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「うげげ、あたしの前の席夜久だ」

「お?何だよ、その何か言いたげな顔」

「いいえ、非常に有意義な一ヶ月になりそうだと思いましてね」


わざとらしい喋り方で笑いながら席に着く。前の席に座る夜久も、楽しげに笑った。なかなか良い席を引き当てたものである。
斜め前に座る黒尾が笑いつつ「早々から仲がよろしいことで」と小声で呟いた。もちろんそれが揶揄しているのは分かる。
何せ、あたしと夜久は彼氏彼女の関係にある。世で言う男女交際というやつ。でも、それを知っているのはこのクラスでは黒尾くらいものである。
別にわざと秘密にしているわけではない。でも、あたしも夜久もカップルだの何だのと持て囃されるのは得意じゃなかった。そのため、結果的に秘密のお付き合いが成立している。


「黒尾も近いのかぁ。いびきで授業聞こえなかったらどうしよう」

「失礼なやつだな。俺はいびきかいて寝たりしねえよ」

「寝てることは否定しないのかよ」

「あはは馬鹿だね黒尾」

「お前ら……」


随分と賑やかだが早速席替え希望か、と先生の声がかかり、慌てて口を閉じる。ただ、押し殺した笑い声だけは堪えきれなかった。
あまりにうるさかったら、席を離されそうだ。それだけは勘弁。こんなに楽しい席はこの先叶う気がしないから。

そう、夜久とあたしに甘ったるい感情は持ち合わせていない。好きとか愛してるとかそういう言葉を何度も繰り返すのは、どちらも不得意だしむず痒くなるから。
それに、自慢げに見せつけるように「私達は愛し合っているのです」と豪語するのは何だか馬鹿らしく見えた。多分、そんな捻じ曲がった表現をするのはあたしだけかな。夜久がどう考えているかなんて知るはずもない。
それでもごく稀に、唐突にこの想いを伝えたくなる時がある。あたし、この人が好きなんだなって思う時が。


「あ、古典の教科書忘れた」

「え?古典って次の授業だろ」

「ど、どうしよう」


こうなったら、借りてくるしかない。そう思い腰を上げると、何故か夜久も席を立った。


「夜久も忘れたの?」

「違うよ。借りに行くんだろ?海のところ当たってみよう。十中八九あいつなら持ってるよ」

「なるほどね、ありがとう」


礼なら海が持ってた時にしなよ、と夜久は笑った。無論、海くんが忘れているなんて有り得るはずもなく、難無く借りることができた。
あとで自販機のジュースでも引っ付けて、昼休みに返しに行こう。大切に扱われていることが見受けられる、海くんらしい整った教科書だった。

古典の授業が始まり、早々に眠気が襲ってきた。人様に教科書を借りておいて居眠りなど出来るものか、と踏ん張りながら板書された内容をルーズリーフに書き写す。
そもそもこの授業の存在すら忘れていたのだ。一式全てを家に置いてきている。幸い、前回の授業内容が主になる授業ではないため、復習に追われ理解に苦しむことはなかった。
うつらうつらしていると、不意に名前を呼ばれる。みょうじさん、と呼ぶ声は先生のもので、どうやらあたしを指名しているようだった。


「は、はい」


慌てて立ち上がると、黒板を指して「ここは前回出した課題ですが答えられますか」などと問いかけてきた。いや、問いかけてきやがった。
前回も何も、それをまとめたノートを家に忘れているんだ。答えられる訳がない。まあ、全部忘れてきた私が悪い。ノートが無くとも理解出来るような頭の構造になっていないのが悪い。
戸惑いがちに捲る海くんの教科書には、まだこの範囲に達していないらしく、メモ書きのようなものは見当たらなかった。万事休す。


「あ、えっと……」


分かりません、と続く言葉が尻切れとんぼになったのは、前の席に座る夜久がノートを立てたからだった。何をしているのだ、と思い視線を寄越すと、周囲に気づかれないようさりげなくノートの端を指す。ここの答えを読み上げろ、と走り書きされた部分を。
あ、それ、もしかして。


「尊敬の助動詞が含まれているので……」


ちらちらと目をやりながら、書かれた通りに読み上げる。たどたどしい喋り方になったものの、先生に疑われることはなく「その通りです。よく勉強していますね」と言われた。
それを聞き届けると夜久はノートを机上に戻し、何事も無かったかのように振舞う。助かった、夜久が居なかったらぼそぼそと話した後みっともなく席に座り直す羽目になるところだった。

そうなんだ、こういう時に思うんだよ。


「ありがと、衛輔」


不意に普段呼ばない名前を呼びたくなって、好きなんだなって思うんだ。勿論、二人だけにしか聞こえないごく小さな声。夜久にすら聞こえていないかもしれない。
しかし、それは思い違いだったらしく、夜久は再度ノートを立てた。

あとで覚えてろこの馬鹿、と書かれた字を指しながら。




二人だけの秘密戦争
(ほんの些細な攻撃だけどね)