声が聞こえる。 低めの声で、何か言ってる。 一体何て言ってるの?よく聞こえないよ。 あ、声が遠ざかっていく。お願いだ、待ってくれよ。 暗闇の中に一瞬見えたのは、漆黒の 目が覚めて、勢いのままがばりと起き上がると、それを見たもっくんが瞠目して声をかけてきた。 体躯だけなら猫のようだが、耳は兎のようなもっくんを胸に抱き込み、ぼそりと呟く。 「夢を、見たんだ」 「夢?」 怪訝そうに訊き返すもっくんに、こくりと頷いてみせる。 何も見えない暗闇のなかで、耳障りのいい低い声が響いている。何と言っているのかは判らない。けれど、聞き取ることのできないその言葉は、誰かを呼んでいるように聞こえた。 やがて、遠ざかっていくその声を追いかけていくと、暗闇の中に一瞬だけ、墨染の衣を着た銀髪の青年が見えたのだ。 「銀髪の男って…お前そりゃ妖だろ」 「だよねぇ…。でも、気になるんだ。危険じゃなさそうだし」 「それは勘か?昌浩や」 「うん、勘。それに、陰陽師の夢には意味があるんだろ?」 あの妖のこと、もっと知りたいんだ。 そう言った昌浩の瞳を見たもっくん――騰蛇は、やれやれと肩を落とした。言い出したらきかない頑固さは、清明譲りだ。こうなったらてこでも動かないだろう。 「それより昌浩や」 「どうしたの?もっくん」 「出仕はいいのか?遅刻するぞ」 「…あ」 声が、聞こえる。昨日の夜と同じ声だ。 一体貴方は、何て言ってるの? ―――い あ――い あ―たい あいたい 会いたい 会いたい?誰に?――どうしてそんなに哀しそうなの? 目覚める直前、一瞬だけまた見えた。暗闇の中に佇む漆黒の 「また見たよ、もっくん」 会いたい、とずっと言ってた。とても哀しそうな声色で、会いたいと。 そして、暗闇の中で光る、とても印象的な緋色の瞳。もっくんの夕焼け色に近い、緋色。 「銀髪に緋色の瞳か…白蛇の化身かもな」 「白蛇か…でもさ、」 何で暗闇の中にいるんだろう? 少年のもっともな疑問。けれど、それに物の怪は答えることは出来なかった。 そして、少年は気付くことが出来るのだろうか。彼の四肢に繋がれた、彼を戒める鎖の存在に。 暗闇の中に響く低い声。会いたいと誰かを呼ぶ哀しげな声。 それに混じる、微かな金属音。じゃらじゃらと鳴るそれは、そこそこ大きめの物のようだ。 会いたい 会いたい 会いたい 会いたいよ ――白緋 会いたい、白緋 会いたいよ、白緋 暗闇の中に浮かび上がる銀髪。閉じられた眦から雫が零れ落ち、その四肢には彼を戒める鎖があった。 「昌浩、また見たのか?」 「…うん。白緋、というひとを呼んでた。会いたい、って」 「ふむ。まぁ妖が呼んでる名だ。白緋、というのも十中八九妖だろうな」 「…あの妖、泣いてたんだ。それに、手足を鎖で繋がれてた」 そう言って昌浩は俯いた。この子はとても優しいから、大方その妖のことを想っているのだろう。 暗闇が何を意味するのかは判らないが、鎖で繋がれていたということは、封印されている、と考えていいだろう。それならば、白緋、というのに会いたいと泣くのも、一応辻褄が合う。封印されているのだから、其処からは動けない。呼ぶことしか出来ないのだから。 かたり、と音がして、物思いに耽っていた物の怪の意識は浮上した。昌浩が手にしていたのは、六壬勅盤だ。愛しいこの子供が赤子だったときから一緒にいたのだ。何を占じるつもりなのかは、訊かずとも容易に予想できる。 今日が物忌みでよかった、と物の怪は溜息を吐いた。 昌浩が占じた結果、鞍馬山の頂にその妖がいるらしいことが判った。鞍馬山といえば、千年前に観世音菩薩が頂に妖を封じた、という話だ。昌浩が夢で見た妖は、十中八九その妖だろう。 結果が出てすぐに昌浩は行動を始めた。朝餉をかっ込み、素早く狩衣に着替え、渋る太陰を丸め込んで鞍馬山へ飛んだ。 「ねぇ、昌浩」 「どうしたの?太陰」 「結界があるんだけど…」 どうする?と太陰が言い切る前に、昌浩は笑顔で結界をぶち壊した。そんな昌浩を見た太陰は、もしかしたら騰蛇よりも昌浩の方が恐ろしいのでは、と己の考えを改めかけるほどに昌浩は怖かった。やはりこいつは清明の孫だな、と物の怪は半ば呆れ果てていたとか。 そんなこんなで辿り着いた鞍馬山の山頂は、妖気で満ちていた。けれど、妖気は妖気だが邪気ではない。それどころかどこか神気に酷似しているのだ。貴船山や出雲の聖域と、此処はよく似ている。 しかし、それはすぐに敵意の籠ったものに変わった。恐らくはあちらが気付いたのだろう。陰陽師が来た、と。 物の怪は乗っていた昌浩の肩からひらりと降り、瞬時に本性に戻る。十二神将最強の苛烈な神気が、妖の妖気とぶつかり合う。それに怯える太陰のことなどお構い無しに、騰蛇は先頭に立ち、その苛烈な神気で妖気を打ち払う。 「封印されているはずじゃないのか…?」 「ふ、封印?」 「太陰は知っているだろう?千年前に観世音菩薩に封じられた妖のことを」 「まさか…その妖の封印場所って此処だったの!?」 昌浩が一人首を傾げる中、太陰と騰蛇は言葉と交わす。そして、その間も進み続けていた歩みを、ふと騰蛇は止めた。ほんの少し離れた所には岩牢があり、大量の符が貼られていた。 その岩牢の間から見える瞳は、暗く光っていた。 |