崩しているというのは普段からすれば寛ぎすぎていると言えばそうだが無くはない。しかしアレスが同じような恰好というのは珍しいというより初めて見た。

「ヘーベもエイレイテュイアも連絡入れなくて悪ぃ。ヘパイストスがさ」
「いやお前があんな汚れてたから」
「けど遅れるってことぐらい」
「私は連絡したよ」
「あんたの分だけだろが」
「およしなさい、ふたりとも」

 ヘラの言葉に兄たちふたりは顔を見合わせる。視線で幾らかやりとりをした後、ヘパイストスが目を伏せる。アレスも困り顔で目を逸らす。

「はい。重ね重ね、申し訳ありません」
「すいません」

 ふたりの様子にヘラは溜め息ひとつして、微笑んだ。

「じゃあ、ふたりとも席について。お茶会を再開しましょう。ヘーベふたりの分のお茶を頼めるかしら」
「ええ母様。ついでに私たちのも淹れ直しますわね」
「お願いね」
「わたしも手伝いますわ」
「あら、いいのよエリス」
「あー! エリス、こっちにいたのかよ」
「お先にお邪魔してましたわ、アレスお兄様、ヘパイストスお兄様」
「エリス殿、今日は」
「嫌ですわ、ヘパイストスお兄様。エリスと気軽に呼んでくださいな」

 エリスはそう言ったがヘパイストスは少し困ったように眉を動かした。ヘパイストスはひとに愛想を振り撒く性格ではないが、別段、エリスが嫌いな訳でもないだろう。単にひと見知りをするタイプだ、とエイレイテュイアはともすれば気難しいと言われる兄の心中を思ってなんとはなしに微笑ましい気持ちになった。
 ああしまった。このままヘーベに任せきりではいけない。

「エリス、やはりあなたは座ってて。ヘーベは私が手伝うわ」
「それならなおさらわたしが座ってては」
「いいのいいの。兄様がたのおもてなしをしてて。ね? 母様」

 ええ、とヘラが頷いた。エリスの肩を叩き、座らせ、自身は立ち上がる。
 席に着く兄たちとすれ違い際に笑いかけ目礼をする。と、ふわりと香るバラ。ちらちとそれを辿ればアレスの母に似た黒髪が揺れていた。
 まったく。アレス兄様もどうせならあの女[ひと]でなくエリスを選んでくれればいいのに。

 エイレイテュイアは早足でヘーベに追い付き、手際よく兄たちの為に新しいお茶を淹れる。






<2012/02/03>



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