「ねえ」
「何だい?」
「どうして人は死ぬのを恐れるのかしら」
「それはね、死後の己を全く予想できないからだよ」
「どうして予想できないと恐ろしいの?」
「人は皆、意識的にも無意識的にも先の事をある程度予想しているんだ。
よく、「予想外」なんて言葉を言うだろう?たとえそれが無意識に出た言葉だとしても、「予想外」と言っているということはある程度予想していた、ということになるね。先の事をある程度予想しているから、予想外、想定外の事が起こったときはとても驚くだろう?状況によっては、とても不安に思うこともある。
人は皆、ある程度の決められたレールの上を進むことに慣れてしまったんだ。ある程度の先が見えているから、不安に思うことはあっても恐れることはない。
それでも、不測の事態には恐れているだろう?先が見えないから、恐ろしいんだ」
「なら、どうして死後を予想することができないの?」
「それはね、死後何があるかなんて誰一人知らないないからだよ」
「どうして誰一人知らないの?」
「死人に口無し、って言うだろう?死人と話せる人なんてそうそういないからね。霊能力者は話すことができるけれど、成仏した霊と話すことはできない。
この世に留まっている霊は死後のことなんて知らないよ。死後の事を知らないから、何が起こるのか恐ろしくて成仏できずにいる霊もいるんじゃないかな」
「ふうん」
「少しは君の暇つぶしになったかな?」
「まだ訊きたいことがあるわ」
「何なりと、お嬢様」
「どうして人は死を求めるのかしら」
「おや、先程とは正反対の疑問だね」
「ええ、そうね。それで、どうして?」
「それはね、己がこの世で生きる意味を失ったからさ」
「どうして生きる意味を失うの?」
「普段、人はやりたいことややらなければならないことを忙しなくしている。
好きだからやっている、と、義務だからやっている、ではまず心の有り様が違うだろう?その時点で人は己に負担をかけているんだ。
義務で何かをやっている人は、心の底から望んでそれをやっている訳ではない。だから、目的をすぐに見失ってしまうのさ。一度解らなくなってしまえば、そこからは坂を転がり落ちる石の如くさ。坂の終わりまで止まることはない。止まったその時は、もう正気ではないのだろうね。
好きだからやっている人は、心の底からそれを望んでいるのだから簡単には目的を見失うことはない。けれど、そういう人ほど崩れるのは早いよ。理由が解らなくなるんだ。時折、ふと思うのさ。「どうして私はこんなことをしているのだろう?」ってね。特に、芸術系の人が多いんじゃないかな?音楽家とか美術家とか、イラストレーターとか。締切りがあるような仕事についている人もそれに当てはまるだろうね。何故、どうして、と疑問符ばかりが頭の中をループし始めたらもう終わりだね。答えは出せずに、奈落の底で果てる」
「…ねえ、生きる意味って何?」
「質問の種類が変わったね。君には少し難しかったかな」
「そうね。私はそんなことを考えたことも無かったわ」
「生きる意味。これを定義するのはとても難しい」
「あら。貴方が答えに詰まるだなんて、珍しいこともあるのね」
「人によって考え方が異なる、なんて次元の話ではないからね。十人十色、なんてレベルでもない。本当に難しいんだ」
「なら、貴方の答えを聞かせて?それが私の答えであり、世界の答えになるわ」
「おやおや、随分とプレッシャーをかけてくれるね?迂闊なことは言えないじゃないか」
「貴方の言葉にはそれだけの価値があるのよ」
「では、君の期待に応えよう。
生きる意味。それは己の存在意義だ」
「存在意義?」
「そう。とある分野が天才的なまでに得意な人に対して「まるでこれをするために生まれてきたようだ」とか言ったりするだろう?このたとえは随分とスケールが大きいけれど、ニュアンスはこんなものだ。
つまりは、己の人生に意味付けをするんだ。乱暴な表現をすると「これをするために生きていく」みたいなものかな。己が生きていくことに対して、理由をつけるのさ。アイデンティティ、なんて言葉を聞いたことがあるだろう?これはそういう意味なんだ。存在理由、ってやつだね」
「理由…」
「そうだよ。生きる意味、存在意義、生きる理由を失ったひとは、心が空っぽなんだ。全てに大して無気力になる。生きることに理由を付けられなくなったら、この世に留まる必要もない。だから死を求めるんだ」
「私…は…」
「君は深く考えなくてもいい。君はまず全てを知ればいい。考えるのはその後だよ」
「しる…」
「空っぽの君には、情報が必要だ。心はその後でいい」
「わかったわ、マスター」

















(空っぽの少女は知識を求める)
(空っぽな少女を埋めてやるために、青年は己の詰め込まれた知識を与える)