そして、全てが始まる | ナノ
火を点けたばかりの煙草を口から離し、ふう、と小さな吐息と共に紫煙を吐き出す。
ボンゴレが所有するアジトを兼ねている屋敷の二階のバルコニーに、冴弥はいた。丁度中庭を向いているバルコニーの手摺に寄りかかって階下に目をやれば、部下が連れ込んだ子供が遊んでいた。そこに違和感無く混じっているのは、ボンゴレの雨の守護者である山本武だった。
イタリアの、それもマフィアの親を持つ子供となれば、野球にはほとんど縁が無い。そのせいか、日本の子供より楽しそうに野球をしていた。
武もこの十年で成長したらしく、ボールを握っても十年前のように手加減無しで投げる、なんてことは無く安全に遊んでいる。時々窓をぶち破らない程度にかっ飛ばすこともあるが、基本的には子供にあわせているらしい。


「野球、か」


十年間一緒にいたのだ。人の感情に対して不得手な冴弥でも判る。
野球をしているときが一番、楽しそうに笑っている。同じ笑顔に見えても、何処か違うのだ。目の奥の輝き、とでもいうのだろうか。ほんの僅かな違いなのだけれど、確実に違う。


綱吉が十代目を正式に襲名し、武も他の守護者達も正式に幹部の地位を与えられた。その時に武は自ら野球を捨て、剣の道を選んだ。ミルフィオーレと戦った時とは違う。剣の道ひとつだけを選んだのだ。
今こうして武が野球をしているのは、一体何年ぶりになるのだろうか。其れ程長い間、武は野球に触れずにいた。最初は渋っていたのだが、この十年で逞しく(腹黒く)成長した綱吉がボスの命令だ、と言うと若干引き攣った笑顔を見せながら了解したのだ。己で決めた事を反古にするのは抵抗があったようだが、時間が経つにつれてすっかり頭から消え失せたらしい。
十年前のあの頃に戻ったかのような笑顔を浮かべて、武は白球を追っていた。


「楽しそうだね、武」
「綱吉。見に来たのか」
「うん」


やっぱりやらせて正解だったよ。そう言って綱吉は微笑んだ。


陽が沈み始める夕刻。逢魔が刻と呼ばれる頃合いに、綱吉発案の小さな野球大会はお開きとなった。
家路を辿っていく子供達に笑顔で手を振っている武を、冴弥と綱吉はバルコニーから見下ろしている。
あまりかっ飛ばされないように、と使わせていた木製バットを肩に乗せて浮かべる笑顔は、とても晴々としていた。


「ツナー!冴弥さーん!」


此方に気付いた武が、笑顔でぶんぶんと大きく手を振る。完全にテンションが上がりきっているその様子に、思わず笑みが零れた。小さく振り返してやれば、十年前から変わっていない笑顔を見せて屋敷へと入っていった。恐らくはそのままこの部屋に来るのだろう。
どちらからともなく室内に戻り、バルコニーへ続くガラス戸を閉める。短くなった煙草を机の上にある灰皿に押し付けるとほぼ同時に、シンプルな装飾の施された扉が勢いよく開いた。その扉の向こうにいたのは、満面の笑みを浮かべた武だった。来る途中で部下に片付けさせたのであろう。手にしていた木製バットは今は無かった。
開けた時とは逆で静かに扉を後ろ手に閉め、締まらない顔のまま此方に歩み寄ってきた。


「楽しかった?武」
「ああ!めちゃくちゃ楽しかったぜ!サンキュな、ツナ」
「気にしなくていいよ。部下に頼まれたことだし、子供達も楽しめたみたいだしね」
「おう!イタリアの小僧も以外と野球のこと知ってんのな」
「おいおい。野球は世界各国でプレイされてるスポーツだろうが。俺はやったこと無いがな」
「冴弥さん野球やったことねえの!?おもしれーのにな」
「武がプレイしてるのを見てる方が楽しいさ」


そう言えば、そうか?といつものように笑ってみせた。十年前と似た笑顔だったが、それは雨の守護者としての顔だった。













望まれなかったネバーランド



(彼は平和な世界を捨て、血に塗れた道を選んだ)
(戻る事など出来はしない。既にもう手遅れなのだから)