ざっ、ざっ、と一歩一歩を踏みしめるように歩く。手には軍から支給されている銃を軽く握っている。腰には細身な二振りの剣が吊ってある。
ざっ、ざっ、と歩を進める。足元の地面は、これでもかというほど血を吸っていて、土色とは思えない色をしていた。もうこの地に作物が育つことは無いだろう。
ざっ、ざっ、と歩を進める。この地区は、かつては緑の多い場所だった。その緑も踏み荒らされ、今は見る影も無い。すっかり血で穢されてしまった。
ざっ、ざっ、と歩を進める。唐突に止まってみた。足音が余分に小さくひとつ聞こえた。ここまでくれば馬鹿でも判る。己は尾行されているのだと。
此処で振り向くような阿呆な真似はしない。向こうは大いに焦っているだろう。だから、油断をさせるためにも、此方は敢えて気付いていないふりをするのだ。何事も無かったかのようにまた歩き出せば、緊張していた体の力を抜いたのが判った。そのまま再び尾行を続けるために、恐らくは身を隠していたであろう物影から出て無防備になる。
そのまま数歩歩いた後に勢いよく振り返る。その瞬間に素早く照準を合わせてトリガーを引く。掠るだけでもいい。これは牽制であり、相手の思考を停止させるための囮だ。撃ち出された三つの鉛は、右肩、左腹部、左腿に命中する。相手はどうやら右利きだったらしく、衝撃で握っていた銃を落とした。
左腹部は判らないが、左腿の方は太い血管をいくつか傷つけたようだ。恐らくはこのまま放っておけば、十分程で失血死するだろう。それだけの出血量だった。だが、大総統から出された命令は「殲滅」だ。これはもう内乱ではない。アメストリス国軍によるイシュヴァール殲滅戦なのだ。己はアメストリス国軍に所属する軍人だ。軍属である以上、いくら相手が致命傷を負っていようとも、此処で止めを刺すのが命令だ。


「同胞殺しの裏切り者め…ッ!」


たとえ己が、地に臥している男と同じイシュヴァールの民だったとしても。イシュヴァラの教えを忘れたか、と言われても、同胞殺しだと、裏切り者だと罵られても。この手に銃を、剣を握り、同胞を撃ち、同胞を斬る。
全ては、アメストリス国軍に人質に取られた弟を救うため。
病弱であった弟を、アメストリスの最先端の医術で救いたかった。だから、アメストリスと関係を持つために軍に志願したのだ。軍人となり、軍の関係者が入ることの出来る病院に入れてもらえた。イシュヴァールより整った環境は、弟に優しかった。体調を崩すことは殆どなくなったのだ。
だが、アメストリスはイシュヴァールと内乱中だ。それ故に、条件付きの入軍だった。条件付きで、弟を受け入れてもらったのだ。要請があった時、最前線で戦うこと。これが破られた場合、弟の命は保障しない。それがアメストリスの出した条件だった。
つまり、弟を人質に同胞を殺せと言ってきたのだ。おれは13だった。おれはイシュヴァールの民の怒りを煽るためのスケープゴートだった。


そして、おれはこうして最前線に立って戦っている。剣先の、銃口の向こうにいるのは、同じ肌、同じ瞳の同胞達。
暗い色の短い髪を風に躍らせ、赤銅色の瞳は闇と虚無を映している。幾人もの同胞を斬り捨てた罪が、人の命を奪った重圧が、その小さな双肩に圧し掛かっている。百はとうに越えただろう。あんなに重かったはずの剣も、トリガーを引く行為も、まるで何事も無かったかのようにあっさりとやってのけていた。感覚が薄れてしまっていたのだ。剣が肉を貫く感触だけは忘れることは出来ない。同胞を斬る度に積み重なっていくのだから。
けれど、銃は違う。一度慣れてしまえば、感覚が薄れていけば、トリガーを引くことに躊躇いなどなくなってしまう。撃っても「トリガーを引いた」感触しか残らないから。銃を握っているせいで、「命を奪っている」感覚が麻痺していったのだ。重圧に耐え切れずに感情も殆ど死んだ。
少年に、ファーストネームに残っているのは「弟を護る」ことだけ。護るためには「同胞を撃たなければならない」ということだけ。


「何故…イシュヴァラを…同胞を裏切った…!」


地に臥し、もはや死を待つだけの同胞。口から血を吐きながらも、ファーストネームに悲痛な声でそう告げた。イシュヴァールの民は皆が仲良しだった。大抵の者は知り合いだし、せいぜい顔見知り程度にはお互い面識があったのだ。
今、己が致命傷を負わせたこの男も、かつては弟共々よくしてもらっていた。ファーストネームもまた、彼のことを兄のように慕っていた。


「弟を…ギルフォードを護るためだ」
「ギルを…だと…」
「ギルは今アメストリスにいる。おれが戦わなければギルは殺される。だから、同胞でもおれは撃つ」
「それ以外に…がはっ…方法は…!」
「無い。それにもう手遅れだ。おれは、父さんと母さんをこの手で斬った」


父と母の血で塗れたおれに、同胞を撃つ以外にギルを護る術など無い。同胞殺しの前に、おれは親殺しだ。
この殲滅戦が終われば、おれはもう二度とイシュヴァラの地を踏まないと誓った。裏切り者として、アメストリスで死ぬと決めた。


「だから、さよならだ」


戦火に包まれた大地に、乾いた音がひとつ響いた。













黒い影、黒い花、黒い大地



(変わり果てた故郷。かつての面影はひとつも残されてはいない)
(父さんと母さんはこの地で眠る。ギルもいずれ此処に戻る。おれはただ独り、)