声が聞こえる。
低めの声で、何か言ってる。
一体何て言ってるの?よく聞こえないよ。
あ、声が遠ざかっていく。お願いだ、待ってくれよ。
暗闇の中に一瞬見えたのは、漆黒の(ひとえ)を纏う銀髪の青年だった。


目が覚めて、勢いのままがばりと起き上がると、それを見たもっくんが瞠目して声をかけてきた。
体躯だけなら猫のようだが、耳は兎のようなもっくんを胸に抱き込み、ぼそりと呟く。


「夢を、見たんだ」
「夢?」


怪訝そうに訊き返すもっくんに、こくりと頷いてみせる。
何も見えない暗闇のなかで、耳障りのいい低い声が響いている。何と言っているのかは判らない。けれど、聞き取ることのできないその言葉は、誰かを呼んでいるように聞こえた。
やがて、遠ざかっていくその声を追いかけていくと、暗闇の中に一瞬だけ、墨染の衣を着た銀髪の青年が見えたのだ。


「銀髪の男って…お前そりゃ妖だろ」
「だよねぇ…。でも、気になるんだ。危険じゃなさそうだし」
「それは勘か?昌浩や」
「うん、勘。それに、陰陽師の夢には意味があるんだろ?」


あの妖のこと、もっと知りたいんだ。
そう言った昌浩の瞳を見たもっくん――騰蛇は、やれやれと肩を落とした。言い出したらきかない頑固さは、清明譲りだ。こうなったらてこでも動かないだろう。


「それより昌浩や」
「どうしたの?もっくん」
「出仕はいいのか?遅刻するぞ」
「…あ」






◇      ◇






声が、聞こえる。昨日の夜と同じ声だ。
一体貴方は、何て言ってるの?


  ―――い


  あ――い


  あ―たい


  あいたい


  会いたい


会いたい?誰に?――どうしてそんなに哀しそうなの?
目覚める直前、一瞬だけまた見えた。暗闇の中に佇む漆黒の(ひとえ)に銀髪、そして緋色の瞳が。


「また見たよ、もっくん」


会いたい、とずっと言ってた。とても哀しそうな声色で、会いたいと。
そして、暗闇の中で光る、とても印象的な緋色の瞳。もっくんの夕焼け色に近い、緋色。


「銀髪に緋色の瞳か…白蛇の化身かもな」
「白蛇か…でもさ、」


何で暗闇の中にいるんだろう?
少年のもっともな疑問。けれど、それに物の怪は答えることは出来なかった。
そして、少年は気付くことが出来るのだろうか。彼の四肢に繋がれた、彼を戒める鎖の存在に。






◇      ◇






暗闇の中に響く低い声。会いたいと誰かを呼ぶ哀しげな声。
それに混じる、微かな金属音。じゃらじゃらと鳴るそれは、そこそこ大きめの物のようだ。


  会いたい


  会いたい


  会いたい


  会いたいよ


  ――白緋


  会いたい、白緋


  会いたいよ、白緋


暗闇の中に浮かび上がる銀髪。閉じられた眦から雫が零れ落ち、その四肢には彼を戒める鎖があった。


「昌浩、また見たのか?」
「…うん。白緋、というひとを呼んでた。会いたい、って」
「ふむ。まぁ妖が呼んでる名だ。白緋、というのも十中八九妖だろうな」
「…あの妖、泣いてたんだ。それに、手足を鎖で繋がれてた」


そう言って昌浩は俯いた。この子はとても優しいから、大方その妖のことを想っているのだろう。
暗闇が何を意味するのかは判らないが、鎖で繋がれていたということは、封印されている、と考えていいだろう。それならば、白緋、というのに会いたいと泣くのも、一応辻褄が合う。封印されているのだから、其処からは動けない。呼ぶことしか出来ないのだから。
かたり、と音がして、物思いに耽っていた物の怪の意識は浮上した。昌浩が手にしていたのは、六壬勅盤だ。愛しいこの子供が赤子だったときから一緒にいたのだ。何を占じるつもりなのかは、訊かずとも容易に予想できる。
今日が物忌みでよかった、と物の怪は溜息を吐いた。


昌浩が占じた結果、鞍馬山の頂にその妖がいるらしいことが判った。鞍馬山といえば、千年前に観世音菩薩が頂に妖を封じた、という話だ。昌浩が夢で見た妖は、十中八九その妖だろう。
結果が出てすぐに昌浩は行動を始めた。朝餉をかっ込み、素早く狩衣に着替え、渋る太陰を丸め込んで鞍馬山へ飛んだ。


「ねぇ、昌浩」
「どうしたの?太陰」
「結界があるんだけど…」


どうする?と太陰が言い切る前に、昌浩は笑顔で結界をぶち壊した。そんな昌浩を見た太陰は、もしかしたら騰蛇よりも昌浩の方が恐ろしいのでは、と己の考えを改めかけるほどに昌浩は怖かった。やはりこいつは清明の孫だな、と物の怪は半ば呆れ果てていたとか。
そんなこんなで辿り着いた鞍馬山の山頂は、妖気で満ちていた。けれど、妖気は妖気だが邪気ではない。それどころかどこか神気に酷似しているのだ。貴船山や出雲の聖域と、此処はよく似ている。
しかし、それはすぐに敵意の籠ったものに変わった。恐らくはあちらが気付いたのだろう。陰陽師が来た、と。
物の怪は乗っていた昌浩の肩からひらりと降り、瞬時に本性に戻る。十二神将最強の苛烈な神気が、妖の妖気とぶつかり合う。それに怯える太陰のことなどお構い無しに、騰蛇は先頭に立ち、その苛烈な神気で妖気を打ち払う。


「封印されているはずじゃないのか…?」
「ふ、封印?」
「太陰は知っているだろう?千年前に観世音菩薩に封じられた妖のことを」
「まさか…その妖の封印場所って此処だったの!?」


昌浩が一人首を傾げる中、太陰と騰蛇は言葉と交わす。そして、その間も進み続けていた歩みを、ふと騰蛇は止めた。ほんの少し離れた所には岩牢があり、大量の符が貼られていた。
その岩牢の間から見える瞳は、暗く光っていた。



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