「そういやお前、ミスディレクションなんて何処で覚えたんだ?」 ボールをドリブルする音、バッシュのスキール音、ボールがネットを通過する音、ボードに弾かれる音。体育館内にバスケの音が響く中、火神は黒子にそう尋ねた。 毎日の練習メニューも終了し、今は自主練の時間。練習するも休憩するも個人の自由。その為、二人の行動は監督である相田に咎められることは無かった。 ドリブルしていたボールを掌に収め、黒子は20cm以上も上にある火神の瞳を見つめる。視点があまり定まっていないため、どう答えるのが最善か思考を巡らせているようだ。 やがて答えが見つかったのか、一度瞳を瞬かせて唇を開いた。いつの間にか体育館にいる部員全員が、黒子の返答に耳を傾けている。 「僕のミスディレクションは、兄さんに教えてもらったんです」 特に大きな声を発した訳でも無いのに、体育館中にその言葉は静かに響いた。つまりは火神が問いかけた疑問は、常日頃皆の心の内にあったらしい。 一拍の沈黙。静寂。その後に一人一人が驚きの声を上げた。一人の声量が多い上に人数も多い。必然的に物凄く煩かった。薄々予測していたらしく、黒子は事前に耳を塞いでいた。それでも騒がしいと思うくらい皆の声は大きかった。 黒子テツヤには一つ年上の兄が存在する。 名は黒子ミツヤ。誠凛高校男子バスケ部に所属し、レギュラーでもある。相田、日向と同じクラスだ。大抵の事はオールマイティにこなしてみせる奴だ。 弟のテツヤと同じく帝光バスケ部出身だが、テツヤが入部するまでその事実を相田達は知らなかった。ミツヤ曰く「その方が面白いじゃん?」だそうだ。 なかなかの実力者だが、テツヤとはまた違った扱いにくさを兼ね備えているのがミツヤだ。テツヤが無意識にやるようなことを、ミツヤは意識的にやる問題児でもある。 一言で表すなら、ドS、鬼畜あたりだろう。某サディスティック星の王子並みに性質の悪い男だ。見た目はそっくりなくせに、中身は全く似ていない黒子兄弟である。 余談ではあるが、部内ではミツヤは「ミツヤ」「ミツヤ君」「ミツヤ先輩」、テツヤは「黒子」と呼び分けられている。ミツヤは時折「ドS」「鬼畜」とも呼ばれているのはさらに余談である。 「って、ミツヤ君に教わったの!?」 「はい」 「うおー…流石は弟に甘い奴だ…」 「それ関係あるんスか? 「ミツヤが自分から誰かに何かを教えるような奴に見えるか?」 日向のその言葉は、部員達が思わず深く頷いてしまう程に的を射ていた。ミツヤの優しさはテツヤ限定で向けられているのだ。しかし、女である相田に関しては例外だ。フェミニスト、という訳では全く無い。事実、クラスメイトの女子には優しさの欠片も向けたことは無い。あくまで相田は例外なのだ。 そして、最上級の優しさは常にテツヤに向けられている。自他共に認めるブラコンである。目に入れても痛くないと、ミツヤは常日頃豪語している。 「僕がバスケを初めて間もない頃に教わったんですよ」 ちなみに、緑間君のあのロングシュートを教えたのも兄さんですよ。なんてテツヤはさらりと爆弾投下してみせた。体育館内に響き渡る絶叫(2回目)。今回も耳を塞いでいたが、やはりあまり効果は無かった。普段は飄々としているテツヤも、こればかりは耐え難いとばかりに顔を顰める。 流石に皆言葉も無いらしい。ぱくぱくと口を開閉させるも、そこから言葉らしい言葉は出てこなかった。 小さい頃から影の薄い存在だった。いつも忘れられていたし、近くにいても気付かれることなんて無かった。両親でさえ、注意深く見ていないと気付いてはくれなかった。 だた、ミツヤは、兄だけは違った。大衆に埋もれている時だって、兄だけは気付いてくれた。見つけてくれた。 バスケを始めたのだって、兄がやっていたからだった。とても楽しそうにしていたから、きっと楽しいものだと確信していた。 基本的な動きすら上達せず、向いていないのだと半ば諦めかけた時、兄は自分にこう言ったのだ。 「なら、誰にも出来ない自分だけのプレイスタイルを極めればいい」 そうして、「影が薄い」という特性を生かした、自分だけのプレイスタイル「ミスディレクション」は完成したのだ。 |