兄様(あにさま)のかつての主――安部昌浩の魂を捜して、京の街をうろうろしているときに出会った妖。
伊達に千年以上生きているわけではない。見目の整った者は今まで幾人も見てきた。そんな俺が、一瞬とはいえその妖に目を奪われてしまった。其れ程に美しかった。
見た目はあちらの方がふたつみっつほど年上に見えるが、恐らくはこちらの方が長く生きているだろう。頭頂部から伸びる髪は俺と同じ銀色。襟足部から伸びる髪は艶やかな漆黒。切れ長のその瞳は月と同じ黄金色(きんいろ)だった。己の後ろに下僕達を従わせ、何故か隣には人間の娘を連れて、降り注ぐ月光の下で堂々と道を闊歩していた。
彼はすれ違う俺をちらと見て、何を思ったのかにやりと口端を上げて好戦的な瞳で笑んでみせた。思わず血が騒いだのは仕方がないだろう。俺は兄様(あにさま)と違って暴れるのが大好きだから。何かと騒動があれば、人間に化けてまで混ざっていたくらいだ。
無意識の内に立ち止まり、彼が歩き去った方へ振り返る。彼もまた此方を見やったまま、暫しの間視線が交わる。ふと彼が視線を逸らし、何も無かったかのように歩を進める。気付けば、己の心の臓の辺りの衣を握り締めていた。久方ぶりに血が滾った。己の本性が蛇故か、元々の体温は随分と低い。そんな己の血が、まるで沸騰したかのような錯覚をした。
どくん、どくん、と心の臓が早鐘のように脈打つ。本能が訴える。あの妖と一度、拳を交えてみたい!
ちろり、と己の唇を舐め上げ、昂る己を抑え付ける。此処で仕掛けるのは得策ではない。それに、己の直感が告げていた。またいつか、近い内に(まみ)えることができると。案外俺の勘は当たるのだ。


「高於にでも会いに行くか」


水を司るあの龍神の元へ行けば、少しはこの昂りを抑えられるだろう。貴船には龍神の神気が満ちている。出雲の聖域に行くのも悪くはないが京にいるのだし、わざわざ出雲に行くのは面倒だ。姫巫女に会うのもいいが、機会はいくらでもある。妖気を抑えて京を駈け、貴船へと向かう。恐らくは一刻もしない内に着けるだろう。
その後は、鞍馬山に行こう。兄様(あにさま)がかつて封印されていた場所。昌浩が天命を迎えてから、また兄様(あにさま)が眠りについてしまった場所。
面白そうな奴を見つけたのだと、驚く位美しい奴だったと。兄様(あにさま)に伝えに行こう。
少しでも早く、兄様(あにさま)が目覚めるように。少しでも早く、哀しみから抜け出せるように。


あの黄金色(きんいろ)の瞳の妖と出会ってから十日ほど経ったとある日、名前はいつものように京の街を歩いていた。
昌浩の魂を捜す傍ら、無意識に黄金眼(きんめ)を捜している自分にも、気付いてはいた。妖が溜まっているのを見ると、つい目線がそちらに向かう。その集団をぐるりと見渡して、あの黄金眼(きんめ)がいないと判ったときについ出てしまう溜息。その時初めて己が落胆していることに気付くのだ。
昌浩に初めて会った時と同じだった。ちらと見ただけ。視線を交えただけ。たったそれだけだというのに、名前はあの黄金眼(きんめ)に惹かれていた。
何となく立ち止まり、昌浩や清明、兄と共に過ごした日々に思いを馳せた。神将と語らい、昌浩達の事を肴に貴船の祭神と酒を酌み交わした、懐かしき日々。
かの龍神には再び(まみ)えることは出来る。神将達も同様だ。けれど、人の子だった昌浩と清明には(まみ)えることは叶わない。眠りについた兄さえも、言葉を交わすことは出来はしない。だからこそ、名前は昌浩の魂を探し続ける。
ふいに、くい、と衣が引かれた。何かに引っかかってしまったのか、と振り返る。けれど、其処にはあの黄金眼(きんめ)と共にいた人間の娘が立っていた。頭から衣を被いてはいたが、感じる霊力や匂いが同じだったのだから、間違いはないだろう。何用かと尋ねれば、唯一言「私と共に来てください」とだけ言った。娘の後についていけば、酔った人間すら迷い込まないような路地にさも当然のように入っていった。恐らくは彼らの根城になっているのがこの路地の奥なのだろう。


「何故、俺を此処へ?」
「妖様が、ぬらりひょん様が、貴方様にお会いしたいと」


目の前を歩く娘にそう訊けば、俺に会いたい奴がいるのだと言った。だが、俺はぬらりひょんとは面識が無い。はて、と首を傾げるもすぐに答えに辿り着いた。あの時すれ違った黄金眼(きんめ)がぬらりひょんだ、と。そうでなければこの娘が俺の元に来るはずも無い。
そういえば彼の名を知らなかった。そうか、ぬらりひょんというのか。なるほど、いわれてみれば確かに彼の雰囲気は正にぬらりひょんだ。


「娘」
「珱、とお呼びください」
「珱…姫、か」
「はい、何でしょう?」
黄金眼(きんめ)…ぬらりひょんのことは好いているのか?」
「はい、お慕いしています」


そう言って娘――珱姫は微笑んだ。



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