整えられた常緑の木々。優しい色合いの花たち。調和する水の流れ。きらきら、きらきら。きっとかの工匠がいっそう腕によりをかけて造り上げたに違いない。輝きに満ちた庭を抜けて白亜の回廊。目当ての扉は開け放たれていて、そよ風に揺れるベールをくぐってエリスはこの邸の主に声をかける。

「こんにちは、ヘラお母様! エイレイテュイアにヘーベちゃん!」
「あらエリス。いらっしゃい」

 夢のように美しい少女が振り向いた。
 その少女こそが神々の女王ヘラである。ヘラは繊細なレースに縁取られた臙脂色の豪奢なドレスを纏い、白く精緻な彫刻を施された椅子に座って窓の外を見ていたのだった。少女の姿をした女王が微笑むとエリスもつられて笑みが増す。

「いいところへ来たわね、エリス。ヘーベ」
「ええ、姉様。今日はデメテル様から頂いた茶葉があるの。ストレートでいいかな?」

 ヘラに侍ったふたりの娘。ふたりはヘラともよく似た面差しだ。それも当然でこのふたりの名をエイレイテュイア、ヘーベという。涼しげな容貌の姉・エイレイテュイアと幼さが抜けきらない妹・ヘーベ、ヘラの娘たちだ。

「ヘーベちゃんのお勧めならそれでお願い」

 三者三様に迎え入れられたエリスは無邪気に笑った。

 椅子と同じく白のテーブルの上にはいろいろな種類の焼き菓子。バターの芳ばしさと、焼けた砂糖の甘ったるさがふんわりと漂う。
 ヘーベがあらかじめ温めておいたポッドに茶葉を入れ、熱湯を注ぐ。洗練された所作だ。ヘーベは更に五つあったうちの四つのカップにも湯を入れた。これもあらかじめカップを温め、茶を冷めないようにするためだ。ヘーベはヘラとよく似ているがヘラのような女王然とした雰囲気はなく、慎ましい娘だ。エリスは密かにヘーベのこうした控え目な美しさが好ましかったりする。
 はたと気付いた。

「わたし今日は突然きてしまったのにカップの数はそれより多いですのね?」
「ええ、ヘパイストス兄様もアレス兄様も来る筈だったんだけど…」
「ヘパイストス兄様はお仕事で遅れるようなの。アレス兄様は連絡なし。構わないわ、エリス。兄様たちにはまた新しく出せばいいのよ」

 溜め息混じりにスカートを捌いてヘラの隣に座りながらエイレイテュイアが言った。
 カップが一つ足りなくなってしまうことに気付いていないわけではないのだろう。ヘラは止めないし、ヘーベも座りながら仕方がないという風に苦笑するだけ。

「それじゃあお言葉に甘えてご相伴にあずかりますわ。うふふ…ヘラお母様たちとのお茶会なんてそう出来ないことですものね」
「いつだって来ていいのよ、エリス。貴女が来てくれれば娘が増えたみたいで嬉しいわ」
「ヘラお母様…! 有難うございます」

 エリスは喜色満面に笑んだ。
 ヘラの言葉に偽りはない。だけどエリスは謝辞伝えるに留まった。
 というのもエリスがヘラや彼女の娘たちの許へやってくるのをよしとしない者たちがいる。例えばヘラの夫であり娘たちにとっては父であるゼウスや、ヘラの忠実な侍女のイリスなど。何せ〈夜〉の娘なのだ。忌まれて当然だろうと思うが、かといってそれを悲観している訳ではない。彼ら〈大地〉の系譜とは依る辺にする理が異なる隣人だ、というのがエリスは理解している。しかしヘラたちと遠ざけられるのは嫌だなぁと思うのだ。そして、ヘラがいつでもと言ってくれるのは十二分に嬉しいが、おおぴらにしてゼウスあたりにヘラたちが咎められるのは嫌だ。いや、ヘラならば一方的に咎められるだけでなく存分に抗って大きな争いになるかもしれない。私のために争わないで、なんてシチュエーションも面白そうだけど。それはそれ。だからこうして一応遠慮してこっそりやって来ている。きっとこれからもそうするだろう。エリスは存外この穏やかな空気を気に入っている。
 椅子を引いて席につく。

「そういうことだからアレス兄様なら今日は来るかどうか分からないわよ?」

 残念ね、とエイレイテュイアは続けた。もとはと言えばエリスがアレスを兄と慕い、それが発展してヘラを母と呼び、エイレイテュイアやヘーベと姉妹のように親しくしているので、エイレイテュイアの言も当然のことではあった。

「ええー。あ、いいえ、アレス兄様と会えないのはもちろん残念なのだけど、そうじゃなくてわたし、ヘラお母様やエイレイテュイアやヘーベにも会いにきたの。アレス兄様だけが目当て思われているのはもっと残念だわ」
「可愛いことを言ってくれるわね」
「本当ですのよ、ヘラお母様。わたし、ニュクスお母様のこと尊敬していますし愛してます。だけど、ヘラお母様だって大好きですのよ!」
「ありがとう、エリス」

 ヘラの蕾が綻ぶような笑みにエリスはほわっと笑う。





<2012/01/28>



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