すっかり外が暗くなってしまった。暗くなってから学校を出るのなんて随分久しぶりだ。 何となく無音の空間が嫌で、携帯電話を取り出す。暗闇の中ではっきりと存在を示す白い画面。耳に入るのは、こつこつと鳴るローファーの音だけだった。 電話帳に幾つも並べられた名前を眺める。な行の上から三番目で手が止まる。 いつもなかなか電話に気づいてくれないけど、今日はどうだろう。でも、どうしても声が聞きたい。 「んん、よし」 咳払いをして、受話器を耳にあてる。やけに大きく響くコール音が鼓膜を揺らした。 ああ、出ないか。まだ部活かな。仕方ない、また今度。 諦めて電話を切ろうとした時、無機質な音が途切れる。 「おう、どした?」 「あ、に、西谷。部活、終わったの?」 「ああ、もう終わってるよ」 「そっか」 何と返せばいいのか思いつかず、そんな味気ない言葉を口にした。もう一度、どうした、とあたしに問いかける。 用も無いのに電話するなんて、初めてのことだった。実を言うと、西谷とは付き合い始めたばかりである。以前までは、無理にでも用件を作ってメールを送ってみたりとかしてたっけ。 だから、今日みたいに私のくだらない都合だけで、ましてや電話をかけるなど初めてだ。 「私、さっき部活が終わってね。それで、その」 「さっき?珍しいな、俺より後に終わるなんて」 「うん、そうなの。でね、こんなに暗いの気持ち悪くてさ。ちょっと街灯増えてくるまででいいから、その、喋ってくれないかな」 「は?」 間抜けな声が受話器から聞こえた。恥ずかしさでかっかする頬を手で抑えながらも、やっぱり真っ暗な夜道は怖い。だから、西谷の声を聞いて安心していたかったのだ。 「わはは!何だお前、暗いの怖いのかよ!」 「あっ、もう!笑うなってば!ほんと気持ち悪いんだよ。坂ノ下辺りまでは、街灯少なくて足元すら見えないんだから」 「まあ仕方ねえな。それでお前が怖くないんなら、幾らでも喋ってやるよ」 西谷って体格に似合わず男らしいよなあ。そんなこと言ったら絶対怒るけど。私、そんな西谷が好きになったんだよ。 今までは一歩下がって見ていただけだったけど、今はこんな風にちょっとだけ我儘も聞いてもらえるんだね。何か、すっごく幸せだ。ちっぽけだなあって笑われるかもしれないけどね。 耳元で聞こえる西谷の声は、驚くほど私を安心させてくれる。話している内容は、くだらないことばかりだけど。 人間って欲しいものが手に入れば、また欲しいものが増えているんだ。何て贅沢な生き物だろう。そう思うのに、私の中でも「もっと」という思いが募っていた。 「西谷」 「ん?」 「声だけ聞いてると、会いたくなっちゃうね」 「馬鹿、明日また学校で会えるだろ」 「はは、ほんとだ」 電話越しに二人して笑う。多分、隣に居たら顔を見合わせて笑っていただろう。 そうして顔を上げた時、やっと視界の先が明るくなり始めた。ここからは、街灯もあるし怖くない。いや、西谷の声を聞いた時から既にそんな想いは和らいでいたんだろう。 「あ、もう明るくなってきたから大丈夫かも。ありがとうね、西谷」 「なまえ」 「何?」 聞き返した瞬間、電話が切れた。驚いて携帯電話の画面を見直したけれど、通話終了と表示されているだけだった。 え、何だろう。かけ直そうかな。 電話を持ち直した瞬間、とんとんと二回肩を叩かれた。「ひっ」と声が漏れる。 「なんつー声出してんだ」 「ええっ、あ、えっ、にしっ、西谷!?」 本物が背後に立っていた。幻覚かと思い、彼の肩を掴んだがばっちり本物だ。 そんな私が面白いのか、西谷はげらげらと笑う。何でここにいるの、さっきまで電話をしていたのに。 「西谷、帰ったんじゃなかったの?」 「丁度帰ってる途中だったんだよ。お前が会いたいって言うから、ちょっと引き返してきて待ってただけ」 「そんっ、な……」 狡いよ。 そわそわするこの気持ちどうしてくれる。今からこんなんじゃ、この先持たないよ。 「一緒に帰ろうぜ。暗いの嫌なんだろ?」 そう言って歩き出す彼の影が、街灯に照らされて長く伸びる。足元を揺れるその影に、大好きです、と呟いて私は彼の背中を追いかけた。 貴方と繋がる声を手に (暗く静かな夜を切り抜ける) |